第20話「アインズの権力者③」
「ああ、そういうこと」
アナリスは鼻で笑ってみせた。
「従妹の理想を良しとする者にとってはまさに最高の君主となりえるけれど、私たちのように王室や貴族社会にどっぷり浸かった者にとっては害悪でしかないわね。今の体制ですら何かと口出しされて息苦しいくらいなんだから」
「そのことについては俺もずいぶん憂いているのだ、妹よ」
ディファトはここぞとばかりに口を挟んだ。
「かつての領侯たちは今ほどの権力はもたなかった。王より預かった領土を治めるいち領主でしかなかったはずだ。王宮にあってはあくまで王を補佐し、有事の際の相談役としての役割を担っていたにすぎない。しかし父上は今の議会政治を作り上げただけでなく、貴族や役人たちの裁量を厳しく制限した。つまり民への税率や罪に対する処罰についてはすべて議会の取り決めた法に従わせることにしたのだ」
ディファトは一旦言葉を切ると、自らの発言に納得するかのように頷いた。
「なるほど貴族や役人からの締め付けがなくなり、あらたな自由を得た民たちはアインズの歴史上かつてないほどの繁栄を享受できるようになったかもしれない。その暮らしぶりも著しく向上したように見える。しかしそれも表面上のことだけに過ぎない。今や大都市も地方も、富める者とそうでない者との差は広がる一方だ。持てる者たちが持たざる者たちを使役し、資本がすべてを支配する恐るべき階層社会が形成されようとしている。王都とてそれは例外ではない。むしろ人の多く集まる都市こそ、欲深い者たちが分不相応に富を求め、いらぬ軋轢を生みだしているのだ。なればこそ俺はかねてから王や貴族、役人の権力を強化すべしと進言し続けて来た。今こそかつてのような王侯貴族による権力社会を復活させ、民たちが分け隔てなく、平等の暮らしを享受できる世を築くときだ。もちろん俺のこの思想は広く貴族たちに受け入れられ、ディファトこそ次期国王に相応しいと多くの味方を得るに至っている。アナリス、グレン、お前たちもそう思わないか?」
「お、仰るとおりです兄上」
ディファトの演説にグレンは慌てて頷いてみせたが、アナリスは感心を寄せるような態度はほとんど示さず、肩をすくめるようにした。
「まあ市井のことはよくわかりませんけれど、今まで以上に王室の権威が弱まり、私たちを軽んじるような事態になるのは到底我慢ならないですわね」
「しかし、ラスティア王女はそうするでしょう」
ルーゼンがぴしゃりと言った。
「いくらフィリー殿下のご息女とはいえ、そのお生まれ、お育ちはアーゼムの名門ロウェイン家。ラスティア王女の価値や信念、お考えはエルダの教えに、ひいてはアーゼムの規律に深く根付いているはず」
「アーゼムとは本来、一部の権力者たちの台頭を望まぬものだ」
ディファトが深くうなずきながら後を引き継ぐ。
「そのことが大きな戦争を招き、世界の安寧を乱すと考えているからな。あながち間違いとはいえんが、核光学の発展に伴うイストラの台頭をはじめ、アーゼムの秩序にはいたるところにほつれがみられるようになった。いったい誰が、これほど長期間、巡察士の不在を予測していた? このようなことが今後も続いていくことになれば、アーゼムだけをあてにするわけには断じていかん。王への権力を集中させ有事に備えるは当然のことよ。先のバルデス侵攻を見れば火を見るより明らかだ」
アナリスは一瞬、嘲笑するような表情を浮かべ何かを言いかけたが、軽く首を振るに留めた。
「私としては監視役のような人間がいなくなってせいせいしているくらいですけど」
「アーゼムを否定することも、エルダの教えをないがしろにするつもりもございません。ですが、我々にとってアインズ王室の存在はそれ以上にかけがいのないものなのです」
ルーゼンはアナリスの言葉を聞き流すようにした。
「とにかく、我々の価値観とアーゼムに殉じるラスティア王女のそれとは相容れない関係にあるということです。恐れ多くも先ほど私がお伝えした『陰ひなたへと追いやられる』という言葉は、そのような理由によります」
