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第9話「器」

「なんとか無事、たどり着けそうだ」

 隣で馬の手綱を握るレリウスがほっと息をついた。


 レリウスと共に御者席に座っていたシンは、遠く前方に見えるザナトスの街並みに自然と腰を浮き上がらせていた。


「……すごい」

「東はバンデス、西はディケインにまでつながる我が国(アインズ)最大の交易の要所となっている街だからな。落ち着き次第、散策してみるといい、いろいろと面白い物が見られるはずだ」


 シンはレリウスの言葉に一度うなずきかけたが、ふと疑問に思い、これまで辿(たど)ってきた道の方角を振り返ってみる。

「その割には、今まで全然人の姿を見なかったような」


「それは私たちがレイブンからの道を南下しているせいだ。レイブンというのはアインズ北部にある信仰深い閉鎖的な国でな、許可なき者の越境(えっきょう)を許していないんだ。だから余程の事情がない限り行き来する者もいない。とはいえラスティア様がいたランフェイスへ向かうにはレイブンを突っ切るのが最も早い。私たちは事前にかの国へ使者を出し、許可を得ていたんだ。実際ラスティア様をお迎えに上がるときもまったく人に会わなかった」


 レリウスの傷は、見た目に反してそれほど重症ではないようだった。シンに気を使わせないよう多少無理をしていたのかもしれないが、動くときに多少顔をしかめることはあっても会話に支障をきたすようなことはなかった。


「もしおれがあのままレリウスたちと別れて何とかこの道を歩いて来れたとしても、誰かに助けてもらえる可能性はなかったってことだね……ふたりがいてくれなかったらきっと行き倒れになってた」


「いやいや、シンほどの器保持者(エーテライザー)であれば簡単に切り抜けられただろうさ」


 どう反応をすればいいかわからず、シンはぎこちない笑みを浮かべるしかなかった。


 最初はレリウスとどのように接すればいいかもわからなかった。今置かれている状況はもちろん、相手の素性ひとつわからないまま自然に振る舞うことなどできるわけがなかった。しかしレリウスという男は、そんな状態にあるシンでさえすぐに打ち解けてしまえるほどの聞き上手であり、話し上手だった。


 歳は三十代か、もしかするともっと上の年齢だったかもしれないが、レリウスはシンが敬語を使うことを頑なに拒否した。


「命の恩人であり、ましてやエーテライザーでもあるシンにかしこまっていられると私も気楽に話せない」というのが理由らしかった。

 それでもシンが難しい顔をしていると、レリウスは真面目な顔つきで、エルダストリーにおいて根源(エーテル)という力を扱える者は創造主(エルダ)の祝福を受けた崇高な存在なのだと力説した。


「もしシンがこことは異なる、遥か遠くの地からやってきたとのだとしても。エーテルを扱える以上、それはエルダの恩恵を受けている証拠に他ならないよ」、と。


 そのエーテルというものを操ってレリウスたちを救ったのはテラと名乗るフクロウみたいな鳥だったと言いたかったが、どう考えても上手く説明できる自信がなかった。

 そんな経緯もあり、シンは結局レリウスの言葉を受け入れ、できるだけ自然で失礼のない言葉遣いを心掛けるようにしたのだった。


 おかげで丸一日も経った頃には、シンもレリウスもいたって普通に話せるようになっていた。


 レリウスがシンを特別視する理由は他にもあった。シンからすれば珍しくもなんともない髪と瞳の色、そしてこの顔の造りのことだ。

 レリウスは若いときからさまざまな国へ赴いたことがあるらしいが、シンと似た人種の人間は一人として目にしたことがないと言った。


 人種どころかそもそも暮らしていた世界が違うと思っているシンとはどうにも認識のずれがあるようだったが、そのことが互いに強い関心を()き立てた。

 シンもレリウスも互いのことについてなんでも聞きたがり、肩を寄せ合うようにしながら息つく暇もないほど語り合ったのだった。その結果シンは、いま自分のいる場所が、正真正銘エルダストリーと呼ばれる世界であることを確信するに至った。

