プロローグなきエピローグ②
その男は高くそびえ立つ塔の一室に佇んでいた。
均整のとれた長身を微動だにさせず、窓の暗雲立ち込める空をじっと眺めている。
「ランダル」
うしろから呼びかけられ、顔を向ける。同じような年齢と背恰好をした男が一人、室内へと足を踏み入れてきた。
「評議会ともあろう場が、かつてないほど紛糾してしまったな」
苦笑ともいえぬほど微かな笑みを浮かべながら近づいてくる。
「ストレイの降誕はいつの世も大いなる変革をもたらしてきたからな」
ランダルは表情を変えないまま小さくうなずき、再び外へと視線を向けた。
短く切りそろえられた白髪と髭、顔面に刻まれたしわと深い傷、なにより微塵の隙もないかのような後ろ姿がランダル・ロウェインという男の素性を物語っているように見えた。
「前回光柱が出現したのはすでに三〇〇と五九年も前か。記憶の隅に追いやられていたはずの存在が、よもや私たちの代に現れようとは」
大地を震わす程のエーテルの波動を感じたのは、まだ陽が昇るか昇らないかという時だった。巨大に渦巻く雲の中心を一筋の光が貫いていくのを、彼らは確かに目にしたのだった。
「おまえはこの状況をどう見る、シーヴァル」
シーヴァルと呼ばれた男がランダルの横に並び立ち、同じように空を見上げる。
「エルダストリー全土が揺れるだろう」
柔和な表情とは裏腹に、その言葉は聞く者をはっとさせずにはいられないほどの鋭さを孕んでいた。
「継承者の全員がそろうこともままならん世界情勢の中、かのストレイまで降誕してしまった。どの国の誰が何を考え、そして動くか……まったく予測がつかない。西方諸国の中にはなんとしてもストレイを手中に収めたいとする勢力も必ず出てくるはずだ。ましてや東にまでこのことが伝わってしまえば――」
ランダルが小さくうなずく。「ただちに排除すべしというシャーリーの意も、あながち行き過ぎとは言えんか」
「べルティアの人間はどうにも血の気が多くて困る、などといったら紛糾どころの騒ぎではなくなるな」シーヴァルが鼻で笑う。
「いずれにせよ、カイオスの二の舞になるようなことだけは避けねばならん。評議会での決定どおり、ひとまずはストレイと接触してみる他ない。人選には慎重を期す必要があるが――誰を向かわせるかについてはこれまで以上に揉めだろう」
「それもそうだが、よりによってアインズとは……皆の推測どおり、ザナトスでの一件は間違いなくストレイによるものだろう。だとすれば、今かの者と共に行動しているのはラスティアということになる」
「だろうな」
「悠長に構えている場合か。せめてこれからはアーゼムという鎖に縛られることなく生きてゆければと願っていた矢先にこのような事態に巻き込まれようとは……ラウル王の言葉を受けたおまえの決断が裏目に出てしまった」
「シーヴァル、あやつは自分の意志で決めたのだ」ランダルはこれまでとなんら変わらぬ口調のまま言う。「どのような行く末が待ち受けていようと、あの娘自身が受け入れるべきこと」
「おまえらしいといえばそれまでだが、このまま捨て置くことはできん。俺は俺で動かせてもらうぞ。ラスティアのことは生まれたときから娘同然に思ってきた。持たざる者などと、すでにあまりにも重い烙印を背負わされてきたのだ、これ以上過酷な運命へと追いやられるいわれはないだろう」
「……ロウェインの遺言が確かであれば、むしろ宿命か」
ランダルはシーヴァルにも聞こえぬほどの声でつぶやいた。
「なんだと?」
「いずれにせよ、ただでは済むまいよ」
娘とはまるで異なる蒼き瞳は、何ものを見通すかのような深淵さを称えながら遠く暗闇の空を見つめ続けた。
§§§§§
「ただいま戻りました」
薄暗い、崩れかけた聖堂の中、女の声が陰々と響いた。
「ずいぶんと失態だったようだな、ベイル」
中央に立つ男が、ベイルを背に向けながら言った。建物同様に崩れかけのエルダ像を見上げるようにしているが、目深に被った外套のせいでその顔を窺うことはできない。
「申し訳ありません……まさか、あれほど強力なエーテライザーが現れるとは」
一方のベイルも相変わらず面頬をつけたままであり、くぐもった声がその隙間から洩れてくる。
「ザナトスでいったい何が起きたのかと訝しんでいたが……さきの光柱の出現で納得がいった。おまえも目にしたはずだ」
「いや、しかし――」ベイルは動揺を隠せない様子で言った。「あの光はその……本当にストレイであると?」
