第35話「花園の中で」
「ふたりは……これからどうするつもりなの?」
ラスティアが聞いた。
「正確には一人と一匹だけどね」シンが言う。
「それを言うなら一人と一羽だ」テラが言い返す。
「おまえみたいな鳥がいてたまるか」
「その程度の想像力しかないからエーテルをかき集めるくらいのことしかできんのだ」
「そんな、喧嘩しないで」
ラスティアは困ったような笑みを浮かべたが、それもすぐ険しいものへと変わる。
「ローグたちのことは……とりあえず大丈夫だと思う。私を武装蜂起を企んだ反抗組織の一員として陥れようとしていたけれど、突然の《《介入者》》のせいでそれどころではなくなってしまった。あの状況ではリザ王女も下手に動けないはず、最後に見せた彼女の慌てぶりがそれを物語っていたもの」
「……ローグってやつのあの変貌っぷりはなんだったんだろう。まるで誰かに身体を乗っ取られたみたいだった」
ラスティアの前に飛び出すのがあと一歩でも遅かったら――考えただけで背筋が寒くなる。
「何を言ってる。やつの身に起きたことはおまえが一番よくわかっているだろう」
テラがなんでもないことのように言う。
「おれが? なんで?」
「同じような経験をしているからだ。まあ、おまえに介入していたのはあんな野蛮で品位の欠片もない相手ではなく、知性溢れる賢者だったわけだが」
「はあ?」
「疎いにも程があるな。おまえがはじめてここへ来たとき誰が守ってやったと思っている。ヘルミッド相手にエーテライズの手ほどきをしてやったのは、いったい誰だ」
「あ」
そこまで言われてようやく「共鳴」なる言葉を思い出す。
「おまえがおれの体を使うみたいにするあれか!」
「同じとはいわんが、まあ似たようなものだろう。私の場合、無理やり意識を奪い取るような真似はしていないがな」
「相手の正体はわからないけど、今テラが言ったような業については聞いたことがあるわ」
ラスティアが慎重な口ぶりで言う。
「確か、アーゼムにおいては禁忌とされていたはず……そこらのエーテライザーに修得できるようなものじゃない」
「だろうな。しかしよくもまあ、おまえの前にはずいぶんといろんな敵が現れるものだ。基本私はシン以外興味はないのだが、見ていて飽きない」
「そんな言い方するなよ」
ラスティアの過去を知ってしまったシンには、テラの言い方があまりにも不謹慎なように思えた。
「いいの、気にしないで」
ラスティアが小さく笑みを浮かべながら首を振った。
「それはそうと、いつまでこうしているつもりだ。さすがに人が集まってくる頃だろう」
「ひとまずここにいる間は見つかるようなこともないと思うけれど……」
「それは、誰も来ないってこと? こんなに綺麗な場所なのに?」
「むかし、私の母が作った庭園なの。何か考え事があったり、一人になりたいときは必ずここへ来ていたと聞いたわ」
「ラスティアのお母さんって、この国の王女様だったんだっけ?」
「現国王の妹にあたるわ――とにかくその名残で今もごく限られた庭師だけしか出入りできないことになっているらしいの。それに今日は祝祭日だから彼らも来ないはず」
シンは今いる場所のことよりも、ラスティアの母親に対する口調やその言いまわしに、小さな違和感を感じた。しかしその正体についてはまったく理解できず、すぐに意識の外へと飛んでいってしまった。
「でも、先ほどのエーテル騒ぎでどの程度の警戒態勢が敷かれるかわからないし、ここへも兵がやってくるかもしれない……光柱なんて到底信じがたい現象が起きてしまった以上、総力をあげてその原因を探ろうとするはず――」
突然ラスティアが、何か、とてつもなく重要なことに思い至ったとでもいうかのように口を覆う。
「ラスティア?」
「シンの発現させた光柱は大勢の人の目に……アインズどころかあのとき空を見上げていた人々全員が目にしてしまったはず――」
「だろうな。あれだけ大量かつ高密度のエーテルともなれば、器保持者でなくとも容易に目にすることができただろう」
相変わらずの調子でテラがうなずく。
「なんか、まずいことでもあるの」
ふたりのやりとりを聞いた途端、鼓動が一気に早まる。
「シン、あなたの存在が……ストレイがエルダストリーの地に現れたということが、大陸全土に知れ渡ってしまう」
