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第26話「消えた少女」

「……想定どおり、二千といったところか」

 ヘルミッドが言った。苦悶に顔を歪めながらもいくぶん冷静さを取り戻したようだった。


 張り詰めていた空気がさらなる緊張を孕むかのようにみえたが、塔の下のバルデス軍は特段動き出す様子もなく事の成り行きを見守っている。


「どうするつもりだ、将軍」レリウスが前に進み出る。「我々を捕えることなどいつでもできると考えていたのだろうが、半獣ラクター狩りのヘルミッドもシンを相手するには力不足のようだ」


「まさか、これほどとはな」ヘルミッドがシンを睨みつけたまま言う。「だが、このような機会をみすみす逃す手はあるまい。やはりこのまま貴侯らを捕らえ、有利な立場で交渉に臨むとしよう」


「私とラスティア様だけならそれも可能だっただろうが、シンがいてはそうはいくまい」

「まさに、恐るべき相手だ。この俺の見境をなくしてしまうほどに……だが、おまえたちを屈服させる方法なら、他にもあるのだ」


 まるでその言葉を待ち受けていたかのようにベイルがシンたちの傍らを一瞬で駆け抜けていく。


 その目的にいち早く気づいたラスティアが駆け寄るより早く、ベイルは茫然と立ち尽くしていたダフとリリ両方の首にぴたりと剣を押し当てた。


「ラスティア王女、あなたの弱点はもう見抜いている」



「二人を離しなさい」

 ラスティアから表情が消えた。

「いますぐ、その剣をよけて」


 ダフとリリは指先ひとつ動かせなくなっていた。首を引きつらせるようにしながら、ひたすらラスティアを見つめている。


「命令するのはこちらの方よ。それとも、一人いなくなった方が素直になるかしら。娘の方は相当つらいようだしね」

 もはや演技するまでもないのか、ベイルの本性と思わしき言葉が淡々と突き付けられる。


 確かにリリはもとが病に侵されているうえ、バルデス軍からの逃走にはじまり目の前で繰り広げられていた戦闘という極度の緊張状態の中に置かれていたせいか、立っているだけでもやっとのようにみえた。


「――なさい」

「さあ、大人しく従いなさい」

「二人を離しなさい!」

「下がれ!」

 ベイルの激にラスティアの表情が歪む。


「あなたは私に逆らえない。ロウェイン家に生まれた者としての使命がそうさせるのかは知らないけれど、あなたは病的なまでに周囲の者を見捨てられない人間よ、ラスティア王女。先の襲撃でもそうだったようにね。さあ、()()()()エーテライザーにも下がるよう言って」


「シン、お願い」

 慌てて頷き、下がる。


「と、いうわけだ」ヘルミッドが場を収めるように言う。「大人しく我らに従ってもらおう。もちろん、不自由な思いはさせないと約束する――くれぐれも変な気を起すなよ」


 ヘルミッドの眼光がシンを射抜く。シンの一撃がよほど効いているのか、目は血走り、顔は土気色に変色していた。思わず身震いがした。


「変な気」どころか、テラの意識介入はすでに解かれているうえ、このような状況を突きつけられては手も足も出ない。


(おいテラ、早くなんとかしてくれ!)

 心の中で必死に訴える。


⦅すでに必要なことは教えたはずだ⦆

(なんだって!?)


「レリウス様!」

 突然、塔の下からとどろくような声が響いた。

 見下ろすと、ザナトス側の騎士が一人、周囲の大軍を物ともせず、堂々たる佇まいでこちらを見上げていた。


「ザナトスに駐屯していたベルガーナ騎士団二千、さんじました! レリウス様、ご指示を!」


「ザナトスを背に陣容を整えよ! バルデス軍を一兵たりとも街中へ入れぬよう隊列を組みなおせ! 私の指示があるまで決して動くな!」

 レリウスの朗々たる声が轟く。


「バルデス軍、引き続き待機せよ!」

 続いてヘルミッドの怒声が響く。先頭に位置する黒騎士の一人が胸に手を当て応えると、軍全体が一斉にそれに(なら)う。


「ラスティア王女、その剣を渡してもらおう――アルゴード侯もだ。そして執政官ワルムをこの場に呼び寄せ、直ちに和平交渉へと移ろうではないか」

 ヘルミッドがゆっくりと歩み寄ってくる。


「和平交渉ですって? その間ずっと二人の首に剣を押し当てているつもりなの」

「こうでもしていないとあの化け物は止められないわ」

 ベイルがシンへと顎を向ける。


(お願いだ、どうすればいいか言ってくれ、なんとかしてみるから!)


