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第22話「オルタナの喧騒」

「そりゃそんなことがばれたら王宮も上へ下への大騒ぎになるだろうよ。下手すりゃバルデスが攻めて来たときより不味いんじゃねーの」

 隣を歩くフェイルに言われ、シンは咄嗟に周囲を見渡した。


「ちょっ、声が大きいって」

 そう反射的に口にしたが、さすがに自分たちの会話が誰かに聞かれるとは思っていなかった。


 王都の中心街を貫く大通りは行き交う大勢の人々の喧騒にまぎれ、隣にいるフェイルの声も、かなり体を寄せないと聞き取れない程だった。

 何より今のシンは、バンサーたちに襲撃された際、見よう見まねで覚えた「障壁」を張っている。大丈夫なはずと思う一方、自分のやっていることが今までの常識からかけ離れすぎていて、どうにも慣れないし、自信もない。


「レリウスはなんだってディファトたちを追及しようとしないんだ? ラウル王の死を隠蔽してんだぜ? いくら王族だろうとただじゃ済まねえだろう。上手くいきゃ一気にディファト派を崩せるってのによ」


「えっと確か、知らないって突っぱねられたらそれで終わりだし、こっちが追求する素振りを見せた途端、『国王、崩御!』とか叫ばれたら元も子もない、みたいなことを言ってたかな。だからまずはいろいろ探り出して、いんぺいの証拠? みたいなものを掴みたいんだってさ。一番いいのはなんらかの機会に乗じて一気に王様のところへ突撃することらしいんだけど……」


「というかおまえ――そんな大事なこと俺なんかにぺらぺら話してよかったのかよ」

「え? そりゃレリウスから『他言無用』とか言われてたけど、フェイルだし別にいいんじゃない? というか今の話、レリウスから聞いてなかったの?」

 フェイルはまじまじとシンを見つめたが、次の瞬間には爆笑していた。


「そのマールズとかいう危ねえ奴について調べること以外言われてねーよ!」

「前もちらっと聞いたかもしれないけど、フェイルって普段どんな仕事してるわけ?」

「まあ、いろいろあるわな」

「いろいろって?」

「そりゃ、王宮にいるやつらには到底できないような仕事よ。レリウスに雇ってもらうとき、俺がそう売り込んだからな」

「そういやフェイル、いつの間にかついてきてたよね――売り込んだって、どんな話をしたの?」


 正直シンは、ダフのような否定的な感情をフェイルに対し抱いてはいない。それどころか、何かと話しやすく世慣れているフェイルを頼れる兄貴分のように感じることもあった。その一方で、フェイルという人間がラスティアやレリウスたちにとって普段関わることのないような人種であるということもさすがに気づいていた。だからこそ、フェイルとレリウスとの間でいったいどのような会話があったのかについては興味があった。


「また機会あるときにでも話してやるさ。それより、そんな人食いの化け物みたいな奴、本当に存在すんのかよ?」


「うーん……」シンは困って顔をしかめた。「なんか、最初聞いたときは相当怖かったはずなんだけど、フェイルに『人食いの化け物みたいな奴』とか言われると、なんだかなあ」

 むしろフェイルの『人を食ったような』言い方が、バンサーたちのおどろおどろしい話を限りなく薄めてしまっていた。


「とにかくすごい器保持者エーテライザーであることは確かみたいだから、ひとまず俺がギルドに聞き込みすることになったんだよ」

「『すごいエーテライザー』って言い方もなんだか間が抜けてんな」


 なんとも緊張の感じられない二人ではあったが、もちろん危険な相手であることに違いはない。だからこそレリウスは最も力があり、かつ自由に動くことのできるシンにマールズ調査を依頼したのだ。


 最初その話をもちかけられたときは、マールズに対する恐怖心から全力で拒否するつもりだった。しかし、「まずは広く情報が集まるギルドに当たってみるのがいいだろう」というレリウスの話から、危険な事態にはならないだろうという気がした。何より、これまでの失態を挽回し、ラスティアのパレスガードとして何とか役に立ちたいという思いがあった。結局自ら引き受けるような形になったが、まだエルダストリーの事情に不慣れでもあったため、フェイルに同行してもらえるよう頼んだのだった。


 とはいえシンは、自分なんかにたいしたことはできないだろうとも思っていた。一方のレリウスは、パレスガードたちですら恐怖させた得体の知れない存在を相手にできるのはシンしかいないと考えているようだった。


 実際に相手をすることと――できるかどうかは別として――相手について調べることはまるで関係ないんじゃないか。そう思わないでもなかったが、一度引き受けた後に愚痴のようなことを言いたくはなかったため黙っていた。


 そのような思いにふけっていたとき、前方からひと際大きな声が聞こえてきた。


「――約束の期日はとうに過ぎている!」

「いくらなんでも突然過ぎではないですか! しかもこんな額の税など今まで一度だってお支払いしたことはありません!」

 周囲の喧噪切り裂くほど、悲痛な声だった。


 二人は思わず顔を見合わせたが、それも一瞬のことで、すぐさまフェイルは騒ぎの中心へと近寄っていった。シンも慌ててその後を追う。


「だからこそ、そうして貯め込むことができたのであろう? おまえの商会にどれほどの稼ぎがあるのかなど当に調べがついておるわ!」

「ですから何度も申し上げたではありませんか、あなた方が言っているのは西方への事業拡大に伴う資金のことです! 隠し財産などというものでは決してありません、よく調べてもらえればおわかりのはず——」

