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第28話「狂乱のバルデス」

 レリウスを先頭に全員が塔を降りると、ベルガーナの騎士たちが一斉に敬礼し、出迎えた。

 レリウスは片手を上げてそれに応え、ラスティアはうつむきがちに頭をさげた。しかし立ち止ることはせず、彼らに背を向ける形でリリが落ちた場所へと向かう。


 ダフはもちろん、レリウスとシンも同じようにその後を追う。フェイルも騎士たちを横目についてくる。


 ラスティアがリリの亡骸をそっと胸にかき抱く。

 その後ろ姿を、シンは黙って見つめていた。ラスティアと出会ってから、すでに二度、同じような場面に遭遇していた。


 この世界は、シンの生きて来た現実とはまるで違う。あまりにも身近に、死が溢れていた。

 

 緊迫した状況を静寂が支配する暗闇の中、「レリウス様ぁ!」という声が後方からあがり、ラスティア以外の全員がそちらを振り向く。


 ベルガーナの騎士たちの間を割って入って来るようにしながら、ザナトスの執政官ワルムが初めて出会ったとき同様、転がるようにしてシンたちの前に現れた。


 ワルムは即座にレリウスの前へひざまづくと、深々とこうべを垂れた。


「ザナトスの住人たちには火急的速やかに近隣の街へ避難するよう触れを出しました! その呼びかけと誘導には警護兵たちを当たらせ、ベルガーナの駐屯兵は一人残らず、レリウス様の招集に応えております」


 ワルムからの報告を受け、レリウスは少々面食らったような表情をした。


「さらにセイグリッド砦へ早馬を走らせ、アルゴード侯の名においてベルガーナ騎士団全軍をザナトスへ呼び寄せました。半日もすれば援軍がやってくるはずです」


「……ずいぶんワルムのことを低く見積もっていたようだ」

「は?」

「ここまで迅速に動けるとは思わなんだ、すまない」

 

 ワルムは意味が分からないといった表情でレリウスに迫った。

「何を言いますか。当初私のもとへ寄せられた情報では、バルデス軍の強襲により外周は文字通り跡形もなくなったということでした。実際、この有様です。しかも信じられないことにやつらは何の布告も寄越さなかったのですよ? これは侵略行為以外のなにものでもありません!  なんとしてもザナトスを守らなければ、この先アインズの大地は血に染め上げられてしまいます!」


「いや、まったくその通り」

 レリウスは深刻な表情のまま深くうなずいた。


「私は赴任して間もない未熟者ではありますが、それくらいのことはわかります」

「そうだったのか。ここへはいつ?」

「六日ほど前です」


 レリウスは驚きの表情を隠さなかった。

「なるほど、私たちを迎え入れたときの慌てようにも合点がいく。しかも、その短期間のあいだにここまで指示を行き渡らせるとは……今になって申し訳ないが、名はなんと?」


「ミルズ・ウェットアートよ、レリウス」

 ワルムが答えるより早く、こちらに背を向けたままのラスティアが言った。


「な、なぜ私の名を?」

「正式な王女ではない私にとても親身に仕えてくれていた……名前くらい知っておくのは当然でしょう。それより、ベルガーナの援軍がここへ駆けつけて来るまでには半日かかると?」

 ラスティアはこれ以上ないほど優しくリリの体を横たえると、傍らで立ち尽くしているダフの背にそっと手を添えながら立ち上がり、振り向いた。


 ミルズは一瞬呆けたようにラスティアを見つめていたが、慌てて首を上下に振った。

「どう急いでもそれくらいはかかってしまいます。ましてや全軍での出撃となれば……全力で駆けつけてきたとしても半日が限界でしょう。そもそもバルデスとの戦争など永らく行われていなかったうえ、形式上は我が国の友好国です。ご存じのようにザナトスはバルデス、ディケインに通じる交通の要所。北の護り手であるベルガーナ騎士団の一部のみを駐屯させているのはいたずらに他国を刺激しないという配慮でもあったのですが、今回はそれが大いに裏目に出ました」


「というよりそれを狙って、ということだろう」レリウスが言う。「だからこそ、一戦も交えることなく制圧できる、たとえ抵抗されたところでたいした被害もなく攻め込めると踏んだのだ。それはつまり、こちらの援軍がたどり着く前にザナトスを落としに来るということ。いくらベルガーナの兵が強いとはいえ、五万もの大軍にザナトスという補給基地を取られてしまえばアインズから撤退させるのは容易ではない。今ミルズが言ったとおり、ザナトスを明け渡してしまおうものなら一気に王都まで南下してくるはずだ」


 レリウスの言葉を受け、自然と全員の視線がバルデスの軍勢へと向かう。

 言葉には出さなくとも、誰もが思っていたはずだった。


 手の打ちようがない、と。


(なんなんだよ、これ)