⦅可視化したエーテルを己の意志で引き寄せ、常にエーテルと共にあれ。さすればいかなる相手だろうと恐れるに足らん。確かにおまえはこの世界を成すすべてのエーテルを操ることのできる化け物だが、意図せず集まってくるエーテルはさほど多くない。本来の力を発揮するにはおまえの意志が不可欠だ⦆


 すでに泣き出しそうになっているダフと、じっと瞳を閉じたままのリリを視界に収めながら、ラスティアがベイルを睨み続ける。


 あまりにも強く握りしめているせいか、剣先まで震えていた。


(ああ、くそっ! さっきおまえがやったみたいく、あいつのことを思いっきりぶん殴りたいって、そう本気で考えればいいのか!?)

⦅倒すにはそれで充分だが、あの子らを救うにはさすがに間に合わん。私が変わってやっても同じことだ。さすがに奴の手がふたりの首を切り裂く方が早いだろう⦆

(ならどうすればいいんだよ!)

()()()()()()()どうにもならん。隙が見つかるまで大人しくしていろ⦆

(くそ!)


「もう一度言うわよ、早くその剣を離して。それにシンと言ったわね、あなたにはとりあえず塔から降りてもらうわ」


(おい、このまま引き離されたら――)

⦅さすがにどうにもならんな。いっそこやつらを放ってあとは自由にやったらどうだ⦆

(そんなわけいくかよ!)


 どうやらこの鳥――テラは、自分(シン)以外にはまったく興味がないらしい。そのことに今さらながら気付く。少なくともテラからどうにかしてやろうという意志はまるで感じられない。


「あなたほどのエーテライザーであれば誰もが放っておかないでしょう。なにもこんな面倒ごとを引き受ける必要はないわ」

 ベイルの口調には、どこか懇願するかのような響きがあった。


「バルデスに来ることだけはなくなっただろうがな」

 ヘルミッドが自嘲ぎみに笑う。


 自分に対するそんなやりとりも、今はまったく耳に入ってこなかった。

 ラスティアたちから遠ざけられてしまうという焦りと、ダフとリリに押し当てられている剣が今にも二人を切り裂いてしまうのではという恐怖。その二つが、頭にこびりついて離れない。


 カラン、という音ともにラスティアの手から剣が落ちた。

 それを見たレリウスが、同じように剣を放り投げる。


「ごめんなさないシン。あなたは塔の下へ」

「そんな――」

「二人を見殺しにはできない、どうしても。レリウスもごめんなさい」

「なんの、他ならぬあなたの決断です」

 ラスティアを気遣ってか、レリウスは晴れ晴れとした様子で言ってみせた。


 まさに、そのときだった。


 今まで誰の視界にすら入っていなかったフェイルが、手に持っていた何かをベイルへ投げた。

 ベイルにとっても予想外の攻撃だったのか、咄嗟(とっさ)に剣を持っていた側の小手でそれを弾く。


 ダフとリリの首から剣が離れた。


⦅行け!⦆

 テラの声が響くのと、シンが動き出すのとはほぼ同時だった。


 その瞬間シンがイメージしていたのは、先ほどテラがヘルミッドの懐に入り込んだ、あの動きだった。


 一瞬にしてベイルへと迫ったシンは思い切りベイルの手首を掴んだ。


「あぁっ!」

 ベイルの苦痛に満ちた声が響き、その手から剣が落ちる。


 まるで生き物を握り潰してしまったかのようなぐにゃりとした感触が走った。

 反射的に手首を離してしまった次の瞬間、ベイルが勢いよく飛び退いた。


 ベイルと衝突したリリが、宙へと投げ出される。


 誰ひとりとして声すら上げられないなか、細身の少女は一瞬のうちにシンたちの視界から消え失せてしまった。


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