第５話「強者たちの密談」
「――どうしてあなたたちが」
三者のエーテルについては確かに感知していたが、その正体がパレスガードであることまではさすがに見抜けていなかった。だが、目の前の相手が体内に留めているエーテルと、外部に漏れ出してくるエーテルとの差を思えば答えは明らかだった。
感知の網を広げていなければ、テラが伝えてくれるまで気づけなかったかもしれない。
「まずは場所を移させてほしい、ここはさすがに目立ちすぎる」
褐色の肌の女が一歩前に進み出ながら言う。
きつく結ばれた唇にすらりと伸びた姿勢、短く刈り込んだ短髪が見るからに忠実な兵士然として見えた。
アナリス王女のパレスガード、ベレッティ・サクリファイスだった。
「それは、できません。おれはラスティア王女のパレスガードです。何かあったときすぐ駆け付けられるようにしていたいんです。おれひとりで勝手な行動は」
たとえこの場を離れたとしても感知を怠りさえしなければ異変にすぐ気づける自信はあった。
だが――
（シェリーさんがいてくれるとはいえ、ラスティアの安全を全面的に託されているのはおれだ）
「常に主の傍らにあることだけが私たちの任務ではありません」
シンの思いを見透かすかのようにまた別の声が飛んだ。
「御身を護ることはもちろん、主が歩かれるその道を先んじて明るく照らし出すことも私たちの大切な役目といえます」
前二人の影のように立っているグレン王子のパレスガード、リーン・テリシアは、丁寧な口調ながらどこか浮世離れしたような声で言った。
思慮深い表情でありながら幼さも垣間見える、年齢不詳な女だった。まるでこちらの頭の中を読み取ろうとするかのようにシンの瞳をとらえて離さない。思わずシンは、他の二人の様子を窺うふりをして視線を外した。どこか、胸をざわつかせる相手だった。
あるいはそれは、先日ローグがラスティアに対し同じようなことを語ったせいかもしれなかった。
（――御身に危険が迫る不穏な企みありしときはあらゆる手段でもって突き止め、対処しなければなりません）。
ローグとリザがラスティアに向けた殺意や、過去に行った残虐な行為のことを思うとどうしようもなく怒りがこみ上げてくる。
周囲にいらぬ混乱と互いに不利益な情報を与えないよう、あの夜のことはラスティアもリザも固く口を閉ざしているが、シンからすればリザもローグも公の場で糾弾されて当然の相手だと思っていた。
「では、この中庭に障壁を張らせてもらうのは許してもらえるだろうか。できれば王宮内で根源を使いたくはないが……他に気取られたくないのでな」
先頭の男が申し出る。最初に声をかけてきたこの壮年の男こそディファト王子のパレスガード、バンサー・ウォールドだった。
シンとは文字通り大人と子供ほどの体格差があり、彫りの深い顔には常に険しい表情が張り付いている。
どうしても、衣服の袖から伸びている筋骨たくましい両腕に目がいってしまう。こちらへ向かって歩いてきたらまず間違いなく道を空けてしまうような相手だった。あからさまに他を寄せ付けないような雰囲気を漂わせておきながら「話をしたい」などと持ちかけられているせいでどうにも印象が整わない。
三人とも先の儀式で目にはしていたが、言葉を交わすのはもちろん初めてのことだった。ましてや彼らはパレスガードとしてはシンの先輩にあたり、経験だけをとれば足元にも及ばない相手だ。
（――テラ、障壁ってなんのことだ）
｟エーテルを周囲に張り巡らせて外部との影響を絶つ業だ。相手の力量にもよるが、私との共鳴も遮断されるかもしれんぞ｠
「わかりました、そうしてください」
シンはバンサーに対し小さくうなずいた。
正直「外部との影響を絶つ」という感覚はよくわからなかったが、ラスティアの部屋のそばから離れるわけでもないうえ、王宮のど真ん中であるということがシンの警戒を緩めた。
何より、三人ものパレスガードたちがいったいどんな目的で自分に会いに来たのか。そのことについて知りたい気持ちがどんどん高まってきていた。
（もしかして、ラスティアやレリウスの役に立つような提案や情報を聞き出せるかもしれない）
先頭に立つバンサーが軽く手を差し出すようにしてシンを中庭へと誘う。
中庭といっても王宮の、それも王女が住まう区域にある場所だ。普通の家のものとは規模からして違う。涼やかな木々や四季の花々が溢れ、エルダと思わしき少女を模した像が佇む噴水から流れ出た水は小川へと連なり、その先には高貴な人々がお茶会でもしていそうな西欧風の東屋まで備えられていた。
シンは三人のうしろから少し距離を置くようにして歩いた。東屋までやってくると、バンサーが深呼吸をするかのように軽く両手を広げた。瞬間、その体内から波及したエーテルが円形状に広がっていき、中庭全体をすっぽりと覆う。
（これが、障壁か）
見た目的にはなんら変わったように見えないが、これまで意識することなく感じていた風や空気の動きがなくなり、不自然な沈黙が迫ってくるような感覚があった。
（テラ、聞こえるか。テラ）
何度か呼びかけてみるが、反応がない。
一瞬バンサーが眉を動かしたため、シンは慌てて共鳴を止めた。
（障壁のせいで、感づかれたのか）
しかしバンサーはそれ以上の反応を見せず、シンを問いただすようなこともしなかった。
「どうか、腰を落ち着けてほしい」