「この俺が見間違おうはずがない。確かにヘルミッドごときでは手も足も出なかっただろう。ローグを介していた俺も軽く弾き飛ばされてしまったくらいだからな」
「そんな――マールズ様が?」
「驚くことはない、相手がストレイであれば当然のこと。そんなことよりやつはなんと言っている」
マールズが後ろを振りむく。ベイルが改めて姿勢を正した。
「ストレイが何を目的として行動しているか、その人となりや周囲との関係性について探るのが先決だ、と」
マールズの口から低い笑い声が響く。「お前には到底出来ぬ役目だな。むしろ今までよくあの娘に悟られずにいたものよ」
「とうに死んだ者と思われている身です、ベイルという者の正体が私などということは想像すらしていないでしょう。ザナトスで擬態を見破られたときもレイブンでの襲撃者としか認識していませんでしたから……とにかくあの方は、ストレイに近づけるような誰かを送り込むようです」
「悠長なやつだ、早々に片を付けんと取り返しのつかんことになるというのに。互いの目的にとって間違いなく強大な障害となろう。やつに伝えておけ、ストレイの相手は俺がすると」
「マールズ様自ら?」ベイルが思わずと言った様子で言う。「ストレイについては私も人並には知っているつもりですが、本当に歴史が語るような存在なのですか」
「月日というのはやはり残酷だ」
マールズがベイルへと近づきながら言う。
「いくら歴然とした事実であっても、その目、その身で直に知りえないことはいともたやすく忘れ去られてしまう」
マールズがベイルの面頬を軽く持ち上げ、その下に見えた細い首と顎にそっと手を這わせる。
はじめてラスティアの前に現れた背格好とは似ても似つかない、今のベイルはいまだ年端もいかぬ少女のようにさえ見えた。
「おまえの細首など、ストレイの意志一つで簡単にへし折られよう」
ベイルは身動きひとつできないまま唾を飲んだ。
「俺は――俺たちは、誰よりも知っているのだ。エルダストリーの絶対者ストレイ。その真の正体と恐ろしさをな」
「差し出がましい口を――」
「気にするな。それで、おまえはこれからどうするつもりだ。やつがおまえを捨て置くのなら黙っている必要はない、己の意志に従って動くがいい。ローグにはまだ使い道があるゆえ抑えてもらうが、あの娘はおまえの好きにして構わんだろう」
「いえ……先の暗殺とザナトスでの捕縛に失敗してしまいましたので、あの方からはしばらく控えていよと」
「度重なる失態の、それが処罰というわけか。あるいは単純に期を逸したか……なんにせよ、こんな場所でくすぶっている必要はない、おまえが望むなら俺への同行を許そう」
「よろしいのですか?」
「ああ」
「ありがとうございます。必ずやお役に立ってみせます」
「そう急かなくとも、お前の器はいまだ成長段階にある。俺との修練次第ではアーゼムに匹敵するほどの力も望めるやもしれん。『擬態』については言うに及ばずだが、もとの名は完全に捨てたのか?」
マールズの喉元から、低く唸るような笑い声が漏れる。
「……今はもう何の感慨もありません。昔の私は、兄や仲間たちとともにここで――このディスタの旧市街で死にました。今は仲間たちを皆殺しにしたローグと、皆を見捨て一人おめおめと生き延びたラスティアへの復讐を果たすことだけが願いです。そのためならこの命、いかようにでも使ってみせます」
「復讐者と敵対者、両方を同時に生み出してしまうとはな。ローグもまたずいぶんと因果な醜態をさらしたものだ」
「私を教え導いてくれたマールズ様にはどれほど感謝してもしたりません」
「気にするな、俺にとっては長すぎる生のほんの暇つぶしに過ぎん。そういう意味では本来の力を取り戻したストレイと闘ってみるのもまた一興だが……まず消されてしまうだろうよ」
「消される? マールズ様が?」
「我らがこれから挑もうとする相手はストレイ、文字どおりの絶対者だ。そして今後、かの者が我らの前に立ちはだかることも大いにありえる。だからこそ――」
不敵に笑うマールズの瞳が、薄暗い聖堂の中で金色へと輝いていく。
「根源を使いこなされるその前に、ストレイの命を刈る!」
第二章、完結となります。お読みいただいた皆さん、本当にありがとうございました。
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