第13話「理想の王国」
「……少し、話を戻しても構わなかっただろうか」
遠慮がちなルノの言葉がしばしの沈黙を破った。
「ああ、言ってくれ」
レリウスが応える。
「これからのことについて話しておきたいんだ。君がラスティア王女を支持し、次期国王とするべく動くということは分かった。その理由についても、とりあえずは納得がいった。だが、具体的にはどうする? 食事の席で説明したとおり、五人の領侯と重鎮たちの半分はディファト王子を支持しているし、残りの領侯たちもそれぞれ誰を支持するか、すでに表明してしまっている。君はディファト王子を失脚させ他の王子王女と対抗するつもりだと言ったが、反ディファト派全員がこちら側に着くとは限らないだろう?」
「おまえたちがいる」
レリウスはすぐに切り返した。
「私とルノ、そしてリヒタールの三人がラスティア様を支持すれば、現段階でもリザ王女、アナリス王女、グレン王子より優位に立つことができる」
「君は、すでに私たちがラスティア王女につくと思っているのか」
ルノが笑みを浮かべながら訊く。
「隠す気もないくせに良く言う。いま『こちら側』とはっきり言っていただろう」レリウスが呆れたように言った。「リヒタールも、ラスティア様の前であのような態度を見せておいて今さら取り繕えるとでも思っているのか」
「アインズ王室に仕える者として当然の礼儀でもって応えたまでだ」
リヒタールは憮然とした表情で腕を組んだ。
「おまえたちが沈黙を貫いてきたのは、当然、個人的な友情が理由などではない。アルゴードとバルドー、シャンペールは領地が隣接している上、我が国有数の要所でもある。長年の強い結びつきこそがアインズという大国を支えてきた要因の一つにもなっていた。今回の後継者争いをきっかけに互いが敵対するようなことになれば、我が国はいよいよもって内乱状態へと突入する。私と考えを異にした場合は何としても説得する気でここへきたのだろう?」
「最初から俺たちを数に入れておきながら、本当に人の悪い奴だ」
「まさにね。そうでなければレリウス・フェルバルトほどの男がこれほど腹を割って話すはずがない。君は私たちがラスティア王女につくと、そう確信していたはずだ」
「正確には先ほどの席でルノが『十人の領侯が支持を表明している』と言ったときだ。私が最後の一人だとすれば、残りの二人はおまえたちに決まっている。今言った理由に加え、先の説明をもってすれば必ずこちら側につくと」
「そう決めつけられたことには腹が立つが、ラスティア王女を支持するためというわけではないぞ。そもそも俺たちは何も聞かされていなかったんだからな」
目の前の三人が政治的な話を始めると、当然シンが口を挟むようなこともなくなってしまう。だが、事はラスティアの今後に関わることであり、彼女についていくと決めたシンにとっては他人事ではなかった。
自分なんかがこの場にいていいのかはいまだにわからなかったが、シンは必死に耳を傾けた。
「しつこいぞリヒタール。レリウスにも深刻な事情があったことはもうわかっただろう」ルノがリヒタールへ非難の目を向けた。
「いや、おまえたちもおまえたち自身の目でラスティア・ロウェインという少女の器を見極めてみるがいい。私が何かを言うよりよほど多くのことを知るだろう」
「もちろんそうさせてもらうさ。まあ、俺たち三人がラスティア王女を支持し本気で動くとなれば、水晶の玉座についていただくことも決して不可能な話ではないかもしれんな」
リヒタールは特に謝る気配もないまま言った。
「問題は、王女の意志だよ」ルノが険しい表情で首を振る。「いくら私たちが担ぎ上げたとしても、台座の上に乗っていただかないことにはどうにもならない。その辺のことを君はどう考えているんだ、レリウス」
「……これまでの道中、ラスティア様とご一緒させていただいた中で気づいたことがある」
「何をだ?」
「ラスティア様は、弱き者や虐げられている者――つまり社会的弱者を決して放っておけぬ方だ。レイブンで受けた襲撃やザナトスでの出来事ではっきりとわかった。彼女に流れるロウェインの血がそうさせるのか、生まれ持ってのお人柄か、あるいはその両方か……これはラスティア様にとって大きな弱点ともいえるべきことだが、今回のことに限ってはおそらく私たちに味方する」
「どういう意味かわからん、はっきり言え」
シンもリヒタールと同じ思いだった。いろんな意味で知識が乏しく話についていくだけで精一杯だというのに、意味深な言い回しまでされてしまうといよいよもってついていけなくなる。
「つまり、ただ待てばいいと?」
「勘がいいな、ルノ」レリウスが小さく笑う。