動揺に揺れる翡翠の瞳に見つめられ、思わず身を引く。
ラスティアの危惧していることが今一つわからないまでも、なにか、とてつもないことが起きてしまうといった気配が伝わってくる。シンは泳ぐような視線をテラへと向けた。
「つまり、エルダストリー中の人間たちが躍起になっておまえを探し始めるということだ」
「ど、どうして」
「おまえがこの世界に生きる者たちにとって捨て置けるような存在ではないからだ。ストレイと呼ばれるようになった過去の者たちがそうさせてしまうのだろう。特に、ウォルトあたりがな」
ラスティアが険しい表情でうなずく。
「空から無数の星を落とし、大帝国カイオスを大陸ごと消滅させたとされるストレイ、ウォルト……その凶行は数百年経った今なおエルダストリー全土に語りづかれているわ。国を失ったカイオスの子孫たちが自らを『放浪の民』と称し、その恐ろしさを世界中の人々に伝え続けたからよ。ストレイの逆鱗に触れ、エルダの創りたもうた大地を失った責を一身に受けながら、ね。レクストやエバたちもそうだった……心ない人たちは彼らのことを放浪の民どころか『下民』と蔑み、今なお虐げ続けているの」
ウォルトの名が、今になってシンの頭を反芻する。確かに彼は、物語の中において絶対者と言う名で崇められていた……。
先ほどの話にも出てきていたはずなのに、過去に自分と同じような人間がいたという事実に驚愕してしまい、頭の中からすっかり飛んでしまっていた。それにも増して記憶にある名前とまったく結びついてくれなかった。
以前読んでいた物語、その主人公の青年ウォルト。シンと同じように異世界へとやってきて、同じように根源を操る存在として描かれていた彼は、多くの人々と出会い、成長し、腐敗しきったカイオスという国を立て直し、周辺諸国からの侵攻を跳ね除けながら英雄としての道を歩んでいく――それがここでは過去に実在した人物として語り継がれている。このことは、いったい何を意味しているのか。
ウォルトという名前、エーテルの存在とそれを操る力、カイオスという国、創造主エルダ、そしてストレイ。共通することも少なくはない。だが、シンの知る物語の登場人物と、二人が口にしたウォルトの人物像がどうにもかけ離れている。
主人公ウォルトは救国の英雄であり、凶星などとは呼ばれていなかった。ましてや国を消滅させてしまうような人間ではなかった。物語が進むにつれて逞しく成長していくものの、他人を思いやれる、国の行く末を憂う心優しき青年として描かれていたはずだ。
(もしかするとおれの読んでいたエルダストリーという物語も、いまラスティアたちが言っているような結末を迎えるってことなのか……?)
途中で読み進めるのをやめてしまった自分には、なんとも答えようのないことだった。だが話の展開上、そのような結末はどうにも想像できない。
自分の知る物語と、いまこうして確かに実在している世界。繋がりそうで繋がらない事実と事実。
考えても仕方がないと、なるべく考えないようにしていた。だが、一度向き合ってしまうと答えのない思考の渦へと引き込まれて抜け出せなくなってしまう。
「――ン、シン?」
ラスティアにのぞき込まれるようにして声をかけられ、はっと顔を上げる。
「何か、思うことでもあったの」
「ごめん。突然自分のことを言われたから、驚いちゃって」
説明しようにもうまく言葉に出来ない事はわかりきっていた。
「シンが私たちの世界にやって来たときのことは聞かせてもらったけれど……信じられなくらい唐突に、ということくらいのことしかわからないのよね?」
シンは深くうなずいてみせた。「……本当に、わけもわからないうちにって感じだった」
「まあ、いずれ答えがわかる日もくるだろう」テラが言った。
「おまえは、知っているのか」
「何をだ」
「全部を、だよ」
「だとすれば黙っている理由はない。知っていることはもちろんあるが、おまえの望んでいるような答えでないことは確かだ」
相変わらず回りくどく小難しいような言い方をする。シンはため息をついた。
「そんなことよりもこれからどうするかについて話し合っていたのではなかったのか」
「そうね、とにかく今はシンがここにいるということを気づかれない方がいいわ。かといってこのまま私の傍にいてもらうのは目立ちすぎる……そろそろ侍女たちも部屋に来てしまう時間だし」
