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第25話「エーテライズ」

「テラか!」

 そうシンが叫ぶのとラスティアが動くのはほぼ同時だった。


 ラスティアがヘルミッドの懐へ入り込み、斜め下方から素早く切り上げる。ヘルミッドは一歩下がることでそれをかわし、ラスティアに続いて振り下ろされたレリウスの剣も瞬時に避けてみせた。

 

「どうした、ラスティア王女。それではアルゴード侯の剣技となんら変わらないではないか。早く貴方のわざとやらをみせてくれ」


 返答代わりに突き出されなラスティアの剣がヘルミッドの頬をかすめていく。


「それとも、今はなにか使()()()()()()でもあるのかな」


 今度はレリウスがヘルミッドの足をごうとするが、その巨体からは考えられない足さばきで後方へと退く。


 ラスティアとレリウスが次々と剣技を振るっていくが、ヘルミッドは自身の剣すら抜かず、相変わらずの笑みを浮かべながら浮かべながら二人の攻撃を(かわ)し続ける。


⦅ちょうどいい時と状況がやってきたではないか⦆

「おまえどこにいる!?」

⦅そんなことはどうでもいい。約束どおり、おまえに(エーテル)の扱い方を教えてやる⦆

「いきなりかよ!」


「……あんた、誰と話してんだよ」

 振り向くとダフとリリが蒼白な表情を浮かべているのが見えた。フェイルも組んでいた腕を中途半端に解き、怪訝な表情を向けてくる。


⦅あまり声に出さない方がいい。おまえ以外私の声は聞こえないからな⦆

(くそっ、おまえいつも突然すぎだぞ!)

 シンは頭の中で悪態をついた。


 烈火のごとく剣を振るい続けるラスティアとレリウスにシンを気にする余裕はないようだった。


 ヘルミッドの部下たちも突然始まった戦闘に戸惑っているのか、互いの面を見合わせるようにしながら事の成り行きを見守っている。

 しかしヘルミッドだけは同時に二人を相手にしながらも常にシンを視界に入れている。


 シンの額を冷たい汗が伝う。


⦅今のおまえには良い見本だ。あのヘルミッドとかいうやつの動きをよく見ろ。まるで次の攻撃がわかっているかのように攻撃をかわしているだろう⦆


 まさにその通りのことが起こっていた。シンは一も二もなくうなずいた。


⦅自身の根源エーテルを瞳に集約し、極限まで高めた眼力によって相手の動きを先読みしているからだ⦆

(なんだって?)

⦅さらに己のエーテルで肉体を強化し、常人では不可能な速さで動く。やってみろ⦆

(いきなりそんなこと言われてできるか!)


(なぜだ、さっき無意識のうちにやってみせていただろう。ヘルミッドとやらが言っていたように明確に意志しない限り熟練のエーテライザーには太刀打ちできんぞ)

 ラスティアとレリウスの攻撃を躱し続けるヘルミッドが、まるで「おまえはいつ参加してくるんだ」と言わんばかりの視線を送ってくる。


 それでも、テラの存在を感じられるようになってから、先ほどまでの震えはなくなっていた。


 いつの間にかシンは、この声を――この声の主である白いフクロウのことを頼りにしている自分に気づいた。


⦅初めて学ぶことではないはずだ。おまえの頭には確かにエーテルの存在が刻まれている⦆


(刻まれてる?)シンは一瞬考え込んだが、すぐに思い至った(前に読んだ本に同じようなことが書いてあっただけだ! てか、人の頭ん中を勝手に覗くなよ!)


⦅心配せんでも表在的な記憶にしか触れられん。それより、その本にはいったい何と書かれていた。エーテルという存在を、おまえはどう理解している⦆


(そんなことより、この前みたく俺の体を使ってなんとかしてくれよ!)

 ほんの少しでもいい、ラスティアたちの力になりたい。なによりあのヘルミッドの視線から早く逃れたい。そんな思いがシンの焦燥をより激しくしていた。


⦅私に頼ったままではいつになっても()()()を発揮できんではないか。あやつを何とかしたいなら早いところ思い出すんだな⦆


 はっきりそう告げられ、シンは必死に以前読んだ本(エルダストリー)の記憶を辿った。


(くそっ、たしか――世界を構成する源、みたいなものだった、はず!)

⦅それで⦆

(その、世界のあらゆるものや場所に存在していて……視える人には淡い緑色の光みたいに――)

 

 その瞬間。


 シンの目に映る景色が、そのすべてが、別世界へと変貌(へんぼう)を遂げた。


 淡い緑色の光が、シンの目にしている景色の、あらゆる場所や空間に漂っている。


 遠くや、光の密度が薄い箇所は霧のようにしか見えないが、その逆に密度が高く、幾重いくえにも重なっているような場所はオーロラのように強い輝きを放っているのがわかった。


 よく視るとその幻想的な光はシンの周囲を――体を包み込むように集まってきており、シンが恐るおそる手を伸ばすとまるで生き物のように揺らめいてみせるのだった。


⦅これがおまえのみに許された景色だ⦆

(お、おれだけに?)

