第32話「新たな脅威」
突然、これまで必死に抑えつけていたかのようなローグの笑い声が部屋中へと響き渡った。
「何がおかしいの」
ラスティアが言った。リザも驚いた表情でローグを見つめる。
「――いや失礼。アーゼムでもないあなたがその使命を語るとは。いくらロウェイン家の人間とはいえ、あまりにも」
「わたしのことなどどうでもいいわ。なにより大事なのは、あなたたちが私の仲間を虐殺した相手、崇拝者であるという事実よ」
「そのファロットなる存在についてはまったく預かり知らぬところではありますが……ラスティア王女の言うレクストなる人物やアレフとかいう組織なら、今になってようやく思い出しましたよ」
「ローグ?」
途端に眉をひそめるリザに対し、ローグが目配せするようにして軽く頭を下げた。そしてすぐにラスティアへと向き直る。
「確かに以前、あなたの話してくれたようなことがありましたよ、ラスティア王女。当時ディスタの解放祭で下民たちが武装蜂起するとの情報が入りましてね。出席されている要人たちに危険が及ぶ可能性もあったためその場に居合わせたパレスガードたちが各々の兵を率いて調査に乗り出したのです」
「そんな」ラスティアは思わず言葉を詰まらせた。「危険なんてどこにも――」
「私の担当した区域が、まさにラスティア王女の話されていた下層の旧市街でした。そこに潜んでいた反抗組織の指導者が、確かレクストと呼ばれていた若者だったかと。私としたことが、あまりにも多くの似た事案に関わってきたせいか、完全に忘れてしまっておりました」
まるで記憶のつっかえが取れたと言わんばかりの態度だった。
「あれだけのことをしておきながら、忘れていたですって」
「悲しいことに、高貴なる方々に仇なそうとする輩はラスティア王女が想像するよりもはるかに多いのです。そのような者たちを、私はこれまで数多く屠ってきました。たとえそのうちのひとつを忘れていたとしても責められる謂れはないでしょう。パレスガードの役割は自身のすべてを捧げた主の身を守ること。直接お守りすることはもちろんですが、御身に危険が迫る不穏な企みありしときはあらゆる手段でもって突き止め、対処しなければなりません。他の要人にも危険が及ぶとなればなおさらです」
「レクストは皆に武器など持たせなかった――武装蜂起なんて考えていなかった!」
「いえ、あれは確かに武装蜂起でした。ディスタ側の記録にもしっかり残っているはずです。調べてみればわかります」
「あなたがそう偽装させたからでしょう!? 今ようやくつながったわ、いくら下民と蔑まれていた人たちであっても、あれほど大勢の人間が一気に消え失せたのにどうして誰も騒ぎ立てようとしなかったのか。ダンザフという男にあなたは『そのように見せかければいい』と――」
「見苦しいですぞラスティア王女!」ローグが声を張り上げる。「むしろあなたは、私たちにご自身の罪を告白なさったのです。いくら一年前のこととはいえ、由緒あるロウェイン家の人間が過激な反抗組織、武装集団の一員として加わっていたなどと……幸い、何の被害もなく終わったこととはいえ、アインズ王室に名を連ねる方として――無礼を承知で言わせていただくが――あなたは相応しくない。今回のことは衆目の場で公にされるべき事案です。私たちに対するいわれのない疑惑はあなた一人の主張に過ぎないが、あなたの関わった事件はディスタの公的な記録にはっきりと示されている。どちらの言い分が正しいかは火を見るより明らか――」
「その辺にしておきましょう」
リザが突然、ローグの言葉を制してみせた。
「リザ様?」
「いくらラスティア王女に非があるとはいえ、すでに過去のこと。それに当時のラスティア王女はアインズ王室とはなんら関わりもない立場、身分でした。罪を問うまでには至らないでしょう。あなたの言うとおり、王室の人間として相応しいかという議論は巻き起こるかもしれませんが、ラスティア王女にはアルゴード侯をはじめ錚々たる顔ぶれがついています。いま私たちが表立って争うことでディファトたちを喜ばせる必要はありません」
「しかし――」
「過去の凄惨な事件のせいでご心痛のラスティア王女を、私が許しさえすればいいだけのこと。違いますか?」
ローグはなおも何かを言いかけたが、リザの視線に何かを感じ取ったのか、深々と頭を下げた。
「これ以上の言葉が必要ですか、ラスティア王女」