「悪いが俺の勘はさっぱりだ、さっさと言え」リヒタールが語気を強める。
「考えてもみろ、いま中心となって我が国を動かしているのは誰だ」レリウスが聞いた。
「言うまでもない、阿呆と性悪だ」
「リヒタール、あまり身も蓋もない言い方をするな」
そう言うルノも明らかに皮肉めいた笑みを浮かべていた。
シンは思わずどきりとした。ルノはシンひさえ話しやすい雰囲気を抱かせる男だったが、このときばかりはその姿をかなぐり捨てたかのようだった。
「他にどんな呼び方がある。王が病床にあることをいいことに奴らが何を仕出かしてくれたか、それこそ一晩中語り尽くしても足りないくらいだぞ。ギルドへの依頼制限などその最もたるものだ」
シンはすぐにダフのことを思い出した。ザナトスの外周に暮らす人々も、その煽りを直に受けていた。
「明らかに私利私欲に駆られた圧政の数々も忘れてくれるなよ。ブレスト侯が毒を呑む形でディファト王子側についてくれたおかげで宰相の暴走を抑え込んでくれてはいるが、それももはや限界に近い。レリウス、君が出て行った後の宰相はまさに翼の生えた蛇だよ。ディファト王子の寵愛を良いことに己の都合のいい人間ばかりを登用し、王宮は悪臭漂う場所にまでなり果てている」
「反ディファト派が口を出さないのは王子の失脚を狙ってのことかもしれんが、今のような執政が続けば我が国の力は衰えていく一方だ。バルデスの侵攻などというふざけた事態を招いたのもそのせいだろう。とはいえ、レリウスの言うとおり次期国王としてふさわしい素質、器を持つ方がいないのも確かだ。リザ王女は相変わらず何を考えているかわからんし、アナリス王女はあの身勝手さでもって国を滅ぼしかねん。グレン王子は幼すぎて傀儡政権となってしまう可能性が高い。今はご自分たちのパレスガードと何か良からぬことを企んでいるらしいが、我が国の行く末を真に憂いているような方は一人もいないだろう。領候たちでさえ、旧体制の権勢を守るだけで精一杯という有様だ。ラウル王の知世では賢者たらんとされていた方々も、自分の地位が危うくなってきたとはいえずいぶん醜悪な姿をさらけ出すようになったものだ。いっそのこと俺たちとブレスト侯以外すべての領侯たちを交代させてしまった方がいいかもしれん」
「もちろんそのときは宰相も一緒にな」
ルノが薄い笑みを浮かべながら頷いた。
「二人とも、話したいことは山ほどあったろう。いろいろと待たせてしまい、悪かった」
レリウスが沈痛な面持ちで頭を下げた。
リヒタールは顔を背けながら鼻を鳴らした。
「先の話を聞けば致し方ないだろう――それで、ラスティア王女についてはこれからどうする」
「だから、ただ待つと。イストラと東方大陸による侵略、我が国の後継者争いとそれに乗じたバルデスの侵攻。そして、『敵対者』の存在……偉大な英雄とは混迷する時代にこそ立ち上がり、現れるものだ」
「なるほど。エルダストリーの趨勢とラスティア王女の内なる声に賭けるということか」
「ルノ、これは賭けではない。私は確信している。ラスティア・ロウェインという少女が、この混迷極まる世に立ち上がり、人々を率いる存在となることをな。その時のために私たちがいるのだ」
「ああ」
「了解した」
リヒタールとルノが同時にうなずいた。
「フェイル、これからはいろいろと動いてもらうことになるぞ。私にいってのけたおまえの言葉に期待している」
フェイルが深々とお辞儀して見せる。
「必ずや、お役に立ってみせましょう」
「そしてシン」
レリウスの瞳が、まっすぐにシンを見つめてくる。
「ラスティア様のそばにいて欲しい。そうしてくれるだけで、私たちは安心して動くことができるんだ」
これまでの話からは考えられないほど穏やかな声に聞こえた。まるで子供を慮るかのような、そんな声。
シンは自然とうなずいていた。レリウスは満足げにうなずき返すと、再び厳しい表情を見せながら全員に向けて言った。
「私は明日よりラスティア様の忠実なる臣下となり得る者たちを集める。身分の上下や年齢、性別など問わない。欲しいのは絶対なる忠誠と、ラスティア様の信念に命を捧げられる者だけだ。今ここから、ここにいる者たちで始めるのだ。ラスティア様の掲げた理想――すべての民が、どのような境遇にあろうと自らの意志次第で自由に歩んでゆくことができる世界のために!」
ここは本当に、物語の世界なのか。あるいはシンが読んだ物語とはまったく関係のない、別の世界なのか。
いずれにせよシンの周りでは、間違いなく何かが動き出そうとしていた。そしてザナトスの一件以来、シンは自分が大きなうねりのような中に呑み込まれた気がしていた。
レリウスたちの話を聞き、その思いは確信へと変わったのだった。




