第3話「ラスティア王女の側近たち」
「……それで、レリウスはなんて答えたの?」
レリウスの話にひたすら耳を傾けていたシンは、恐るおそるといった感じで訊いた。
リヴァラ水上宮にあるラスティア王女付の一室に、今やラスティア陣営ともいえる面々が集まっていた。
先日行われた領侯会議の内容と今後の方針を共有するための場であり、集められたのもラスティアの側近ともいえるごく少数の者たちのみだった。
正式にラスティアのパレスガードに任命されていたシンは、片時もラスティアの傍を離れることがなくなっていたため、当然その場に居合わせることとなった。
「『そのようなことを言われても常人でしかない私にはなんとも言えん』と突っぱねたよ。実際そのとおりだからな。シンがストレイか否かなどと、わざわざ申し出る利も義理もないというのが私たちの見解だし、そもそも私にとってシンはシンであって急に変異種のような化け物に成り代わったわけでもない」
レリウスは笑み浮かべながら顎をさすった。
「まったくだわ」
シンの隣に座るラスティアが深く頷く。
「シンのことを知らない人が何を口にしようと気にする必要なんてないもの。私たちは私たちのできることを粛々《しゅくしゅく》と進め、人々の信頼を得ていくのみよ」
「ラスティア様とシンには、ぜひアルゴード侯の面の皮の厚さをご覧いただきたかった」
リヒタールが真面目腐った表情で言った。
「レスターム侯を含め、反ラスティア王女派の者たちはレリウスの首を締め上げたくなっていたことでしょうよ」
「私としては、もう少し説明のしようがあったのではないかと思わぬでもなかったが。実際ノルマン侯などはずいぶん興奮なさっていたからね」
ルノは普段の彼らしい物言いをした。
アインズの十三領侯に名を連ねている二人は、もちろん先の会議の場に出席していた。
「あの阿呆のことなどどうでもいい。レスターム侯の代弁者をきどっていたのかもしれんが相変わらずの無能っぷりだった。結局はディファト王子を支持する頭数の一つ、くらいにしか見られていないのさ。だからこそああしてレリウスに喰ってかかり自分の評価を上げようとしていたんだろう」
「それはそうかもしれないが……わざわざ表立って敵対することもないだろう」
「シャンペール侯の言葉、確かに一考の余地があります」
今まで黙っていた初老の男がぽつりと口を挟んだ。
シンがラスティアとともにこの部屋へ入ってきたとき、真っ先に目についた人物だった。小柄な体でひっそり部屋の隅に座していながら、反射的に頭を下げずにはいられないような威厳を感じていた。
「と、言いますとブレスト侯」
レリウスが訊いた。シンを含め、その場にいた全員の視線が件の老人へと向く。
「先の領侯会議で他の王子王女派が追求したかったのは、ラスティア王女がパレスガードとして任命した者こそストレイその人であるということ。そしてかの者が原因となり、我が国が窮地に陥ってしまうということです。仮にそうなってしまった場合、すべての責はラスティア王女にある。さすがに直接口にはしなかったものの、ラスティア王女を王位継承者の一人として数えるなど言語道断である、そう突き付けたかったのでしょう。すべてはラスティア王女排斥の布石とするために」
ブレスト侯はラスティアとシンに一礼し、続けた。
「もちろんこれはディファト王子派の言い分であり、他の王子王女を支持する領侯たちがどのような立場をとるかはわかりません。が、アルゴード侯がオルタナに戻られ、バルドー侯、シャンペール侯とともにラスティア王女を支持すると明言したからには、我が国に第五の勢力が出現したと言ってしまっていいでしょう。領侯の数ではディファト王子派に及ばなくとも、アナリス王女、グレン王子派を抑え、リザ王女派と並びます。ましてやここにおられる御三方は、将来のアインズを背負って立つと名高き方々……当初から国王となられる可能性が低いアナリス王女、グレン王子を支持する領侯たちは相当に頭を悩ませていることでしょう」
「つまり国王選定の儀が迫る今、対立するのはディファト王子派あるいはリザ王女派のみに絞り、他の領侯たちに対しては懐柔の道を示せ、と」
「アルゴード侯、まさにその通りです。王になる目がない王子王女とその支持者たちにとっては、この先誰に付くかが自分たちの趨勢を決めるわけですから」言いながら、フォフォフォと声を上げて笑う。「私などが物申さずともすでにお考えのうちにあったとは思いますが」
「滅相もない、若輩者の身にはもったないなきご助言です。候の方こそ、あえてディファト王子派につき王子と宰相の独裁を御諫めするなど、私ごときには到底真似できぬこと」
「それは私共とて同じ思いです」
レリウスの言葉にルノが同調し、リヒタールともども深々と頭を下げる。