 しかし不思議なことに、シンがいた世界と共通していることもあった。


 当たり前のように意志の疎通ができてしまっていること、つまりは言葉だった。


 レリウスの話では、エルダストリーにおいて文字の読み書きができない者は大勢いるが、国ごとによる言語の境界はなく、東方大陸というかなりかけ離れた場所に行かない限り、アクセントや意味合いの違いはあっても皆一様に同じ言葉を話すというのだから驚きだった。そのためレリウスやラスティアと当然のように会話ができているシンは、エルダストリーのどこの国へ行っても意思の疎通には事欠かないということになる。


 シン以上に驚いていたのがレリウスで、シンが元いた世界のことを話しているときは怪我などしていないかのようなはつらつさで、怒涛(どとう)のような質問を浴びせてきたのだった。


 おかげでふたりは短い時間の中で気楽に名前を呼び合える仲にまでなっていた。しかし、互いの世界のことばかり話していたせいで、レリウスとラスティアの身の上話をすっかり聞きそびれてしまっていた。


 ただ、シンが切り出せなかったのは話に夢中になっていたせいだけではなかった。


 だいぶ落ち着いたとはいえ、ほんの二日前に目にしたあの凄惨な光景は、決して忘れられるものではない。その被害者であるレリウスとラスティアに対し、何を、どのように聞いたらいいかわからないという気持ちも大きかった。


 ラスティアはほとんどの時間を荷台で横になったまま過ごしていた。それでも少しずつ状態が良くなってはいるのか、ときおり身を起すようになり、少量ずつではあるが食事や水も()ることができていた。だが、常に体が重苦しいといった感じらしく、必要なとき以外は口を開かなかった。


 今もこちらに背を向けて、肩を小さく上下させている。


「あの子は――ラスティアさんはその、いったいどういった人なの」

 久しぶりの沈黙が、シンの疑問を自然と言葉にしてくれた。


「どこまで話していいものか、私も迷っていたのだが……」

 レリウスもシン同様、自分の興味のみを優先して話題を選んでいたわけではないようだった。


 お互い、深刻な話を切り出す機会を探っていたのだ。


「いまさら隠すことでもないんだが……シンを巻き込んでしまうのではないかと思ってな、なかなか言い出せずにいた。だが、これから先も私たちに同行してくれるとあれば、話しておくべきだろう」


 そう言われてしまうとうすら寒い感覚に襲われたが、黙ってうなずき、レリウスの言葉を待った。


「……ラスティア様は、アインズ王の妹君であるフィリー様の娘、つまり現国王の姪にあたる方なんだ」

「こくおうの、めい?」

 思わず口が突いて出る。普段のシンは口にすることも耳にすることもほとんどない言葉だ。


「そうだ。今回私は、ラスティア様をアインズ王室の一員――アインズの第三王女としてお迎えするため、はるばる王都(オルタナ)からやって来た」

「王女としてお迎えって、今まではそうじゃなかったってこと?」

「ああ。ラスティア様は<アーゼム>の偉大なる支柱の一つ、ロウェイン家のご息女でもある。いくらアインズ王室の血を引いているとはいえ、ロウェイン家に生まれた以上アーゼムとしての使命を全うすることが当然、優先される」


「アーゼム」

 エルダという言葉のとき同様、記憶の片隅にあった言葉が急に浮かび上がってくる。

「……『エルダストリーを安寧へと導く者たち』」


 レリウスは驚いたような表情を浮かべた。

「知っていたのか。今までの様子だと知らないとばかり」

「あ、それは……つまり、いくつかのことは、おれのいた世界にも伝わっていた、というか」


 シンは慌ててごまかした。せっかく打ち解けてくれているのに、「この世界のことを物語として読んだことがある」などと説明したら、いったいどんな反応をされるかわかったものではなかった。


「そうなのか、ならば話は早い」

「あ、でもそんなに詳しくは知らなくて。名前は一緒でも、おれが知っているその、『アーゼム』とは違っているかもしれないし」


 レリウスはふむとうなずいて先を続けた。

「アーゼムはいま君が言ったとおり、二千年以上もの長きにわたりエルダストリーを安寧へと導いてきた存在だ。そしてラスティア様はアーゼムの始祖であるエルダの十二従士が一人、ロウェインの血を引いておられる。つまり、アインズ王の妹君であるフィリー様がロウェイン家の現当主であるランダル様の元へ嫁いで生まれた子がラスティア様、というわけだ」