「わかったわ。要するにラスティアなんかと手を結ぶより、兄上を選ぶ方が賢い選択であると、宰相はそう言いたいわけね」
「言葉を飾らずに言わせていただくと、そうなります。そしてディファト王子は、周囲にあまり関心がおありではないリザ王女より余程お二人のご気性をご存じかと」
ルーゼンは合図するかのようにディファトへ目配せした。
「誠、その通りだ」
頷いたディファトはここぞとばかりに身を乗り出し、アナリス、グレンを交互に見つめた。
「おまえたちが今まで沈黙を貫いていたのは、俺とリザとを天秤にかけ、こちらから働きかけるのを待っていたからであろう? 今後も自分たちの地位を確固たるものとするために。まあ、リザとおまえたちとの関係を知っていればこそ、二人がリザにつくなどという危惧はたいしてしていなかったわけだが――ましてや途中から我が物顔で我が王室へ入り込んできたラスティアにつこうなどとは露ほども思ってもいないはずだ。ならばこそ、はっきりと言おう。これからのちは兄として、そして王として、共に俺を支えてほしい。いらぬ混乱や争いを避け、父上の御代以上に我が国を発展させるために。おまえたちの今後についても決して悪いようにはしないと今ここで約束しよう」
アナリスはしばしの間ディファトと見つめ合っていたが、ふと目を細めるようにして薄い笑みを浮かべた。
「もちろん、少しは考える時間をくださるのでしょう。兄上」
「ぼ、僕もリーンに相談したいので、そうしてもらえると助かります」
ディファトは一瞬、冷ややかな目でグレンを一瞥すると、再度アナリスへと視線を戻した。
「もちろんだ、良い返事を期待している――グレン、おまえもアインズ王室の一員であるならいちいちパレスガードごときに相談しなければ何も決められないなどという醜態を晒すな」
グレンは肩をびくつかせ、消え入りそうな声で「すみません」とつぶいた。
「もう、退室させていただいてもよろしいですか」
兄と弟のやりとりになんぞ何の興味もないといった様子のアナリスが言う。
「宰相、他に何かあったかな」
「特にはございませぬ。ただ、そう遠くないうちに諸外国に対し謁見の場を設けるつもりです。本来であれば内々にでも次期国王を決定してから諸々のやりとりを行うべきですが、現政権下においても伝えるべきことははっきりと伝えておかなければなりません。なによりこれ以上、先日の光柱に対する詰問を引き延ばすわけには参りませんから。もちろん、彼らへの答申は渦中の人物であるラスティア王女に引き受けてもらうことになるわけですが。その際お二人にはぜひ、ディファト王子の傍らでご出席いただきたいと考えております」
「それは従妹を釣るし上げると同時に、私たちがお兄様についたということを内外に知らしめるために、ということかしら」
「お二人がディファト様を盛り立ててくださることについては、仰るとおりです。が、ラスティア王女を吊るし上げるなどと、とんでもないことでございます」
「そうだぞ、そもそも此度の問題はラスティアが自分で蒔いた種だ。矢面に立つのは当然だろう」
ディファトが断固とした口調で言う。
「我が国のパレスガード全員がかの者をストレイ、あるいはそれに類する存在であると断言したうえ、多くの者が目撃し、感じとったとされる途方もない根源の集合体――光柱の出現は、いまや西方諸国全土に知れ渡ろうとしております。明らかに話をはぐらかしているようなアルゴード侯の説明では、我が国はともかく、諸外国の理解は到底得られません。ラスティア様におかれましては、パレスガードとして付き従わせているかの者の正体について誰よりも説明する責任がおありかと。なにより――」
ルーゼンはさらに身を乗り出し、続けた。
「エル・シラからの使いが、新たな巡察士の派遣を告げに参りました。今回の謁見はアーゼムに対する答申を果たすためでもあるのです。むしろ、こちらの方こそ最も重要な意味をもつでしょう」