ラスティアがじっと考え込む。
「テラ、どすればいい」
「さあな」
「さあなって、もとはといえばおまえが」
「おかげでラスティアの身を危険に晒さずにすんだ。違うか?」
「それは――そうだけど」
なんだか釈然としない気持ちで押し黙る。
「私なんかよりレリウスに相談すればいい。あやつなら上手く対応するだろう」
「あ、そうだよ。レリウスを頼ろう」
シンは即座にうなずいた。それ以上の妙案はないような気がした。
「そうね、それしかないわ」
ラスティアが深く息を吐くようにして言った。
「何か問題でもあるの?」
「……今回のこと、何もかもを秘密にしたまま一人で行動したうえシンがいてくれなかったら命すら危なかったなんて――会わせる顔がないわ」
「会わせる顔がないって? レリウスに?」
「うん……なにより私のせいでシンの存在が知れ渡ってしまうということが、相当頭の痛い問題になるんだと思う。ザナトスでの一件以来、シンがストレイであるということは、私もレリウスもほとんど確信に近い思いを抱いていたのだけれど、皆にそのことを知られた場合どれほどの影響が及ぶか想像もできなかった……だから少なくとも私の立場や身の回りが落ち着くまでは胸にしまっておくつもりでいたの」
そう力なく口にするラスティアに対し、なんと言ったらいいのか。事が自分のことに及んでいるだけに、申し訳ない気持ちになった。
「なんか……おれの知らないうちにたくさん迷惑かけていたみたいで、ごめん」
なんとかそう口にすると、ラスティアは大きく目を見開きながら首を振った。
「違うのシン、謝る必要なんてない。あなたがいてくれなかったら私はすでに三度命を落としているのよ? 感謝こそすれ迷惑だなんて、そんなこと一度たりとも思ったことないわ。さっきパレスガードのことを口にされたとき――本当に嬉しかった。けれどすぐ、まったく別の感情が込み上げてきたの……だって私は、あなたに何もしていないもの」
誰もが見惚れるラスティアの顔貌が、必死の形相となって目前へと迫る。
「これだけのことをしてもらうようなことを、私は、何もしていない。あなたに受けた恩を、どうやって返せばいいの? 私にできることはなに? これから先も、ストレイであるあなたに返せるようなものなんて――」
「もう十分、よくしてもらってる」
「え」
ラスティアの顔を真っ向から見返すことができず、ふいに視線が周囲の草木や花々へと移す。
「……おれ、根っからの田舎育ちでさ。人の多い場所とか、全然行ったことなかったんだ」
ラスティアはこれまでの激情を引っ込め、立ち尽くすようにした。
「けど、母親が死んでからかなり大きな街に住むようになって、思ったんだよ。ああ、人が多くいる場所のほうが、寂しいもんなんだって。行き交う大勢の人たちが――自分のことを知らない人間が大勢いることが、これほど心細いものなのか、て。この世界に来てそう思わなかったのは、間違いなく君と、レリウスのおかげだよ」
それと、あの鳥みたいなやつ。そう付け足すと、言い方が気に入らなかったのか、テラはあらぬ方向に首を向けた。
「どうしてこんなことになっちゃったのか、今だって全然わからない。本当にわからないことだらけだけど、確かなこともあるんだ。前も言ったと思うけど、はじめてここへ来たときおれは、間違いなくきみのところに……きみが危険な目にあっていたあの場所に引き寄せられた。このあまりにも広いエルダストリーという世界でたった一人放り出されていたらなんて考えたくもない。だから、きみと出会ったことには意味があるんだって、そう思いたいし、そう思わせてほしかった。そして今日、きみの話をきいたあと、全力でこの人を守れって――それがおまえの役目だって言われた気がしたんだ。おかしな言い方かもしれないし、不謹慎な言い方かもしれないけど、自分がここにいる理由みたいものが実感できて、おれ、ほっとしたんだよ……だから、なにか返してもらう必要なんて全然ない。それだけでもう、十分さ」
ラスティアは、一時たりともシンから目を離さなかった。
まるで初めて相対する人間のように、初めてシンの内面を垣間見たかのように。そのあまりにも神秘的な翡翠の瞳でもって、ひたすらシンを見つめていたのだった。