「……つまり、とんでもなく身分の高い人っていうこと?」


「私なんかがおいそれと近づけるような方ではないよ。アインズ王室の血を引いているというだけならまだしも、これまで多くの英雄、傑物を輩出してきたロウェイン家の直系だ。まさにアーゼムとなることを運命づけられ、その使命を当然のように全うされるはずの方だった……そう、本来であれば誰もがその血筋、その使命に絶対なる尊敬と忠誠を捧げるべきお方だった」


 エルダストリーの世を乱さんとする勢力と対決し、その脅威を取り除こうとうする者たち――

 シンが読んだ物語エルダストリーの中にもアーゼムという名は確かに登場していた。


 いったい、自分が読んだ物語とこの世界は、どのように関係しているのか。考えれば考えるほどわからなくなる。


「その……『だった』、ていうのは」


「ラスティア様は、十二従士の直系でありながら、史上唯一<器>を持たずにお生まれになられた方だ」

 レリウスは険しい表情のまま深く息を吐くようにして言った。


「器を、持たない?」

「シンの反応を見ていると、こことは遥か遠くの地からやってきたのだということを実感するな」


「あ、ごめん……」


「謝ることはないさ。なんとも信じがたいことではあるが、何度も言うがとんでもない勢いで空から降って来たんだぞ? むしろそこらの町に住んでましたと言われた方が驚く」

 レリウスが顔をほころばせながら言った。


 シンは自分のことを受け入れてくれたレリウスに対し深く頷いてみせた。そして自分の中にある知識と、この世界で語られ、存在しているそれとが一致しているかについて知りたいと思った。

「それでその、器というのは? エーテライザーというのは、その器を持つ人のことをいうんだよね」


器保持者(エーテライザー)……生来我々を生かしてくれている生命(ルナ)・エーテルとはまた別に、超常的な現象を発現させる程のエーテルを授かって生まれてきた者たちのことを、ここではそう呼ぶのだ。そして十二従士たちの血を引く者たちは――アーゼムとなるべく定められた者たちは――あきらかにそれとわかる程のエーテルをその身に宿して生れてくる。しかし、ラスティア様は……」


「器が、その資格みたいなものがなかったってこと?」


 レリウスが深く頷く。

「十二従士の血を引く者――いわゆる正統者(オルスト)と呼ばれる者たちの中で器を持たずに生まれてきたのは、二〇〇〇年以上続くアーゼムの歴史上、ラスティア様ただおひとり。そのことを思うと……いったい今までどのような道のりを歩んでこられたのか。器を持たぬ身の上でありながら、いったいどれほどの修錬を積めば、年端もいかぬ少女があのような強さを身に付けられるのか。私には想像することさえできない。おそらく今のこの状態も、特殊な力を使った代償のようなものなのだろう」


 そう言われ、うしろを振り返らずにはいられなくなる。


 一人で武装した大の男二人の喉元を一瞬にして切り裂いた少女。

 血にまみれたその腕で、小さな亡骸(なきがら)をかき抱き、エルダ像に向かって叫んだ少女。

 自分の身に起きた出来事を思い返し、小さく肩を震わせていた少女。

 そして、まっすぐシンを見つめてきた、世にも美しい、翡翠の瞳をもつ少女。


「……レリウスは、ラスティアさんがアーゼムになれないから迎えに来たってこと? アインズの王女様になってもらうために?」


 レリウスが重々しくうなずく。

「とある者の助言に従ってな。もちろん、最終的にはラスティア様のお父上であるランダル様とラウル王のお二人、なによりラスティア様自身がお決めになったことではあるが……周りの者からすれば追放されたようにしか映らないだろう」


「追放って――王女になれるのに?」


レリウスは優しい教師のような笑みを浮かべた。

「さきほどシンも言っていたように、アーゼムとは、エルダストリーを安寧へと導く者たち、この世界の守護者にして調停者。偉大なる使命を果たさんとする、まさに選ばれし者たちだ。彼らの声には一国の王でさえ玉座を降り、真摯に耳を傾けなければならない」


