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第24話「難航」

「マールズ、マールズ……」

 アインズギルドの最古参、レイ・シモンズは髪同様の白い髭をしきりに撫でていた。


「すまない、そのよう名をしたエーテライザーは記憶にないようだ。ましてや、にわかには信じられんことだが、そのような人外な行為をする者となると……ワルツが登録簿を調べ終えればわかることだが……俺が知らない以上結果は同じだろう。まだ世に知られていない野良スキリーという可能性も考えられるが」


「でも、それって本当に人だったのかしら」グレースがまるで我が事のように首をひねる。「狂暴な変異種と見間違えたという可能性はない?」


「いや、人と変異種とを見間違うなんてことはさすがにないんじゃないかな」ミュラーがさも当然といったように口を挟む。「人の言葉を介す変異種なんて、ほとんど半獣ラクターみたいなものだ。いくら人里離れた森の中とはいえ、西方大陸アークフォードのど真ん中に彼らがいるはずがない。この辺にいるのは相当獣に近い低異種くらいのもだろうしね」


「ねえシン、もっと詳しい情報はないわけ?」

 グレースがまるで以前からの知り合いのように話しかけて来る。シンには答える気も気力もなかった。


(……どうして、こんなことになったんだろう)


 まるで事故のような出会いだった。


 最初シンとフェイルは明らかに面倒そうなグレースとミュラーをほとんど無視していた。

 興味深々といった二人の視線を浴びながらワルツのもとへ行き、重要なことは隠したまま、マールズに関する情報を求めた。もちろん大声で話すような真似はせず、障壁を張りながら、だ。


 最初ワルツは散々絡まれていたミュラーに対し怒り冷めやらぬ様子だったが、シンとフェイルの要件を聞くと「そのような奇怪な事件が」と一瞬言葉を失ったようだった。しかしすぐに「ラスティア王女からのご用命とあれば、急ぎギルドの登録名簿を調べてみましょう」と姿勢を正した。そして後ろへ退く前に「そういえば、ちょうど今レイ様がお見えになっております。アインズギルドの最古参のお一人ですから、何か御存知かもしれません」と、話を通してくれたのだった。


 ワルツとレイには、「凶悪な犯罪者」として「人食いの怪物」の目撃情報があったためラスティア王女から調査するよう命じられたのだと説明をした。


 自分で言っておきながら何とも現実味のない話だと思わないでもなかったが、れきとしたパレスガードが王族の命令により動いているのだ。真偽の程はどうであれ、ワルツやギルドが協力してくれるには十分な理由だろう。


 だが、逆にそのような内容がグレースとミュラーをいたく惹きつけてしまったらしく、別室でレイと話し合おうとした途端、出会ったときと同じくあまりにも唐突に割り込んできたのだ。


 ほんのつい先日ラスティアに対し物申していたグレースは、良くも悪くもシンに関心をもっているのは明らかだった。姿を目撃された時点で相当気に掛けられていたのだろう。しかしなぜグレースとミュラーがこちらの話を聞きつけることができたのか、シンには不思議で仕方がなかった。


 障壁まで張っていたのにどうして――というシンの疑問はしかし、「あなたの障壁(それ)、形だけで全然意味ないわよ」というグレースの言葉によってものの見事に解決された。


 どうやらグレースと、それにミュラーが優れたエーテライザーであることは間違いなさそうだった。が、そのことと他人の話を盗み聞きすることとはまったく関係ないんじゃないか。そう反論しようとしたときには同じ部屋の、それもシンのすぐ隣に落ち着かれてしまっていた、というわけだった。


 二人そろってその素早さ――いやずうずうしさは、フェイルが口を挟む余地もないくらい見事なものだった。グレースとミュラーもシンたち同様、出会ったばかりのはずだったが、昔からの連れと言われても違和感がないほどの息の合いようだった。さすがのフェイルも空いた口が塞がないといった様子だった。


 シンを挟み込むように両側へ座り込んだグレースとミュラーは、シンなんかよりよほど真剣に「人食いの怪物」についてああでもない、こうでもないと質問や意見をぶつけ合っていた。


 そんな光景を壁に寄りかかりながら遠巻きに眺めていたフェイルは、盛大なため息をついた。

「お前ら、ホントいい加減にしとけよコラ」


「一応この事件のことは誰にも言っちゃいけないことになってるんだよ」


「でも聞いてしまった以上は気になるじゃない」グレースはシンとフェイスの言葉をぴしゃりと遮った。「それに、私が待ち望んでいたのはまさにこういう感じの依頼だったのよ! 雑用や貴族や金もちの護衛ばかりで発狂しそうだったけど――おもしろくなってきたわ」


(おもしろくなってきたって……)


「探究心と冒険欲がずいぶん掻き立てられる話だよ、これは」ミュラーがしきりにうなずく。「二月以上ある闘技大会までどうやって暇をつぶそうかと思っていたけど、初っ端からこんな事件に遭遇できるなんて。やっぱり僕は運がいい」


(いや運がいいって……)


「あー……俺が言うのもなんだが、おまえたちっていうのは――部外者なんだな?」レイがグレースとミュラーに困惑げな視線を送る。「話を持ち込んだ当人たちが蚊帳の外っていうのは、なんとも」


