第5話「回想と策謀のレリウス」
「――私は、悩んでいた」
レリウスの話はこの言葉から始まった。
「まだ意思の疎通に問題がなかったとはいえ、陛下の容態が芳しくないことは誰の目にも明らかだった。恐れ多いことだが――そう長くはないということも。陛下ご自身も十分理解されていた。いつだったか私に対し、『成すべきことを成す。そう生きてきたつもりだが、心残りばかり思い浮かぶ』などと言って笑っておられた」
「意識を失う前、言っておられたよ」ルノがつぶやくように言った。「『やはり、レリウスに会うことは叶わなかったか』、と。今はなんとか持ちこたえているが、いつお亡くなりになられてもおかしくない状態だ」
レリウスは目を閉じ、沈痛な面持ちを見せた。
「そんなときにおまえというやつは――」
リヒタールは一瞬肩を怒らせたが、すぐにまた憮然とした表情で座り直した。
「言ってやりたいことは山ほどあるが、まずはお前の話を聞いてからだ」
「わかっている」
レリウスが重々しくうなずいた。
シンには「王」という存在がどうにも想像できなかった。そんなものは物語の中か、どこか遠い国のニュースでしか見聞きしたことのない言葉だった。だが、レリウスたちの口からは、間違いなく現実の存在として語られている。そのせいかもしれない、シンにとっては今まで以上に遠い出来事のように思えてしまうのだった。
「陛下は、やはり時期国王をお決めにならなかったか」
それはリヒタールとルノに対する質問のようでもあり、自分自身に問いかけているようでもあった。
「ああ……私やリヒタールはもちろん、領侯全員が病床の陛下に迫る勢いでお尋ねしたが、頑として誰の名も口にしなかった」
「その結果が、この有様だ」リヒタールが鼻で笑う。「領侯たちは各々《おのおの》にとって都合のいい王子王女を支持し、国政すらままならん。王冠をめぐる争いは激化する一方だ。とりあえずはディファト王子と宰相を中心になんとか体面を保っているが、あれだけ好き放題やられてはな。内乱に発展しないのが不思議なくらいだ。バルデスやディケインが良からぬことを企み始めるのも当然といえる。こんなことはお前が一番よくわかっているだろうがな」
「ああ、そのとおりだ」
「稀代の賢王とまで呼ばれたお方が、いったいなぜ、ああまで頑なに次期国王をお決めにならなかったのか。いくら進んで忠誠を捧げたくなるような方々ではないとはいえ、四人の王子王女のうちの誰かには水晶の玉座についていただかなくてはならいのだ。陛下にははっきりとご自分の意志を示していただきたかった。最終的には領侯たちとの決議のもと決定されることとはいえ、陛下のお言葉が何よりも重要視されることは十分理解されていたはずだ。それを何も言わぬままとは――」
「口を慎めリヒタール」
レリウスのその言葉は、息を呑まずにはいられないほどの圧があった。リヒタールも肩をすくめながら推し黙る。
「病床の身ににありながらなお、そのご決断をされたことこそがまさに稀代の賢王たる所以だ。陛下はわかっておられたのだ。四人の王子王女たちの誰一人としてアインズという大国を率いるに相応しい器ではないということを」
「レリウスしかしそれは――」ルノが腰を上げる。「不敬にも、例えそうであったとしても、四人のうちの誰かには王として立ってもらわねば国が立ち行かぬ。むしろ陛下が名指ししなかったことによって国が乱れることになりかねん。現に今、そうなってしまっている。君が止めてくれたバルデス侵攻などその最もたるものだろう」
「もう一人、現れたのだとしたら?」
「……なに?」
リヒタールの目が、その鋭さを増した。ルノも半分立ち上がった状態のまま固まる。
「死期が目前に迫ってなお、それも、ご自身の目で直接王としての器を確かめられない状況にあってさえも、陛下はその一人のために誰の名も言わず口を閉ざした」
「まさかそれが、ラスティア王女だと?」
「馬鹿な……!」
二人は同時に目を見開いた。
「いくらフィリー様の血を引くとはいえ、陛下の直系である方々を差し置いてアインズの王には――水晶の玉座には着けん!」リヒタールが叫ぶ。
「だが、そんな取り決めはない。我が国の王冠はアインズ王室の血を引く者の中で先代の王と我々十三領侯が選んだ者の頭上に輝く。そしてラスティア様には、間違いなくその資格がある」
「待ってくれレリウス」
ルノが額に手を当てながら首を振る。話についていくのがやっという様子だった。
