第9話「孤独ふたつ」
それは決して、甘い告白のようなものなんかではなかった。
笑ってはいるものの、どこか悲壮感すら漂っているような、そんなふうにさえシンには見えた。
「その、一緒にっていうのは……?」
本来なら淡い期待に胸を膨らませ、緊張にうわずった声で聞き返したくなるような場面だったが、まるでそうはならなかった。むしろシンは、ラスティアのことが急に心配になってきた。
まだ出会って間もない自分なんかに頼らなければいけないほど、彼女は追いつめられているんだろうか、と。
「困らせてしまってごめんなさい」
「いや、別に困りはしないけど……急にどうしたのかなって」
ラスティアはうつむくように視線を落とし、重ね合わせた手の平をじっと見つめるようにした。
自然とシンの視線もそこへと向く。ラスティアの両手はその外見とは裏腹に、シンなんか及びもつかないほど力強く見えた。傷と思わしきものも多くあり、シンが記憶している年頃の少女のものとは遠くかけ離れていた。
それでもシンは出会った当初から、縦横無尽に剣を振るうラスティアの姿が、とてつもなく美しいもののように映っていた。相手を殺すという行為自体には恐怖を覚えながらも、どうしても、そう思ってしまった。
「シンも、バルドー侯とシャンペール侯が私の前で跪くのを見たでしょう? これから先、わたしのまわりには、そのような関係しか結べない人たちしかいなくなってしまう」
「それは……いやでも、そんなことはないんじゃない? 少なくともレリウスがいるし、イレーヌさんとも親しげにしてたじゃないか」
それにリヒタールとルノは、単にラスティアが王女だからという理由だけで膝をついたのではないと思っったが、そのことをどう説明すればいいかわからず、結局あたりさわりのないことしか言えなかった。
「シンも見ていたと思うけど、レリウスは旅の途中で私との接し方に一線を引くようになった。もちろん奥様であるイレーヌさんも一緒。とても良くしてくれているけど、やっぱり私を目上の存在として扱っているもの」
「よくわからないけど……それって、仕方のないことなんじゃくて? 実際君は王様の姪にあたる人なんだし」
ラスティアは表情を曇らせながら首を振った。
「そう扱われることを悲しがったり、不満に思っているわけじゃないの。シンの言うとおりこんな身分になった以上、仕方のないことだってわかってる」
ラスティアは少し言い淀むようにしていたが、再びシンに目を向けて言った。
「わたしはきっと、怖いんだと思う」
「怖い?」
「ええ……これから先、私のやろうとしている事に面と向かって意見してくれる人や諭してくれる人、今のシンのように対等に話してくれる人がいなくなることが、怖いの」
「でもラスティアは今までダフやリリのような人たちを助けたいと思って頑張ってきたんじゃなかったの。それなのにその……使命っていうのが果たせないせいで、つらい思いをしてきたんだよね? せっかく自分のやりたいことができるようになるんだから、むしろ口うるさい人間なんかいないほうがいいんじゃないかな」
ラスティアの抱いている感情の意味がわからず、とりあえず思ったことをそのまま口にしてしまう。言ってしまったあとはあまりにも子供じみた発言に思えて急に恥ずかしくなる。
「私のやろうとすることが……そのための方法が、いつも正しいだなんて限らない。むしろ間違っていることのほうがずっと多いはずよ。ザナトスでの私は、何の役にも立たなかった。リリ一人救えなかった……シンと出会ったときのこともそう。もし私がアインズの王女になるという決断をしていなければ、命を落とさずに済んだ人も大勢いたはず」
ラスティアと出会った日から今に至るまで、彼女の背中にはあまりにも大勢の死が付きまとっていた。まるで場違いな自分には、それがどれほどの苦悩を伴うのか想像することもできない。
だからこそシンは、いつものように、これまでそうしてきたように、ただ話を聞くくらいのことしかできないと思い、そうした。
「今までは、良くも悪くも私は一人だった……時に仲間と呼べる人たちもいてくれたけど――一瞬のうちに失ってしまった」
苦渋に歪むラスティア顔に驚き、慌てて視線を落とす。その両手が強く握りしめられているのを見て、何か、見てはいけないものを見てしまったような後悔に襲われる。