そんなことで収まるはずがない――喉元まで出かかった言葉を必死に呑み込んだ。まるで火の玉を胃に収めたかのように、それは怒りという激しい熱でもってラスティアの体を蝕み、焼き尽くそうとする。
最後まで抗おうとしなかったのは、リザの言葉を受け入れたからではない。この場に二人を呼び出した本当の目的を思い出したからだ。
ローグが、そしてリザが、間違いなく皆の仇であるという事実と、彼らを無残にも殺し、消し去ってしまった理由。それこそが、ラスティアがなんとしても突き止めたいことだった。
しかしいくら王宮内とはいえ、相手が第一王女という絶対的な権力者とそのパレスガードである以上、いくら策を講じたとしても人知れず消されてしまう可能性もあった。
もし今回のことをレリウスに知られていれば、間違いなく止められるか、部屋から出られないよう軟禁されるくらいのことはされたかもしれない。それでもラスティアは自らの衝動を抑えることができなかった。
突如として現れた、自身の記憶と紛うことなき人物を前に確かめずにはいられなかったのだ。
その甲斐あって、目的のひとつは達せられた。二人は間違いなくアレフの仲間たちを惨殺した張本人、あるいはそれを指示した首謀者だ。アヴァサス復活などという世迷い事を妄信し、今ある秩序に仇なそうとする者たち――崇拝者の一員であることも、おそらく間違いない。だが、ファロットそのものについてや、その構成、横のつながりや組織の指導者については何もわかっていない。
なにより、レクストたちが犯罪者扱いされ、ローグたちの行為を正当化されるという、まったく予想していなかった展開へと話しが進んでしまったのは大きな痛手だった。
必ずや真実を白日の下へさらし、アインズの中枢に巣くう者の正体を暴いてみせる。その新たな決意がラスティアの感情を収めた。
「……なにも、ありません。リザ王女」
ラスティアが答えた、そのときだった。
「そうハ、いかヌ」
その言葉が、いったいどこから発せられたものか。最初ラスティアはわからなかった。
「イマが、口を封ジル絶好の機会ではないカ」
ときおり調子はずれの言葉が混じるその声は、明らかにローグの口から発せられていた。だが、まるで別の誰かがその声と口を奪いとってしまったかのようだった。
光を失った両の窪みが、まっすぐにラスティアを見つめてくる。ローグの表情やその瞳からは、生ある者としての気配がまったく感じられなくなっていた。
明らかに尋常ではないその様子にラスティアの身体が瞬時に反応し、身構える。
「お待ちください、この場で殺めてしまえば私共の立場も危うくなってしまいます!」
今までほとんど感情をあらわにすることのなかったリザが、蒼ざめ引きつった表情を浮かべながら言う。
「オマエたちの立場ヨリ、こヤツが知りすぎていることノ方が問題ダろう。違うカ?」
懇願するようなリザの言葉を、ローグ《《らしき》》人物が正す。
先ほどとはまるで立場が逆転してしまっている。リザはあきらかに目上の者に対する態度でローグと接していた。
まるでローグの体に、別の何者かが乗り移ってしまったかのようだった。
「……あなたは、《《誰》》なの」
気づけば、そう口にしていた。
「やハリ感のいい娘ダ。このまま野放しにシテおけば、脅威トまではいわないマデも、喉元に突き刺サル小骨くらいにはナリかねん」
「しかし――」
「この姿をサラした時点でもう遅イ。ローグよ、この娘をコロセ。後始末はリザ、おまえがヤレ」
リザの狼狽しきった静止の声はしかし、ローグのすさまじい咆哮によって掻き消された。
まるで、ローグの中に縛りつけられていた獣が解き放たれたかのよう見えた。
次の瞬間、深く落ち込んだその瞳がラスティアの姿を捉え、血のように赤く輝いた。
これほどまでに強大かつ暴力的なエーテルを自身へと向けられたのは初めてだった。
襲い来るローグに対し防御の姿勢をとることはできても、心の底では明確に悟っていた。
自分は、ここまでだと。
そのとき頭によぎったのは、レクストでもエバでもない、父や姉の姿でもなかった。
遠く、記憶の中に閉じ込めていはずの、偉大すぎる母の背中だった。
(あなたは――の子。あなた自身の――を果たしなさい)
落雷のような轟音が轟き、周囲一帯がエーテルの奔流で溢れた。
しばらくたっても自分の体に異変がないことに気づき、ラスティアは恐るおそる瞳を開いていった。
突き出されたローグの片腕を受け止めている少年のうしろ姿が、そこにはあった。