 だが、シンだけは違っていた。地に足が付かず、心もどこか別の場所に浮遊しているような気分だった。自分だけが、ただ映画の中のワンシーンを眺めている観客みたいに思えて仕方なかった。

 一瞬のうちに踏みにじられた外周の人々の暮らしも、遠く前方に居並ぶ大勢の軍勢さえも。以前読んだ物語(エルダストリー)のいち場面でしかない。そう、思い込もうとさえしていたのだった。


「逆にベルガーナの援軍が来るまでここを守り切られたら、ヘルミッドは動けなくなる」

 ラスティアが言った。先ほどまで見せていた悲壮な表情はすでになかった。むしろ、不自然なまでの表情のなさに、シンの胸が激しくざわついた。


王都オルタナまで攻め込むためには、なんとしてもザナトスという補給線が必要なはずだから」

 

 すでにヘルミッドたちは後方の援軍と合流しかけていた。分かたれていた大量の松明の明りが、一つになっていく。


「おいおい、こんな悠長に構えている暇があるのか」

 フェイルが小ばかにした様子で言う。

「今にもあの大軍が攻め入ってくるかもしれないってのによ」


 フェイルの言う通り、頭がまわらないシンでさえ、いったいあとどれほどの猶予(ゆうよ)があるのかという考えに捕らわれていたくらいだった。

 

「ほとんど間を置かず攻めて来るだろうな。援軍が到着する前に」

 レリウスが言った。


「レリウス様ご指示を。皆、戦闘開始の合図を待ち構えております」

 ミルズがさらに深く頭を下げる。


「戦闘って、こっちは二千の兵しかいないんだぜ?」

 フェイルはバルデス軍とベルガーナの騎士たちを交互に目をやるようにしながら言った。

「あの大軍勢相手にどうやって戦う? すぐにでもここを明け渡してセイグリッドからやってくる援軍と合流することをお勧めするね。ベルガーナ全軍がそろえば三万は固いはずだ。三万対五万ならそう簡単にはやられねえだろう。なんとか時を稼いで今度はアインズ全土からの援軍を待つ、それが今一番の冴えたやり方ってやつさ。いくらザナトスを取られたくないっつてもみすみす二千の兵を犬死にさせるなんてのは阿呆のすることだ。心配しなくてもバルデス軍だってこれからおおいに利用しようって街をわざわざぶち壊したりはしねえさ」


「おまえの言い分はもっともだ」

 レリウスは素直にうなずいた。


「それでも私たちは戦わずしてここを明け渡してはいけないのよ」

 すでに頭にあったことなのか、ラスティアははっきりとそう言い切った。


「いけないって、なんでだよ」

「バルデス側の言い分を全面的に受け入れたことになってしまうからよ」


「言い分てのは、あのディファト王子のことか」

 一応、王子という呼称はつけていたが、その身分に対する敬意は微塵も感じられなかった。


「そう。これはアインズ側の正当性を西方諸国に主張するための戦いになる。私たちがどう出るかは勝敗と同じくらい重要よ」

「つまりあんたらは、国のために死ねというわけだ。勇敢にも駆けつけてくれた後ろのやつらに、そう命令するってんだな?」

「さっきから黙って聞いておれば。おまえいったい何様のつもりだ」ミルズの顔を見るみるうちに赤くなる。「お二人がどのような方が、知っての言葉か」


 レリウスがミルズを制するように片手を上げる。だが自身では何も答えず、まるでラスティアの言葉を待つかのように真っすぐ彼女の方を見つめた。


「ザナトスは、始まりに過ぎない」

 ラスティアがぽつりと言った。


「なんだって?」

 フェイルが眉をしかめる。


「ヘルミッドの――バルデスの本当の目的はザナトスではなく王都(オルタナ)。あなたも聞いていたでしょう。彼らは一方的な言い分を大義として掲げ、本気でアインズを奪いに来た。この先どれほどの血が流れるか、バルデス軍のやり方を誰よりも間近で目にしたあなたならわかるでしょう。必要となれば外周の人々に対して行われた虐殺がアインズのいたるところで繰り返されてしまう」


「他の街やそこで暮らすやつらも皆同じような目に遭わされるってか? 今回のことは見せしめと割り切っても、バルデスほどの大国がそこまでするかねえ。東の蛮族どもじゃあるまいし」


