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第3話「天に叫ぶ」

「……も、もし」

 少女のか細い、探るような声が、シンの胸元で響いた。

 先ほどの襲撃者たちに対し放っていたものとは思えない、別人のような少女の声だった。


 シンは慌てて少女の体から身を引き、何か言葉を返そうとした。だが、いま自分の身に起きていることについて何一つ説明することができず、陸に上がった魚のように口をぱくぱくさせるくらいのことしかできなかった。


「どしてこのような場所に来られたかは存じませんが、感謝を――」


 その瞬間、少女が崩れ落ちるように突っ伏した。


「だ、大丈夫――」

「ラスティア様!」

 シンのたどたどしい言葉を、傍で転がされていた男の叫びがかき消す。


「すまぬが少年、私のこの腕の縄を切ってくれ!」

 有無を言わさないその言葉が、固まってしまっていたシンの体を動かした。


 男の傍で膝をつき、両腕がうっ血するほどきつく結ばれた縄の隙間に指先をねじり込ませようとする。だが、爪が割れそうな勢いで力を込めても一向に緩む気配がない。


 シンの額に汗が滲む。明らかに体に異変を来しているラスティアと呼ばれた少女と、彼女に声をかけ続ける男の様子がさらにシンを焦らせた。


⦅――せっかくの力が泣くぞ⦆

 再び響いたその声に一瞬手が止まりかける。


(くそ、何なんだよこの声は!)

 思わず心の中で悪態をつく。一向にほどけない縄がさらにシンを苛立たせていた。


⦅その細指でどうにかできるとは思わんが⦆

(おまえいったい――)

根源エーテルを扱え⦆

(なんだって?)

⦅エーテルを(まと)えと言っている⦆

(わけがわからない)

⦅……世話が焼ける⦆


 そう言われた、次の瞬間。今まで緩む気配すら見せなかった太い縄が、シン自身の手によっていとも簡単に引きちぎられた。


「あ、ありがたい!」

 両腕が自由になった男は短いうめき声をあげながら立ち上がると、すぐさまラスティアのもとへ駆け寄り、その身体を支えた。


(……どうして)

 目の前に落ちた縄と、自身の両手を信じられない思いで見つめる。

 火事場の馬鹿力的なものでは、決してない。明らかに何らかの力が働いた結果だった。


 頭に響く不気味な声と相まって、自分の両手が――体が、なにか別のものに成り代わってしまったような気がした。


「さあ肩を――お辛いでしょうが早くこの場を去らなくては」

「レリウスさま……申し訳、ありません」


 レリウスと呼ばれた男が素早く首を振る。「とにかく今は逃げ延びることだけを考えましょう」

 ラスティアはわずかな沈黙の後、小さくうなずいた。しかし、ラスティアの肩を担ごうとうしたレリウスも体をよろけさせ、あわや二人同時に倒れてしまいそうになっていた。


 これから、どうすればいい。そんな思いと目の前の二人の様子とが、シンを突き動かした。


「手を貸します」

 そう言って二人のもとへ駆ける。


 レリウスはこびりついた血のせいで一方しか開くなった目を見開きながらシンを見つめると、すぐに頭を下げた。

「かたじけない。君のような器保持者(エーテライザー)に遭遇できるとは、なんという幸運だ」


「え、えーて……?」


 なにを言われているのかまったく理解できなかった。そもそも、見た目も身なりも自分とは何から何まで異なる相手と言葉が通じ合っていること自体謎だった。

 こんなわけのわからない状況のまま、こんな暗い森の奥深くに一人取り残されたら……。想像したたけでおぼつかなくなってしまいそうな足をなんとか踏ん張りながらレリウスの反対側に回り込み、だらりと落ちているラスティアの腕を自分の肩へとまわす。


 この手が、一瞬にして二人の人間の首を。そう怯みかけたシンだったが――


(あ、あれ?)

 ラスティアの身体からまるで重さが感じられず、焦る。


 自分と同じくらい身長があるうえ、満足に歩くこともできない人ひとりを支えるにはそれなりの力が必要なはずだった。そのはずが、このまま片手で持ち上げられそうな気さえした。


⦅私がエーテルを纏わせているからだ⦆


 そんな声にも、すぐそばにいるラスティアとレリウスはまったく反応する様子がない。

 明らかに自分だけにしか聞こえていない、何者かの声。


⦅おまえの軟弱な意志ではすぐに霧散してしまうだろうがな⦆


(とにかく今はこの子を)

 そう言い聞かせて身をかがめる。

「あの、おれ一人でも大丈夫そうです」


「え」

「あっ」


 驚く二人をよそに、ラスティアの身体を軽々と背負いあげてみせる。普段はこのようなことをする性格も人格も持ち合わせいなかったが、シンがそうせざるを得ないほど目の前の二人は衰弱しきっているように見えた。


「あ、ありがとうございます。助かります」

 肩越しからラスティアの吐息のような声が届く。


「本当に、なんと礼を言ったらよいか――」

 レリウスは固く口を結び、再び深々と頭を下げた。


 何と返していいかわからず、曖昧にうなずくことで二人に応えた。


「あの、どこへ行けば」

「私についてきてください。一旦、襲撃を受けた場所まで戻ります。まずは森を抜けるための手筈(てはず)を整えなくては。血の匂いに誘われて変異種たちが集まってくるやもしれません」


 レリウスの言葉をどう理解し、受け止めればいいのか。シンにはまったく返す言葉がなかった。

 とにかくレリウスに続いて歩き出した。


 どこを見ても鬱蒼と生い茂る木々しか見えず、先ほど空を飛んでいたとき(本当に、飛んでたよな……)に目にしていた夕焼けの空は完全に消え失せてしまっていた。


 そこは、完全なる夜の(とばり)に覆われた深い森の中だった。


 シンの通り過ぎた地面には、いまだ血を垂れ流しながら横たわる二つの身体があった。どうしてもそちらへと目がいってしまいそうになるのを無理やりのように引き剥がす。


(どうして、こんなことに――)