そう言って備え付けられていた椅子を勧める。
シンは左端のベレッティから、バンサ―、リーンへと順に視線を送りながらゆっくり腰を下ろした。
シンが席に着くのを見計らい、三人もそれに倣う。
「それで、話というのは」
「まずは我々に直接関係することから言わせていただこう」
バンサーは口を湿らせるようにすると、テーブルの上でゆっくりと両手を組んだ。自然とシンの上体が気圧されるように後ろへ傾く。
「ストレイ・シンの力は、よくわかった。だからもう、王宮全体に広げている感知の網を解いてもらいたいのだ。今の我々は常にあなたの手の平の上にあるような状態に晒され、一時も気の休まるときがない」
「それは――」
思わず言葉に詰まった。まるで予想していなかった話だった。
「もちろんラスティア王女の身の安全を思っての行動なのでしょう。ですが、少なくとも私たち三人は――我々の主たちは、ラスティア王女に危害を加える意志はありません。せめてあなた方の当面の敵であるリザ王女とローグに的を絞ってもらえるとありがたいのですが」
淡々とリーンが言う。
「的を絞るって……どうして二人がぼくたちの敵だと思うんですか。それに、今は次の王様の座をめぐって争っている最中なんでしょう？ あなたたちがラスティアーー王女に危害を加えないって、どうやって信じればいいんですか」
極力ストレイについて触れないよう、注意深く聞いた。
「最初の疑問は、ごく簡単な話だ」ベレッティがぎこちない笑みを浮かべながら言った。「リザ王女とローグを前にしたときのあなたを見れば、嫌でもわかる。ラスティア王女とは違い、顔や態度に出すぎているからな」
咄嗟に反論しようとしたが二の句が出てこなかった。
「さらに言わせてもらえれば、今のあなたの反応で確信できた、といったところでしょうか」
そのようなリーンの言葉を聞いても、一瞬何を言われたのか分からなかった。しかし理解した時には口惜しさに唇を噛み締めそうになっていた。
（情報を聞き出すどころか簡単に手玉にとられてるじゃないか……！）
「失礼ながら、今のあなたを見ていると少しだけほっとする」
「ほっとする？」
心なしかベレッティの表情が緩まるのを見て、シンは眉をひそめた。
「こう見えて我々は、かつてないほどの緊張を強いられている」言いながら、バンサーは深くうなずいてみせた。「正直に言おう。こうしている今も、気を抜けば体の底から震えが込み上げてくるくらいだ。いったいどのようにして自身が宿す以外のエーテルなどという途方もない存在を操っているのか。それだけではない。それほど大量のエーテルを扱いながら、なぜ、意識を保っていられるのか。なにより生命エーテルを宿さぬその身で、なぜ生あるものと同じように動くことができているのか。これらすべての事実はあなたがストレイであるという証拠に他ならない。我々は確かに伝説上の存在と向き合い――口を利いているのだ、と」
「ですが、その存在といま私たちが向かい合っている少年とが、どうあっても結びついてくれないのです」
リーンがバンサーの後を引き継ぐ。
「本来であれば地に頭をこすりつけ、創造主にも等しい儀礼でもって相対すべきだったのかもしれません。ですが、王宮でお見かけする――いえ、ひたすらその動向を注視しておりました――あなたは、どうあっても年相応の少年にしか見えませんでした。アルゴード侯をはじめ、バルドー侯、シャンペール侯さえ、あなたとはごく自然に接しているようにお見受けしました。あまつさえ、直にその名を呼びさえしていました。過ぎたる儀礼は時に相手を不快にさせます。その事実が、ストレイ・シンあるいはシン様という呼称すら躊躇わせ、私どもを浮わつかせるのです。いったいどのような言葉と態度でストレイにお目通り願えばよいかと考えあぐねた挙句、結局このように不躾な形となってしまいました。定まらぬ言動とともに、どうかお許しくださいますよう固くお願い申し上げます」
固くお願い申し上げられるようなことではまったくなかったので、シンはぶんぶんと首を振った。
「いやおれなんかのことでそこまで考えてくれなくていいですから。自然に話かけてくれた方がおれも変な気をつかわなくて済むというか。レリウスたちにもそう言ってるし」
「ありがたい。それで――先ほどの申し出については受け入れてもらえるだろうか」
バンサ―が言った。
「俺の質問に答えてくれたなら、考えます」
「我々がラスティア王女に危害を加えないといったことを信じるにたる理由、ということだな」
「そうです。おれだけじゃなく、ラスティアやレリウスにも納得してもらえるような説明を聞かせてください」
変に上に出るようなことはしたくなかったが、事はラスティアの安全に関わることだ。譲る気はまったくなかった。
それだけではない。パレスガードが「主を映し出す鏡」だとすれば、この三人の下手に出るということは、ラスティアが彼らの主より下に見られるということだ。
先ほどは簡単に手玉にとられてしまったが、うつむいてばかりいるわけにはいかなかった。
「そのことに答える前にもうひとつ頼みたいことがあるのだが、よろしいか」
「頼み？」
「そう難しい話ではない。ストレイその人であるあなたにこの場で立ち合っていただき、我々を完膚なきまでに叩きのめしてもらえればいいだけのこと」
バンサ―は表情ひとつ動かさないままそう言った。
