第34話「過去のストレイ」
「まさか光柱まで出現させてしまうとはな」
突然降って湧いたような声が聞こえ、シンとラスティアは慌てて身体を離した。
見上げると、いつものフクロウが空中を旋回するようにしながらこちらへ降りて来る。
「テラ!」
ある意味、シンがこの世界に来て一番焦った瞬間だったかもしれなかった。
ラスティアに聞こえるんじゃないかと思うくらい、心臓がばくばくしていた。うまく騒ぎの場から逃げ出してきたとはいえ、王宮のど真ん中で王女と密会しているどころか――ごく自然とそうなってしまったとはいえ――抱き合っていたのだから。
「突然話しかけてくるなって毎回言ってんだろ!」
ラスティアの方はといえば、シンのように取り乱すようなことはなかったが、あまりにも唐突なテラの出現に目を丸くさせていた。
「感知を怠るなと何度言えばわかる」
「おまえのエーテルは自然に溶け込みすぎてわかりずらいんだよ!」
「だからこそだ。常に私をとらえることができさえすれば他のエーテライザーを感知することなど造作もない、相手の力量も正確に推し量れようというものだ。それなのにおまえときたら……先ほどのエーテライズはいったいなんだ。まるで巨人が赤子を踏み潰そうとしているかのようだったぞ」
「……まさかおまえ、今までのこと全部見てたのか」
「ああ」
「自分がいない方がゆっくり話せるとか言ってたくせに?」
「見聞きしないとは言っていないが」
「ラスティアが襲われそうになったときも?」
「今のおまえなら問題なく撃退できると思っていたからな。さすがに光柱まで出現させるとまでは予測できなかったが」
「教えてくださいテラ」
シンが何かを言うより早く、ラスティアが口を挟む。
「シンが放ったあのエーテルは、ほんとうにその……光柱に?」
「ああ」
テラがすぐそばの枝に止まり、こちらを見下ろしながらうなずいた。
「確かにこいつのかき集めたエーテルは天を貫いていた」
ラスティアが息を呑むようにして押し黙る。たった今向けられたいたものとは明らかに違う、戸惑いと怖れの入り混じったような視線を受け、一気に突き放されたかのような気持ちになる。
なかなか鳴り止んでくれなかった心臓が急速に萎んでいくのがわかった。
「……さっきから言ってるその光柱って、いったいなに?」
思わずそう聞いていた。自分が仕出かしたことらしいが、相変わらずさっぱりだった。
「人には到底扱いきれないほど膨大なエーテルが、まるで空へと伸びる光の柱のように見える現象のこと……絶対者のみに許されたエーテルの発現と言われているの」
ラスティアが静かに口にする。まるで自分の言葉をじっくり吟味するかのような言い方だった。
「スト――なんだって?」
「ストレイ。エルダ去りし世にいずこかより現れ、この地に大いなる変革をもたらした存在……『神眼レオナルド』、『解放者ベアトリーチェ』、そして――『凶星ウォルト』。全てを超越する力と何物をも見通す叡智により、いつの時代からか絶対者とまで呼ばれるようになった……どの歴史書を見てもおおよそそのようなことが書かれてあるわ」
「おまえのような存在をエルダストリーの民はそう呼ぶのだ。ザナトスでの出来事の後レリウスにも聞かれたな。私は一度たりとも口にしたことはないが」
「ストレイって――ちょっとまって」シンが慌てて言う。「それに、おまえのような存在ってことはつまり、おれと同じ境遇の人間が過去にもいたってこと? おれみたいに違う世界からやってきて、この、変なエーテルの扱い方ができる人間が他にもいたって? いや、おれの場合いまラスティアが言ったような人たちでは絶対ないけど」
ラスティアがなんと答えてよいかわからない様子でテラを見る。
「昔いたのかと聞かれたら、まあそうだ」
テラが羽繕いをしながらなんともないことのように言う。
「な、なんでそれを早く言ってくれないんだよ!」
「特に聞かれなかったからな」
「いや聞かれなかったって……同じような人がいたなら、おれがどうして――どうやってここへ来たのかとか、元の世界に戻る方法はあるのかとか、いろいろわかるかもしれないだろ」
「何を今さら。初めてここへ来てからのことを思い出してみろ。戸惑いながらもおまえはこの世界にいることを、この世界で生きてゆくことを自然と受け入れていただろう。元の居場所に戻りたいなどと意志したことは一度たりともなかったはずだ」
そう言われ、言葉が出なくなる。
決して安全ではないどころか、凄惨な命のやりとりすら目のあたりにしてきた。そのはずが、帰りたいと思うどころか物語の世界に心奪われ、こうしてこの地に立ち続けている。
いつの間にか、もともとあったはずの現実を生きてゆくよりも、エルダストリーでの生を選んでいた。そのことをあらためて思い知らされた。
自分でも訳の分からない、得体の知れない罪悪感に襲われる。いや、罪悪感という言葉では言い表せない、何かどす黒い感情がシンの胸に渦巻き、胸のあたりを掻き毟りたい衝動に駈られる。
「まあ、おまえが知りたいというのであれば教えてやらんでもないが、私の記憶も相当古くなっている。思い出せることは少ないだろう」