⦅そうだ。この世界(エルダストリー)を構成する全てのエーテルを自在に引き寄せ、操ることができる存在、それがおまえだシン。今は勝手に集まってくるエーテルを利用できているに過ぎんが、その程度のエーテルでもだいぶ違うはずだ⦆


 目をこらすまでもなかった。とりわけ強い輝きを放っているのが俊敏な動きを見せているヘルミッドで、それを眺めているベイルもヘルミッド程ではないがやはり輝いて見えた。


⦅よほどの実力者でない限り見抜くことはできんだろうが、これからはおまえの特性に気付く者も出てくるだろう。知られるといろいろとやっかいだ、気を付けろ⦆


 しかしそんなテラの言葉も、今のシンには届いていなかった。はじめて目にしたエーテルの光に見入ったまま、呆然と立ち尽くす。


 器を保持する者――ヘルミッドやベイルからは強い輝きを感じ、それ以外の者は胸の内がほんのりと光っているようにしか見えない。


「――どうやら期待はずれだったようだな。なにもないのであれば、そろそろ終わりにしよう」

 はっとしてヘルミッドへと視線を戻すと、ゆるりと差しだされた手の先に光が――ヘルミッドの体から一点に集約されていくエーテルの光が見て取れた。


⦅気をつけろ、光弾がくる⦆

「え」


 そのとき、ラスティアが片方の手で隣のレリウスを突き飛ばすのが見えた。

 次の瞬間、ヘルミッドが放ったエーテルの塊がラスティアを襲った。ラスティアは両腕を交差させて身を守ったが、まったく受け止めることができず身体ごとシンのいる後方まで吹き飛んできた。


 シンは一切反応することができず、ラスティアの背中が目前に迫ってなお立ち尽くしたままだった。


⦅世話がやける⦆

 ため息をつくかのようなテラの声が聞こえたとき――


『弾けろ』

 明らかに自分の意志ではない声がシンの口から洩れた。同時にラスティアを吹き飛ばしたエーテルが一気に霧散し、吹き飛んできたラスティアの体を軽々と受け止めた。


 苦悶の表情を浮かべていたラスティアは、横抱きにされる形でシンの腕の中にいる自分にに気づき慌てて足を下ろす。


「……ありがとうシン」


(おまえ――)

 シンがテラの意識に触れる。


『黙ってみていろ、手本を見せてやる』

 テラのその言葉はシンに向けてのものだったが、ラスティアは自分に言われたと思ったのか緊張した面持ちで二、三度うなずいた。


「先ほどはまるで顔つきが違うではないか。ようやくやる気になったか」

 ヘルミッドがさも面白そうに言った。


『ヘルミッドとか言ったな』

「いかにも」

「最初に言っておくぞ」

「なにを、かな」


『頼むから、簡単にやられてくれるな』

 その言葉がシンの口から洩れるのと、ヘルミッドの腹を拳で突き上げるのはほぼ同時だった。


「っが!」

 ヘルミッドは悶絶するように腹を抱え、二、三歩前にふらつくと、前のめりになって倒れ込んだ。


「ヘルミッド様!」

 黒騎士たちの上ずった声が響いた。

 彫刻のように固まっているベイルは、その面頬のせいでまったく反応が読み取れない。


 シンの体を操ったテラは瞬きするかしないかの間にヘルミッドの懐へ入り込み、大人と子供ほどもある体格差をものともせず、拳ひとつでヘルミッドを沈めてみせたのだった。


⦅覚えておけ、シン。これが根源エーテルまとう闘い方だ⦆

(お、覚えておけって……)

⦅以前言ったとおり、おまえはこの世でただ一人エーテルを宿さない存在だ。その代わりに周囲のエーテルを無限に引き寄せ、自在に操ることができる。今のは地を蹴る脚と殴りつける拳にエーテルをまとわせただけだが、威力はご覧の通りだ⦆

(ご、ご覧の通りって……)


 胃液混じりの唾液を垂れ流し、四つん這いになったまま立ち上がれないでいるヘルミッドを見る。

 いくら自分の意志ではないとはいえ、とんでもなく凶悪な行為であることが容易にわかった。


⦅だから、時と状況が必要だと言った。相応の相手でなければ今ので腹を貫いて終わっていた⦆

(貫いて――)