それはシンも同じだった。先ほどレリウスは「シンとフェイルにも聞いてほしい」と前置きまでしてくれていたが、話についていくどころか理解するだけで精一杯だった。
フェイルでさえ杯を手に持ちながら口につけようとせず、三人の会話にじっくり耳を傾けているように見えた。
「確かにラスティア王女はアインズ王室の血を引く方だ。それも、あのフィリー様のご息女であるからには民からの人気も相当なものになるだろう。そのうえ父親はアーゼムの護国卿にして偉大なる支柱、ランダル・ロウェイン。器を持たぬラスティア様はアーゼムたちの間で『持たざる者』などと呼ばれていたようだが、とんでもない話だ。その血筋には一点の曇りもない。レリウス、君の言うとおりラスティア王女が我が国の王となる資格は確かにある、それは認めよう。だが彼女には何の後ろ盾もないのだよ? アインズ王室へ迎え入れるという今回のことも、ロウェイン家との関係は一切断ち切ることが条件だったはずだ。たとえ彼女が王となってもアーゼムから何らかの恩恵を受けられるわけではない」
「そもそもそんなことになれば他国が黙っていないだろう。アーゼムによる恩恵などと、西欧諸国始まって以来の戦争にまで発展しかねん」
リヒタールが鼻で笑う。
レリウスも当然のようにうなずく。
「そう。つまりラスティア王女が時期国王に――女王となるためには、自らの才覚のみで我々十三領侯のうち過半数の支持を集めなくてはならないということだ」
「無茶だ、レリウス」ルノが言い切る。「すでに十人の領侯たちは誰を支持するかを決め、大いに陰謀を張り巡らせている。次代の権勢を確かなものとするためにね。そんななか四人の王子王女たちを差し置いてラスティア王女を選ばせるなどと、まったく現実的ではないよ」
「今最も領侯たちの支持を得ているのはディファト王子か?」
レリウスが尋ねる。
「ああ。ブラン、マイルズ、リーデン、アクトレイル、リューイが支持している。第一王子の優位は揺るがない」
リヒタールは面白くもないといった表情で答えた。
「支持者の数が過半数を超えていないなら何も問題はない。此度のバルデス侵攻によってディファト王子は失墜し、今言った五人の領侯たちは他の誰かを選ばざるを得なくなる」
「お前まさか、バルデス側から突きつけられたというディファト王子の件を今回の継承者争いに持ち込む気か!?」
「待ってくれレリウス」
ルノが驚愕した様子で口を挟む。自分で言いだしておきながら目の前に並べられた料理には目もくれず、半分身を乗り出すようにしている。
「アインズへやってきたバルデスの使節団も同じ口上を述べていたが、あまりにも一方的で馬鹿げた話に誰もまともに取り合わなかったんだ」
「だが、ディファト王子の酔狂は今にはじまったことではない。これまで陛下から申し付かったいくつかの国政も満足に成し遂げたことがない。よく言えば奔放、悪く言えば無責任。支持している領侯たちも諸手を挙げてそうしているわけではないはずだ」
「それでもだ」リヒタールが苛立たしげに言う。「すでに支持を表明した領侯たちがラスティア様に鞍替えするなどとはやはり考えられん。先に言ったとおり彼女には何の後ろ盾もなく、我が国において何の実績もない。いくら場をかき乱したところで、せいぜいディファト王子からリザ王女あたりに移られるのが関の山だろう」
「逆だ、リヒタール。今から他へ鞍替えしたとしても、最初から支持していた領侯たちの後塵を拝するのは避けられない――だからこそ、ディファト王子を失墜させる際は断固として抵抗してくるだろうがな――一方こラスティア様は、おまえたちの言うとおり、何の後ろ盾も、何の実績もない。支持している領侯も、今のところ私一人だ。そんな方を盛り立て、王とすることができれば……支持した者たちは大手を振って自分たちの手柄とし、自身の優位性を堂々と主張できるだろう。私もそれをけん制するようなことはしない」
「いやそれは……確かにそうかもしれんが」
「そうだ。いくらなんでもそんなに上手くいくはずが――」
「上手くいくさ」
レリウスは顎の前で両手を組み、その視線を宙へと向けた。
「私がそうしてみせるからな」
それはシンが今まで見たことのない、レリウスという男の新たな一面のように思えた。
なぜ、これまで会う人々がそろってアルゴード侯レリウス・フェルバルトの名と存在を知っていたのか。その理由が少しだけ理解できたような気がした。




