第21話「アインズの権力者④完」
「なんですって?」
これまで涼しい顔をしていたアナリスの表情が一変する。
「アーゼムが、新たな巡察士を? 確かなの?」
グレンはまるで話についていけないのか、兄と姉を交互に見つめている。
「考えてみれば至極当然のことだ。なにせ、光柱などという歴史書で知り得なかったものが我が国に出現してしまったのだからな。いくらイストラと東方大陸《ラクタ―ノア》への対応で手が足りんとはいえ、エルダストリーの守護者にして調停者を謳うアーゼムは何を置いても確かめようとするだろう」
「ずいぶん他人事のようにお考えのようですが、アーゼムが今の我が国の状況を目にすれば、お兄様とて困ったことになってしまうのでは?」
「なぜだ、妹よ。もとよりアーゼムは他国との争いの火種が起きそうなとき以外は内政不干渉を貫いてきた。いくら強大な力を持っているとはいえ、彼らはあくまで監視者に過ぎん。むしろ今の我が国とバルデスとの関係を思えばロードの派遣は願ってもないことだ。バルデスの使節団が述べたあまりにも一方的な大義名分に対しアーゼムがどのような見解を示すか今から楽しみでならん」
「あら。それではお兄様は痛くもない腹を探られるいわれはないと仰るのですね。例えば――卑しい者たちが口にしているお兄様のご趣味についてはどのように考えておられるのかしら。バルデス側が今回の行動を起こした理由にもしていたかと思いますが」
「おまえもおかしなことを言う。かねてから追及されもしなかったことをなぜ今さら問題視しなければならんのだ。俺は何もエルダの教えに背いているわけでも、イストラのように核光を利用し大地を荒廃させているわけでもない。核光学の発展によるイストラの台頭を憂い、その力の源を直接調査していたにすぎん。バルデス側の難癖のような言い分を本気にするようなロードがいたら逆にお目にかかってみたいものだ」
「ディファト王子の仰る通りでございます」
ルーゼンが姿勢よく頭を下げる。
「アナリス王女、グレン王子におかれましては、何も心配されることなく謁見の場にご参加いただきたく存じます」
「……わかりましたわ。そのことを含め、じっくり考えさせていただきましょう」
アナリスが疑り深気な表情でうなずくと、グレンも慌ててそれに倣った。
「二、三日中には良い返事を期待している。遅くとも七日のうちには新たなロードがやって来るようだからな」
「善処いたします」
「ぼ、僕もです」
アナリスは勢いよく立ち上がると、兄に対し隙の無い退室の礼を返したのち、身をひるがえすように部屋を出て言った。グレンも慌ててそれに倣い、即座に姉の後を追う。
固く扉が閉められたのち、ディファトは面白そうな視線をルーゼンへと向けた。
「宰相はあの二人が俺につくと思うか」
「よほどのことがない限り、間違いないかと。お二人とてご自分が次期国王に、などという考えはさすがにお持ちではないでしょう。先ほどディファト王子が仰られていたように、なるべく今のお立場を危うくされない状況に持って行きたいがために、今まで何の決断もせず、今回のような話しがあるのを待っていたはずですから」
「そのようなときにパレスガードを伴ってこなかったというのも意外だったな。おかげでグレンの軟弱さがいつも以上に際立っていたぞ。まあ、たとえリーンのやつがこの場にいたとしても俺の目の前で助言するような出過ぎた真似はさすがにしなかっただろうがな」
「バンサー殿が何か知っているやもしれません。パレスガード三名がいずれも主のもとを離れているというのは、なかなか興味深い状況です」
「むろん、後で問い詰めておくさ。それにしてもアナリスめ、自分のことを棚に上げてずいぶんしおらしく俺を心配してくれるではないか。どうせあいつも父やレリウス同様、俺を偏屈な無能者としか見ていないのだろうよ。俺からすれば奴らほど呑気な施政者もいないというのに。これからは核光学の時代が来る、何度そう進言しても俺を邪険に扱うどころか憐れんでさえいたのだからな。耳を傾けた識者はおまえだけだったぞ、宰相」
「恐れながら、私も王子と似た境遇にありましたので。民たちの間で広がる著しい貧富の差の解消や、大きな脅威となりつつあるギルドへの牽制など、いくら申し上げてもお聞き入れいただけなかったものです」