「法も管轄も変わったのだ、今までのような言い訳は通じぬぞ。おまえたちはそうやって私財をため込み、貧しき者たちから全てを奪ってきたのだろう? 新たな王となられるディファト王子はおまえたちのような利己的な快楽主義者の存在を決して認めぬ!」


「おうおう、言いたい放題じゃねえか」

 騒ぎを聞きつけ集まっている人々の間から、そんな囁き声が聞こえた。


「ずいぶん耳障りのいいことを言ってるが、要は役人と貴族どもが結託しておれたちの稼ぎを巻き上げているだけだろうが」

「あいつ、クライン商会の代表だろ? かなりのやり手だって聞いたが」

「ああ。もとはザナトスの出で、オルタナ、バルデス、ディケインと手を広げて成功してたらしい」

「そりゃ運があるようでなかったな……今はなんせ時期が悪い。ディファト王子が貴族と役人どもを取り込むため、かなりの権限を持たせちまってるからな。ラウル王の御代からは考えられんほどの締め付けさ」

「上の連中と大きな商会を率いる奴らとの間じゃ、とんでもねえ額の賄賂が行きかってるてえ噂だ」

「上手く立ち回れなきゃ、ああなっちまうんだろう。俺たちだって他人事じゃないぜ」

「そりゃそうさ、いい稼ぎの奴らから分捕ったあとは俺たちの番だからな……ここでの暮らしも考えなきゃいかん時期がきたのかもしれんな」


 そんな会話が続くなか、騒ぎの中心にいる男は顔を地面にこすりつけるように頭を下げていた。


「――しばらく、もうしばらくお待ちを! その資金を持っていかれてしまっては家族すら養うことができなくなってしまいます!」

「甘い汁を吸い続けてきた報いだ、馬鹿め。悔い改め、エルダに許しを請うがいい」


「行くぞ、シン」

「え? うん」

 フェイルの言葉で我に返る。目の前のやりとりと周囲から聞こえてくる話にすっかり意識を奪われていた。


「あ、あれってやっぱりディファト王子たちのせいなの?」

 急ぎ足でフェイルに追いつきながら言う。


「だろうな。市井の奴らの暮らしぶりを見てりゃ、その国の施政者がどんな政をやっているかなんて一目瞭然さ」

「オルタナのことはまだよくわからないけど……ザナトスには貧しい人たちが大勢いただろ? ああいう人たちがダフたちをいいように使ってたのも確かなんじゃないかな」

「まあな。だがよ、シン。ザナトスの外周で暮らしているような奴らはいつの世の中にだって沸いてくるぜ。たとえ貴族や役人どもが力をもつようになってもそれは変わらねえ、むしろひどくなる一方だろうよ。さっきの奴がいい例だ」

「どうして、そうなっちゃうんだろう」

 考え込むようにシンが言うと、フェイルはなぜか楽し気な笑みを浮かべた。


「おまえのそういうところ、嫌いじゃねえよ」

「そういうところ?」

「変に正義面して首を突っ込もうとしないところさ」

「だっておれなんかにできること、何もないだろ」

「なーに言ってんだか。今やおまえはこの国のパレスガード様だぜ? その外套(ローブ)を脱いで名乗りを上げりゃ、一瞬にして仲裁できちまう」

「……表面的な事情だけ見て、そんなだいそれたことできないよ」


「そら、そういうところさ。確かにディファトたちのせいであんなことになっちまったかもしれねえが、案外裏で悪どいことをしていたかもしれねえ。通り過ぎただけの俺たちにわかるはずがない。おまえは単に自分なんかにできることはないって思っただけかもしれねえが、それはつまり、無暗やたらと感情移入しないってことでもある。俺は経験上、誰に対しても手を差し伸べようとする奴は信用できねえことを知ってるからな」


「そんな人が、どうして信用できないの?」

「誰にでも優しく見える奴は、自分のことにしか興味がねえ人間だからさ。欲の塊みてえな人間さ」


 フェイルの言ったことの意味がわからず、首をかしげる。


「昔、エルダが創ったエルダストリーはよ、見事に完璧な世界だったらしいぜ」

 今度は唐突にそんなことを言い出す。


「完璧な世界?」

「ああ。争いなんてまったくない、誰もが幸福に暮らせる、まさに理想郷だ。そんななか闇の創造主アヴァサスは『七人の罪深き人々』を送り込み、無垢なる人々にありとあらゆる欲望を植え付けた……この世界に生まれたからには誰もが一度は聞かされるおとぎ話さ」

「それは……本当にあった話なの?」

 アヴァサスという言葉を聞くと、どうにも体がざわつき、得体の知れない感覚に襲われる。


「あったのかもしれねえし、なかったのかもしれねえ。あるいはなんらかの真実が含まれてる可能性もあるな——さっきおまえは、『どうして、そうなっちゃうんだろう』って言ったよな」

 シンは首をかしげたまま頷いた。


「人に欲望なんてものがある限り、争いはなくならねえ。それなりにこの世を生きてりゃあ、誰もがたどり着く終着点さ。だかこそ俺は、そんなくそったれの世界を誰よりも自由に生きてやる、そう思ってんのさ」

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