『さあ、早く立て。こいつ(シン)にはまだおまえが必要だ』

 テラがシンの口を再び動かす。


「きざまぁ!」

 よだれをまき散らしながら突進してきたヘルミッドが、剣を引き抜く勢いそのままにシンの首をいだ。

 喘ぎながらも凄まじい速度で振るわれた炎のように輝く剣先はしかし、シンのエーテルに阻まれ、皮膚にさえ届かなかった。


「お、俺のエーテライズが届かぬだと……!」

⦅この攻撃には気をつけろ。戦い慣れしたエーテライザーは自身のエーテルを武器にも纏わせることで常人には到底不可能なほど強力な攻撃を仕掛けてくる。意志して防がない限り、いかなおまえといえど首を飛ばされて終わるぞ⦆


 テラの言っている意味が、ようやくわかった。


 今シンの体は、絶え間なく引き寄せられてくる波のようなエーテルに包まれ、まばゆいばかりに輝いている。ヘルミッドが発する光とは比較にもならない。


 この輝き(エーテル)こそが、シンの力の正体だった。


 シンはテラからの意識介入の中ではっきりと理解した。


 苦悶と怒りで激高したヘルミッドと、感情のこもらぬ目で見つめ返すテラ《シン》の視線が真っ向から衝突する。


⦅今度はお前の番だ⦆

(ぐ、具体的にどうすればいい!?)


()()()()()()()()()。おまえがどうしたいか、どうなりたいかを明確に頭に思い浮かべ、必ずそうするのだと心に決めろ⦆


 ヘルミッドが無理やり落ち着きを取り戻すかのように激しく息をつき、剣を振り下ろしてくる。

 しかしテラは表情ひとつ変えないまま頭上に(かか)げた指二本でヘルミッドの剣を止めてみせる。


「――ばかな」


『こっちの台詞だ。今こいつ(シン)にどれほどのエーテルが集まっているのかさえ感知できんとは、とんだ見込み違いだ』


「ほざくな! その余裕、すぐにき消してくれる!」

 逆上したヘルミッドが自身の片手にエーテルを集約しはじめた。


 先ほどラスティアを襲った光弾とは比較にならないほどの輝きだった。


⦅ちょうどいい、今度はおまえが防いでみろ⦆

 シンの身体が軽やかに後方へと飛び上がり、片時も目を離すまいとしていたラスティアとレリウスの間に着地した。


(だから、簡単に言うなって!)

⦅いいのか? 何とかしないとここにいる二人も、うしろにいるやつらも全員吹き飛ぶぞ⦆

(おまえ――ふざけんなよ!)


「全員まとめて塔の下まで吹っ飛ばしてくれる!」

 目を血走らせながらヘルミッドが叫ぶ。


「駄目よ将軍!」ベイルの制止する声が塔一帯に響く。「それでは今回の計画が――」


「俺の知ったことかあ!」

 ヘルミッドの手から大量のエーテルが放たれるのが視えた。


 頭の中は、真っ白だった。なにも考えられないどころか、押し寄せて来る赤い波動を前に指先ひとつ動かない。


⦅意志することを行え⦆


 そのテラの言葉に導かれるように――恐怖にすくんだシンの喉もとから、うめくような声が漏れた。


「防げ」と。


 その瞬間。シンの周囲を取り巻くようにしていたエーテルが逆流する滝のように吹き上がり、ヘルミッドが放ったエーテルの光弾をはるか上空まで弾き飛ばしてしまった。


 しばしの沈黙のあと、片手を伸ばしたまま微動だにしないヘルミッドが、引きつった表情を浮かべながら喘いだ。


 しかしそれは、シンもまったく同じだった。


「ありえん……エーテルの奔流などと」


 シンに答えられるはずもなく、驚愕に見開かれているヘルミッドの瞳を同じように見つめ返すことしかできない。


 ラスティアも、信じられないものを見たかのような表情でシンを見つめている。


⦅さきほど私がやったみたく散らしてしまえばよかったものを、おまえは臆病だなシン⦆


(……おれ、どうやって?)

⦅そのように意志しただけのことだ。まあ、今のは単に恐怖心からくるものだろうが、結果としては大差ない。お前の意志が言葉となり、エーテルがそれに応えたのだ⦆

(おれの意志が?)

⦅ああ。そのとおりエーテルを操ったということだ。だが、まだまだ大雑把すぎる。意志を先鋭化して事象を具体的に描けないとすぐにグルが枯渇させてしまうぞ⦆


「もう、十分だろう」

 レリウスがヘルミッドへ向けて言った。

 シンとテラの意識もそちらへと向く。


「将軍、ここは一旦引いてはどうだ」

「なんだと――」

「ヘルミッド様、あちらを!」

 黒騎士の一人が塔の外側を指差しながら叫んだ。


 ザナトスの街から、松明を掲げた大勢の騎兵たちが続々とこちらへ向かって突き進んでくるのが見えた。

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