「……それでもいい。なにか知っていることがあれば、教えてくれ。この世界に来ることになった原因や理由はもちろん、もといた場所に戻るための方法とか、わからないことだらけで……だから、考えても仕方がないと思っていたんだ……けど、知りたくないわけじゃない」
「シン……」
ラスティアが心配げな視線を向けてくる。
「構わないが、おまえに伝えられるようなことはほとんどないぞ」
テラが答えた。シンの様子を知ってか知らずか、これまでとなんら変わらない口調のまま続ける。
「私の齢は軽く千を超えている。覚えていることといえば百年かそこら程度のものだ。たとえ思い出せたとしてもせいぜいウォルトの世代くらいまでだろう」
シンとラスティアはさすがに面食らったような表情を浮かべた。
「――千年以上もの時を、生きていると?」
ラスティアが口に手を添えるようにしながら言う。
「ああ、間違いないだろうな」
「冗談だろ……」
シンもあらためてまじまじとテラと見つめる。
「信じるも信じないもおまえたちの勝手だが――いま言ったとおり、私から引き出せる情報はほとんどない。お前がストレイについて知りたいというのであれば、私はたいした力になれない」
「……王立大学の研究者たちなら、おそらく詳しく知っているはずよ」
シンが落胆するよりも早くラスティアが口にする。
「この国のユニバーシスは、こと知に限っていえばアンブロにも勝るとも劣らないと言われるほどの場所だから」
「ユニバーシスって確か、ラスティアが通うつもりでいるこの国の大学だったよね?」
「ええ、中にはストレイ学を専門としている人間もいるはずよ。私が把握している知識も彼らの蔵書に書かれてあったことだから。おそらく今の私ならシンをユニバーシスに入学させるか、あるいは研究者たちの協力を仰ぐか、少なくとも紹介するくらいのことはできるはず」
「それは助かるよ、うん」
考え込むようにしてうなずいたシンだったが、ふと思い至って顔を上げる。
「ラスティアはいつユニバーシスに行くの? そもそもここへはそのために来たんだったよね?」
「本来であればそろそろ入学に関する手続きや準備を進めたいところなのだけれど……パレスガードが決まるまで王宮の外へは行かせられないってレリウスが譲らないの。今の時期はただでさえ危険だからって」
「それなのに今日みたいなことしでかしたの?」
シンが思ったままを口にすると、ラスティアの顔がみるみる内に赤くなった。
「それは、その、行動せずにはいられなかったというか……もちろんレリウスには秘密に――」
「レリウスにも黙ってあんな人たちを呼び出したの!?」思わず声がうわずる。「盗み聞しておいて言うのもなんだけど、ラスティアの話からすればあの二人――特にローグってやつがヤバイことくらいおれにさえわかったのに」
「そ、そういうシンはどうしてあの場にいたの!?」今度はラスティアの声がうわずる。「どうして王宮の、それもあんな場所に? リザ王女を呼び出すために私が選んだ、ここ数年はほとんど誰も使っていないはずの部屋だったのに」
「だからそれは、君に会うために……いや、もともとはエーテライズの修錬だってテラが――あ」
急に思い当たってテラを見上げる。いや、睨みつけた。
「おまえもしかして、全部知ってたな!」
「なんのことだ」
憎らしいほどいつもの調子で聞いてくる。
「ラスティアがあの二人を呼び出していたこととか、さっきみたいに危険な状況になるかもしれないことをだよ!」
「知っていたなと言われれば知っていたな。危険が及ぶかどうかについては、そんなこともありえるかもしれん、くらいに考えていたが」
「そんな、レリウスにさえ気づかれていなかったのに」ラスティアが動揺したように首を振る。「――どうやって今回のことを?」
「私がその気になればこの目と耳は相応の情報を拾ってくれるのでな。シンが自ら行動を起こそうとするのは今のところおまえのため以外考えられん。何か良い機会はないかと窺っていたら、何やらきな臭い動きがあったというわけだ。まあ、結果は今のとおりだ」
「だったら最初からそう言えよ! 誰にも見つからないようラスティアの寝室へ侵入しろとか回りくどい言い方しやがって――」
「わ、私の寝室に?」
「あ、それは違くて――そういう変な意味じゃ」
ラスティアに驚いた顔を向けられシンは大きく両手を振った。
「そう、こいつがエーテライズの修錬だとか言ってけしかけたんだよ!」
激しくテラを指さしながら言う。
「おまえも途中からは乗り気だったが」
「変な言い方すんな、上手いことエーテルが使えるようになったってだけだろ――」
「誰にも気づかれないまま盗み聞きできるくらいにはな」
「おまえもう黙ってろ!」
「あまり騒ぎ立てるな、先ほどいた場所に多くの気配が集まり出している。一方のここはずいぶん静かな場所だが、誰がやってくるとも限らん。そろそろ王宮全体も目覚めはじめる頃だ」
シンはいまだ喉元まで込み上げてきていた文句を苦い顔で飲み込んだ。