 最後の言葉は間違いなくシンとフェイルに向けられた言葉だった。


「そのおっさんの言う通りだぜ。こっちの話を盗み聞きするわ突然話に入り込んでくるわ、めちゃくちゃじゃねえかお前ら」


 誇張でもなんでもなくフェイルの言葉通りなのだからたまったものではなかった。


「もちろん、興味本位で首を突っ込んだわけじゃないわ。この依頼、私が正式に引き受けさせていただきます」


「いや引き受けさせていただきますって……」さすがに頭が痛くなってきた。


「なに勘違いしてんだバカ女。この話はギルドに持ち込んだ依頼なんかじゃねえ。調査のために聞き込みに来ただけだ。いい加減引っ込まねえと上に報告してしょっぴくぜ」フェイルの声が一段と低くなる。


「まあまあ、そう言わないで。人手は多いに越したことないじゃないか」

 ミュラーが大げさな素振りで両手を広げてみせる。シンでさえひやりとするようなフェイルの様子にも、まるで怯む様子がない。それどころか楽し気な様子ですらある。

「ギルドからも引き字引みたいなこのおじいさんからも有益な情報が得られないじゃない。言わば、当てがはずれたわけでしょう? もう少し詳しく話してくれたら、何か協力できることがあるかもしれない。こう見えて何かと物知りなんだよ、僕は」


「ここへはそれほど期待してやって来たわけじゃねえ。俺もシンも誰かが知ってりゃ御の字くらいにしか考えてなかったからな――って、おまえらみたいな毛の生えたばかりのガキどもが何の役に立つんだよ」


「ちょっと、女性を前にしてなんてこと言うのよ」

「僕は毛が生えてからそれなりに経ってるんだけどな」


 シンとレイが首を振り合う。レイにしても突然このような状況に巻き込まれ、さすがに苦笑するしかないようだった。


「ちょっと、二人とも聞いて欲しいんだけど」

 このままじゃ埒が明かないと思い、シンははっきりと口にした。

「さっきも言ったけど、今ここで話していることは、本当ならあまり人に話せるような内容じゃないんだよ……実際きみたちはおれたちの話を盗み聞きしていたわけだろう? でもこのまま黙っていてくれるなら、責めるようなこともしない。おれが未熟だったせいもあるし。だからおれたちのことはもう、放っておいてくれないかな」


 一瞬グレースとミュラーは顔を見合わせるようにしたが、次の瞬間、深々と頭を下げた。


「ごめんなさい」

「すまない、そこまで迷惑をかけるつもりはなかったんだ」


 予想外の素直な態度に、シンの方が面食らってしまった。


「私だって同じよ。けど、せっかく家を飛び出してきたのに雑用みたいなことばかりさせられて……正直うんざりしてたの」

 グレースがため息交じりに言う。


「……確かきみ、イーリスのパーティでお世話になってるんだよね。その、家を出たっていうのは?」

「前に会ったとき言ったかもしれないけど、私はディスタの生まれなの。父はディスタの上院議員で、まあ、超超超上流階級の娘ってわけ」


 自分で言いやがったこいつ、という全員の視線に気づいているのかいないのか。グレースは身振り手振りを交えながらさらに続けた。


「これも前に言ったけど、私ってほら、アーゼムの導師ルクスが放っておかないくらい才能に恵まれた人間じゃない? それなのにずっと父のもとにいたら政略結婚の道具に使われるか、いいとこ親の跡を継いで議員になるくらいのものだわ。だから、ほとんど家出同然の形でイーリスのところに駆けこんだの――うちの父とイーリスは昔から親交があって、私も子供の頃から知っていたし――もちろん父は私を連れ戻そうとしたんだけど、イーリスが間に入ってくれて、ひとまず面倒を見てくれることになったのよ。けど、やらされることといえば毎日ギルド(ここ)へ来て、掲示されている依頼や依頼に関する情報を集めて帰るだけ。今日だってそう……手伝わせてもらえることも護衛の仕事ばかりで、いい加減嫌になっちゃった」

 一気にまくしたてられ、グレース以外の全員が気まずい共犯者のような視線を交わし合う。


「……それはまあ、ギルドやパーティに所属したばかりの駆け出しのエーテライザーであれば、普通の扱いではあるな」

 年長者のレイが苦笑まじりに口を開く。

「俺のような古株でさえ、パーティを組まない一匹狼は毎日ギルドに顔を出して依頼の確認や情報収集にあたらなければ到底やっていけんな。ましてや今ギルドは王宮――ディファト王子といった方が正確か――その厳しい管理下にある。貴族や役人からの依頼以外は原則受け付けられてはいない。こんなことは俺の知る限り未だかつてなく、下手をすればアインズという国を敵にまわすことになりかねん。ギルドはもちろん、そこに所属する俺たちも、受ける依頼やその依頼主については十分精査し、また見極めなくてはならないというわけだ」


「市民から広く依頼が集まるということはつまり、それ相応の情報が集まってくるということだからね。エーテライザーによる組織というだけでも脅威となりえるのに、アインズ国民の信頼や情報まで手中にされたらお偉いさんたちもそりゃ管理したくなるだろうね。むしろ今までよく自由にさせていたものさ。あるいは、無視できないくらいの力を持つようになってしまった、ということかな。これからはアインズのようにギルドを管理しようとする国も増えてくるかもしれないね」

 ミュラーはこれ以上ないくらい他人事といった口調で言った。


「……まさに、その通りではあるが」

 レイが唸るようにうなずいた。


 そして、シンは思っていた。

(こんなんで、どうやってマールズについて調べればいいんだ)、と。

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