「それからは、ずっと一人……なにもできない、無力すぎる自分に苦しんではいたけれど、その分まわりには何の影響もなかった……けど、これからは違う。私の考えや行動が、その決断が、多くの人たちを巻き込むことになるかもしれない。それなのに、ああして無条件に跪かれるようなことをされては、私自身に歯止めがかからなくなってしまいそうで……それが、怖いの」
「そうかな?」
シンはあえて何もわからないっといった様子で首を捻ってみせた。
「少なくともレリウスは身分とか立場とか、そんなこと関係なくいろいろ言ってきてくれそうだけど。実際これまでだってそうだったじゃないか」
「かつて師だった人に言われたことがあるの。『おまえは自身の信念やその意志のせいで周りがよく見えなくなってしまうことがある』、と」
サイオス・ライオなる人物のことが再び頭に浮かんだが、ラスティアは自分がアインズの王女として迎え入れられることになった本当の経緯を知らない。シンがある程度の事情を聞いてしまったことも、だ。
「ザナトスでのことも、私は行き過ぎたと思う。なんとかしなければという思いばかり先走って、いつの間にか先頭に立ってヘルミッド将軍たちと向き合っていた……誰に頼まれたわけでもない、ましてやまだ仮初の王女でしかない私がするようなことではなかったはずなのに」
「うん……」
なんと言葉をかければいいかもわからず、黙ってうなずく。
「だから、私にはシンのような人が必要なの。あなたは旅の間も、今のように立場や身分に関係なく私の話を聞いてくれていた。それだけでも自分のことを冷静に振り返ることができると思うから」
「それは俺が全くの部外者で、王女様との接し方なんてまるでわからないから大目に見てもらってるだけだよ」
シンは一度、自分も他の人たち同様ラスティアを王女として扱った方がいいかレリウスに相談していた。だがレリウスは「シンは今のままでいい」と笑って取り合わなかった。
「今まで話してくれたことも、君のことを考えてっていうより単に何もわからないから黙って聞いていただけであって……おれ、そんなできた人間じゃないよ。さっきの食事中だって、みんなが気を遣ってくれてるのにほとんど何も話さないでいたくらいなんだから。失礼にも程があるよね」
しかしラスティアはシンの言葉を全力で否定するかのように強く首を振った。
「シンは、とても静かなの。それはあなたの話す言葉や態度、醸し出す雰囲気といったことはもちろんだけど、周囲の根源が、とても穏やかに流れているというか、一緒にいてとても落ち着くわ。それに――」
ラスティアは恐ろしく形の良い眉を寄せ、唇を湿らせるようにした。
今までで一番言いにくそうな表情を見て、シンはどんなことを言われるのかと息をひそめるようにして待った。
「それに私には――友人と呼べる人がひとりもいないから」
その言葉がラスティアにとってどれほど重たいものだったのかはわからない。
もし現実で誰かに同じようなことを言われたら、笑いながら「じゃあ友達になろうか」くらいのことは言っていたかもしれない。しかし今のシンには、そんな軽い気持ちで彼女の言葉を受け止めることはできなかった。
今の自分も、まるで同じだったから。
かつて憧れた物語の世界、エルダストリー。その主人公ウォルトのように、自分もエルダストリーへと導かれ、今いる現実なんかとはまるで異なる世界を思うがままに生きてみたい。何度も想像したはずだった。
だが、現実にそれが叶ってみれば、胸の奥にあるどうにもできない苦しみのせいで、まるで身動きがとれなくなっていた。
誰にも縛られず、どこへだって行ける。そのための力はすでに手にしているはずだ。それなのに――
あまりにも圧倒的な孤独という感情に自由を奪われていた。
誰も自分のことを知らず、誰のこともわからない。それがこれほどまでに恐ろしく、また耐えがたいものであるということを、シンはこの世界へ来て心から思い知った。
そんな恐怖心から、ラスティアたちのもとを離れることができなかった。そうしようとも思わなかったし、救われてさえいた。
だからこそシンは、迷うことなく口にすることができた。
「俺なんかでよければ、一緒にいるよ。というより、俺の方からお願いしたいくらさ」
そのとき見せたラスティアの、その小さな顔いっぱいに広がる喜びに満ちた表情を。
シンはこれから先、どんなときも忘れることはなかった。