「それは王様より偉いってこと」

「偉い、というのとはまた違うのだが……恐ろしく簡単に言うとそうなるか。とにかく、エルダストリーに生きるる者たちにとってアーゼムとは、最大限の敬意を払い、忠誠を誓うべき存在なんだ。そうなるべくして生まれたはずのラスティア様にとって、アインズの王女という身分がどう映るかは、想像に難くないだろう」


「うん……」

 シンは沈んだ声で頷くしかなった。どうにも自分が読んだ物語に描かれていたアーゼムとはどこか違う気がした。


「あまり実感できないか……オルストはもちろん、特に市井に生まれた者たちがアーゼムとなるのは生半可な道のりではないぞ。アンブロ・エムリスと呼ばれる養成機関に入門し、厳しい修錬を重ね、アーゼムの導師たちから認められなくてはならないからな。そもそもアンブロへ入門するためには、十五の歳を迎えるまでに与えられた試練をすべて乗り越えられなければならん。それはオルストとはいえ例外ではない。ラスティア様もアーゼムとなることを強く望まれていたが、器がなければどうしようもないものらしく、な……」


 レリウスは一旦そこで言葉を切り、ため息をついた。


「結局、認められないまま今年で十七になられた。ランダル様も、ラスティア様の身の振り方を考えないわけにはいかなくなったというわけだ」


「十七……失礼かもしれないけど、もっと年上だと思ってた」

 ようやく、当たり障りのないような言葉がぽつりと漏れた。


「そいえば聞いてなかったな。シンは、いくつなんだ?」

「十六だよ」


 レリウスは思わずといった様子で笑みをこぼした。

「こちらこそ失礼かもしれないが、もっと子供のように思っていたよ」


「間違ってないよ、実際子供でしかないし」


「そうなのか? エルダストリーでは己の生き方を具体的に考えなければならない年頃なんだが。今回のランダル様のご判断も、ラスティア様の今後をお考えになってのことだった。いくら器を持たないとはいえがないとはいえ、フィリー王女のお子でもあるし、おいそれと市井に出せるような方ではないからな。とまあ、このような経緯でラスティア様をお迎えに上がった帰路の途中、先日の襲撃に遭い、君と出会ったというわけだ」


 レリウスはひと呼吸置くように馬に軽く鞭打った。

 馬足が若干早まり、シンはだいぶ慣れてきた馬車の揺れに合わせて座り直した。


「なんか、二人はずっと前からの知り合いだと思ってた」


 レリウスは柔和な笑みを浮かべながらうなずいた。


「初めてお目にかかれたときのことを私は、生涯忘れないだろう。この世に二つとない核光(かっこう)色の瞳をもち、悲嘆(ひたん)の生い立ちをもつ少女……そんな想像しかできなかった自分を恥じたよ。ラスティア様と出会い、私は、一瞬にして魅せられてしまった。そして先の襲撃にあった際の、戦いの場でのお姿……」


 レリウスは、なにか尊いものを見据えるかのように遠くを見ていた。その姿を見れば、レリウスにとってラスティアという少女がどういう存在か、ということはシンでさえ想像できた。

 

 確かにラスティアは、その容姿はもちろん、外見すべてが今までシンが見てきたどんな人間ともかけ離れて美しかった。こうして行動を共にしてからも言葉を交わすどころか、目すらまともに合わせられていないほどだ。だが、レリウスはそれ以上の何かを感じているようだった。


 シンはあらためてラスティアの姿を眺めてみたい衝動に駆られたが、今さらまじまじと見つめるのは失礼すぎると考え、寸前で思い止まった。


「最初は緊張されていたラスティア様も次第に打ち解けてくれてな。こんなふうに道中いろいろな話をしたよ。口さがない人々は彼女に『持たざる者(ハーノウン)』などという()まわしい名を与えたが、私にしてみればそのことが余計ラスティア・ロウェインという少女の人間性を高めているような気がした。要はすっかり心酔してしまったというわけさ」


「買いかぶりです」


 突然飛び込んできた声に、シンとレリウスが同時に振り向く。


 荷台で身を起していたラスティアが、その翡翠の瞳でもってまっすぐシンを見つめていた。


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