 

 風に揺れる木々の喧騒が、シンの感情をより一層掻き立たせる。まるで夢の中の光景のように現実味がない。そんななか、背中越しに伝わってくる苦しげな息遣いと確かなぬくもりが、シンの歩みを確かなものにしてくれた。


(いったい、この人たちは――)


 叫び出したいほどの疑問が、山ほどあった。だが、そのうちの一つとして答えを見つけることができず、くりかえし頭の中を回り続けた。


(おまえは、誰なんだ)

⦅すぐに会えるさ⦆


「声」が当然のことのように言った。

 まるで答えようがなく、シンはひたすら足を動かすことで気を紛らわせた。


 ラスティアを背負い、レリウスに先導されながら深い森の中を歩いていくと、やがて古い煉瓦(レンガ)で敷き詰められたような道が見えてきた。


 近づくにつれ、シンが今まで嗅いだことのない悪臭が漂ってくる。

 

 目を疑うような光景が広がっていた。


 うつ伏せのまま倒れ込んでいる者、虚ろな視線で空を見上げる者、膝をつき、剣を突き刺されたまま動かなくなっている者。


 折り重なるように倒れている人、人、人……。その全員が、絶命していた。

 それも直視できないほど、むごい姿で。


 シンの喉元に胃液がこみ上げてくる。ラスティアを背負っていなければいとも簡単に吐き出してしまっていたかもしれない。こらえきれたのが不思議なくらいだった。


(こんな――こんなことが、現実にありえるのか)


 人間どころか馬と思わしき動物まで何頭も倒れていた。激しい戦闘――命の奪い合いがあったことはシンでさえ容易に想像できた。


 前を行くレリウスの背中は、何も語ろうとはしなかった。そのことが余計シンの心中を波立たせた。


 とめどなく沸き起こってくる恐怖に、まるで地に足がつかなかった。だがそれと同じくらい、後ろの少女のことが気になって仕方がなかった。


「……ここで、降ろしてもらえますか」


 ラスティアがささやくように言った。シンは慌てて腰をかがめた。

 立ち際ラスティアの身体が一瞬よろめいたが、シンが咄嗟とっさに出した腕につかまり、なんとか持ちこたえる。


「すみません」


 ラスティアは蒼白な顔でシンに頭を下げると、レリウスに続いてよろよろと歩き出した。道に倒れている一人ひとりに顔を向けながら、一歩、また一歩と先へと進んでいく。

 

「あなたまでが、どうして……」


 堅牢そうな黒塗りの馬車のそばに、少女がひとり、うつ伏せのまま倒れていた。


 背中には深々と矢のようなものが突き刺さっている。ラスティアは少女のかたわらに膝をつくと、両腕に抱きかかえるようにしてその身を起した。


 口元から一筋の血をこぼし、うつろな視線で空を見上げる少女の瞳には何も映し出されてはいなかった。うしろから眺めているだけのシンにさえ、確実な死が訪れていることがわかる。


 思わずシンは、母親の命が消えたときのことを思い出した。この少女のように、半分開きかけの目で、閉じきれないその瞳で、あきらめきれない何かを求めるように虚空を見つめていた――


「ラスティア様」

 気遣うようなレリウスの声で、シンは我に返った。


()()、こんな……全部、わたしのせいだ」

 ラスティアの声はか細く、そして震えていた


「それは違います」

 レリウスが大きく首を横に振る。


「違う……? いいえ、違わないわ。襲撃者たちは間違いなく私を狙っていた。ベイルと呼ばれていたあの男も私を殺すためと――」

「例えそうであったとしてもです!」レリウスが叫ぶ。「あなたが皆を殺したわけではない!」


 当然シンには、二人のやりとりが、その激情の意味がまったく理解できない。それでも、自分の与り知らぬところで、何か、恐ろしい出来事が――自分が今まで見たことも聞いたこともないような何かが起きているということだけはわかっていた。


 ラスティアはレリウスから目を背け、少女の瞳を優しくなぞるようにして閉じると、ゆっくり前方を見上げた。

 その視線の先には、女性の姿をかたどった一体の像が立っていた。何かを憂うような瞳で、じっとこちらを見下ろしている。


 大勢の人の死に気を取られまるで気づかなかったが、シンたちのいる道はそこだけ円形状に広がっており、中央の女性――少女のような像を取り囲むような造りになっていた。

 道中に設けられた祈りの場のような場所なのかもしれない。ラスティアの腕に抱かれている少女も、今思うとこの像に手を伸ばすかのように倒れていた。


「………エルダよ、私の声が聞こえますか」

 ラスティアが言った。


「この光景が、あなたの目に届いていますか。あなたはなぜ、罪もない人々を……? なぜ私に、このような試練ばかりお与えになるのですか。私には、父や姉たちのような力はない……偉大なるロウェインの血を引きながら、『器』さえ授からなかった……なぜ私にだけ、人々を守る力を与えてくれなかったのですか、どうして……!」


「ラスティア様、どうか……」

 レリウスも、それ以上の言葉をもたないようだった。見ているシンが胸を締め付けられそうになるほど悲痛な表情を浮かべ、押し黙る。

 

「――ないのに……用もないのになぜ創った……なぜ私をこの世に送り出した!」

 翡翠の瞳に涙をにじませながら、ラスティアは叫んだ。

「応えろエルダ!」


 エルダと呼ばれた像は相変わらず憂いを帯びた表情のまま、少女たちを見下ろすばかりだった。


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