「常日頃のご心痛、いかばかりかとお察し申し上げます」
ブレスト侯はそのような三人の姿に目を細めながらうなずいた。
「御三方の言葉、老身に滲み入る。先行き短いこの命、今なお冥府の世を彷徨っておられる陛下のためならばいつでも差し出す所存であり、陛下が何より慈しんでいたアインズを治めるに相応しい人物へ私のすべてを捧げることこそ最後の使命。なればこそ、ラスティア王女と――それに、こう申してよろしいかはわからぬが――ストレイその人がどのようなご意志、お考えでもってこの国の趨勢に関わろうとしているのか、ぜひご自身の口からお聞きしたいと存じまする」
穏やかな表情と口調からは想像できないほど鋭い眼光がラスティアと、そしてシンへと向けられる。
一瞬目を逸らしてしまいそうになったシンだったが、真っ向からブレスト侯の視線を受け止めているラスティアを視界の端にとらえ、同じように見つめ返した。
自分だけのことならまだしも、ラスティア王女のパレスガードたる者がそう易々《やすやす》と臆した態度をとるわけにはいかなかった。
「陛下の若かりし頃から共に我が国を支えてこられた賢者ブレスト候に対し、申し上げます。私、アインズの第三王女にして第五王位継承者ラスティア・ロウェインは、決して次期国王の座を欲しているわけではありません」
咄嗟に何かを言いかけたレリウスをリヒタールが目で制す。
ルノも黙って事の成り行きを見守っている。
「ですがこの国には、得体の知れない何かが蔓延っています。一国の王女でありながらリザ王女とそのパレスガードたるローグは、かつての私の仲間たちを惨殺しただけでなく、主のために多くの者たちを屠ってきたと……しかもその背後には、禍々《まがまが》しく巨大な力を持つ者の存在がありました。シンがいなければ私の命もなかったでしょう」
ラスティアはシンの方に目をやり、目くばせしながら頷いてみせた。
「ディファト王子にしても、西方諸侯においては禁忌とされている核光学技術に手を出し、それが真実か否かは別としても、バルデスによる侵攻を許す隙を与えてしまいました……何より、ラウル王が病に伏せたあと権勢を握っているディファト王子には、民の暮らしをよくしようという姿勢がまるで感じられません。それはこれまで王子の行ってきた政の顛末をみれば一目瞭然です。もとよりアインズを含め西方諸国には貧富の差が広がる傾向にありましたが、権力者や富める者の力はますます強まり、貧しき者たちに対してはまともな施しすらありません。私は、直に見てきました、この者の存在こそがその証明です」
突然、皆の視線を向けられたダフが慌てて姿勢を正した。
短期間のうちにではあるが小姓としての立ち振る舞いを身に付け、常にラスティアの傍に控えるようになったダフからは、シンたちが始めて出会った「外周の子供」時代の面影は見られなくなっていた。とはいえシンと話すときは、表情と話し方が年相応になったこと以外ほとんど変わらなかった。
「私がこの国の王女としてオルタナに赴いたのは、たとえアーゼムになれなくてもできることがある、己の使命を果たす手段は他にもあると考えたからです。ご存じの通り、わたしは『持たざる者』としてこの世に生を受けました。根源を宿す器がなかったとしても、一人でも多くの人々の暮らしを良き方向へと導けるだけの器はあって欲しい。そんな思いだけでここまでやってきました。けれど……」
ラスティアはそこで言葉を切り、小さくうつむいた。だが、すぐに視線をブレスト侯に戻すと、今まで以上に力強い言葉で続けた。
「けれど、何の力も持たずして自らの理想は実現できない。いえ、理想の実現どころか、自分自身はおろか目の前にいたはずの少女ひとりさえ守れませんでした。それでも、ただやみくもに力を求めるのは違う――違うのだとわかっています。それが権力者の多くを破滅へと誘う道であるということは、多くの歴史が語ってくれています。だからこそ私は、仲間を――同士を集めようと思いました。ただ私の命に従うのではなく、弱き者のために闘い、人々を護り、安寧の世へと導いてくれる、そんな者たちを。今までの慣習に縛られない方法でパレスガードを募ったのは、そのような思いがあったからであり、皆に対する私の決意表明のようなものでした。私はもう、自分のゆく道を選びました。この国で、レリウスたちとともに歩むと決めました。何より幸いなことに、この世で最も心強い存在が、常に私の傍にあると言ってくれました。だからもし、私たちが歩む道の先に水晶の玉座と王冠が待ち受けているのだとしたら、私は同士たちの代表として、それを受け入れようと思います。ブレスト候、私のこの言葉が、あなたの望んでいる答えになっていればいいのですが」