「思えばアナリスも不憫なやつだ。昔から気性が激しかったがために周りから腫れもののように扱われ、そのことが余計あいつの性格を歪めてしまったのだろうからな。核光兵器のことを匂わせて『ご趣味』などとほざきおったが、あいつの悪癖と一緒にされてはたまったものではないぞ。リザにいたってはそのことを嫌悪して近づくことすらしないというのに」
「ですが今のリザ王女とアナリス王女の関係があればこそ、お二人が手をとるといったことを危惧せずにいられるのもまた事実」
「まあな。何かと眉をしかめたくなる妹ではあるが、リザほど扱いにくくはない。ましてやリザはアナリスやグレンと違い自分が王となる目を捨ててはいないはずだ。ある意味ラスティアなんかよりよほどやっかいな相手といえる」
「仰るとおりです。リザ王女は、なんというかその、どこか私にも読めないところが多々おありですので。それはローグについても同じこと。それに――これは今しがた掴んだばかりの情報なのですが」
「なんだ」
「どうか、くれぐれもご内密に」
「それほどのことか」
「はい」
「よい、申せ」
「恐れながら……」
ルーゼンは軽く目を伏せるようにして言った。
「リザ王女はローグを通し――他国と通じている節あり、と」
「なんだと」ディファトの表情が一変する。「間違いないのか」
「少なくとも不穏な動きがあったのは確かです」
「自分が王となるために他国と共謀するなどと、それが本当であれば王族とて極刑に値する罪だぞ」
ディファトは顎に手をあてながら深く唸った。
「……どうするつもりだ、宰相」
「今リザ王女派の動きを探らせておりますゆえ、もう少々お待ちを。アナリス王女、グレン王子のお二人がディファト王子を支持するとなれば、あとはブルーム侯を残すのみ。そして今回のことは、リザ王女からブルーム侯を離反させる恰好の材料となりえます」
「なるほど……上手くいけば直ちに議会を招集できるというわけか。しかし解せんな、たとえバルデス、あるいはディケインあたりと手を組んだとして、リザはどのようにして王となるつもりだ? いくら強力な後ろ盾であろうと他国からの干渉を受けるようなことをすれば領侯たちを味方につけるどころか売国者の烙印を押されるだけではないか」
「……わかりませぬ。ただ私の考えでは、先のバルデス侵攻が関係していたように思うのです。今回の話とあまりにも時期が合いすぎますので」
「どういう意味だ」
「バルデスの侵攻に合わせ、何らかの行動を起こす気だったのではないか、と」
「それではもう失敗に終わったということになるぞ」
「その可能性はあります」
ディファトは思わずといった様子でぽかんと口を空け、まじまじとルーゼンを見つめた。
「なんと馬鹿な、それでは後の祭りどころか自分たちの失態を俺たちに嗅ぎつけられたうえ、尻に火がついているようなものではないか」
「軽々にそうはいえません、あくまで私の推測でしかありませんので。また、仮に当たっていたとしてもこのまま引き下がるリザ王女ではないでしょう。我々のまったく予期していない展開になることも十分ありえます。油断はできません」
「なら、こちらは粛々と事を運ぶとしよう。まずはアナリストとグレンの出方を待とう――宰相はこのままリザたちの動向を探れ。あとはロードの到着を待ち、ストレイの扱いについてラスティアを責め立てることだな。アーゼムがあの小僧を見てどのような反応を示すか、非常に興味深いところではある。従妹はあの小僧をいたく気に入っているようだが、もしアーゼムがやつをストレイと断定し、その存在を危険視するようなことがあれば——」
ディファトが口の端を釣り上げるようにしてほくそ笑む。
「強制的にラスティアから引き離し、あわよくばエル・シラへ連行しようとさえするかもしれん。もしやつらがそれを拒めば、場合によっては排除してしまうようなこともありえなくはない。上手くいけばラスティアとアーゼムを対立させることができるやもしれんな。そうなればあとはもう俺の独壇場だ、一気に水晶の玉座についてしまうとしよう」
「御意」満足げに両腕を組んだディファトに対し、ルーゼンはうやうやしく頭を下げた。「私めも、ひとまずはそのような形を目指し行動したく存じます」
ルーゼンの淀んだ瞳が怪しく輝いていたことに、ディファトは最後まで気づくことはなかった。