「だから必要とあれば、よ。あなたの言うとおり、バルデスほどの大国がむやみやたらと人を殺し回れば逆に西方諸国全体から避難の的になる、そうなればアーゼムも黙っていないわ。気になるのは『邪教徒』とバルデス側が断定してきたこと、少なくともヘルミッドははっきりとそう言っていた。同じエルダ教を信奉しているとはいえ、バルデスは独善的ともいえる教義と排他的な思想をもつ国。近年の行き過ぎた信仰にはアーゼムも頭を悩ませていたはず。同じくエルダ教を信奉するアインズとて異教徒と(もく)されてしまえばどうなるかわらかない。たとえ言いがかりのような大義であってもバルデスの民にとってはアインズを攻め入るだけの十分な理由になりうるわ。しかも彼らには核光兵器メキナの脅威を取り除くという明確な目的まである」


「つまり一時撤退することはおろか、アインズ侵略の前線基地になるザナトス(ここ)は何がなんでも明け渡せないってことかよ」

「そういうことね」

「おいおい、話が振り出しに戻ってるじゃねえか。だから、いったい()()をどうすれってんだよ」

「悔しいけれど、あなたがさっき言った通りにするしかないわね」

「はあ?」

「いくらそうしたいと考えたところで、今の私たちにはどうすることもできない。ましてやベルガーナの人たちをみすみす死地に追いやるようなことも、ね。なら、今は撤退するしかない。そうでしょうレリウス?」


 レリウスがさも満足そうにうなずく。

「その通りです、ラスティア様。状況を正確に分析し、その時果たすべき理想や目標は明確に。しかしどう考えてもその達成が困難である場合は、今できる最善の手を打つのみです。今回の場合でいえば我々の戦いにザナトスの住人たちを巻き込まないこと。彼らの命を最優先とし、今はひとまずここを明け渡しまょう。我々は今いる兵たちと逃げ延び、オルタナへ正確な情報を伝え、万全の大勢でバルデスを迎え撃つ。ザナトスを奪われた後のことは、その時々で考えればよいのです」


「おいおい……絶対引けないだの明け渡せないだの言っておいて、なんなんだよそりゃ」

「レリウスが言ってくれたでしょう、理想と現実は別ってことよ」

 ラスティアの表情がほんの少しだけ綻んだように見えた。


「あーそうかい。せっかく『無駄死にはごめんだ』って逃げ出すつもりだったのによ」

「間違いなくバルデスはザナトスを重要な補給線、前線基地にしようとするだろう。できるだけ健全な状態で手に入れるためにも街そのものや住人たちに手出しはしない――」


⦅ラスティア王女、それにアルゴード侯!⦆

 突然、耳をつんざくようなヘルミッドの声がシンを含む全員の頭へ響いた。

 

「ヘルミッドの共感念波(パルス)!?」

 ラスティア鋭く叫ぶ。


(なんだこれ)

 シンは思わず耳を塞いだ。

(テラの共鳴(やつ)みたいだ)


⦅貴侯らはバルデス側が提案した和平交渉にも応じず、徹底抗戦の構えをとった! これをもってアインズ側の回答と見なすとともに、ザナトスの住人すべてが邪教徒であるとの結論に至れり!⦆


 テラの〈共鳴〉とよく似た感覚だったが、共感念波(パルス)というこの声は、話す者によって頭に響く声の強弱が異なるようだった。その証拠にすぐ傍のラスティアよりもヘルミッドの声の方がガンガン頭に鳴り響いてくる。


⦅バルデスの黒騎士たちは目の前の者すべてを問答無用のうちに切り捨てるであろう! 邪教徒どもよ、いくらでもかかってくるがいい。たとえ逃げ延びたとしてもいくらでも追いすがり、必ずや根絶やしにしてくれる!⦆


 その場にいる誰もが、ヘルミッドの言っていることの意味が理解できなかった。

 しばしのあいだ茫然と立ち尽くすなか、ラスティアの顔が見るみるうちに蒼白なものへと変わる。


⦅な、何を言っているの! 公的な言い交しなどなかったはずよ、それに私たちはまだ何の行動も起こしていない!⦆

 ラスティアの悲鳴にも似た言葉が、直接頭へ響く。それはヘルミッド同様、パルスと呼ばれるものらしかった。

 ラスティアの言葉が、シンの胸に食い込んでくる。


⦅問答無用!⦆


⦅無抵抗の人たちまで殺すなんて! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()だわ! あなたの今言ったことはこれから虐殺を行うという、ただそれだけの――⦆


⦅エルダに(あだ)なす者どもよ、この怒りの激しさを知るがいい!⦆

 

 頭の中での言葉の応酬にシンはめまいすら覚えた。だが、ヘルミッドの突きつけてきた言葉の意味に比べれば問題にもならなかった。


⦅話を聞きなさい!⦆

⦅これより進軍を開始する!⦆

 ラスティアの言葉はしかし、ヘルミッドの号令にかき消されてしまった。


 遠く前方に見えるバルデスの黒き騎影が、恐ろしいまでにゆったりとした速度で近づいてくるのが見えた。


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