第24話「テラ再び」
「シン……!」
ラスティアが驚きの目でシンの背中を見つめる。
考えたうえでの行動ではなかった。気づいたときには勝手に体が反応し、ラスティアの前に走り出していた。
それも、一瞬のうちに。
「くそっ!」
ベイルの面頬から声が漏れる。彼女はシンに片腕を鷲掴みにされ、まったく身動きがとれなくなっていた。
「離せ、この——」
ベイルがもう片方の腕で剣を振り上げるのを見て、シンは慌ててベイルを離し、ラスティアを庇うように後方へと飛び退いた。
「こいつがそうだ、将軍!」
ベイルが叫びながら体を回転させ、水平に切り裂くようにシンの首元を狙う。しかし、その光景がまるでコマ送りのように見えていたシンは、困惑しながら上体をのけ反らせ、躱す。
「ほう」
ヘルミッドが感嘆の声を漏らした。
「エーテライザーの振るう剣をこうも簡単に避けるのか」
シン自身、いったい自分が何をしているかよくわかっていなかった。わかっていたことと言えば、ラスティアの身が危ないということだけだった。
ベイルから続けざま繰り出される剣戟も、幼い子供相手のようにしか思えなかった。相手に悪いような気持ちすら抱きながら、ぎこちない動きで躱し続ける。
ベイルとシンの攻防を、周囲の者たちは呆気にとられた様子で眺めていた。
ヘルミッドだけが目を細めるようにしてシンの動き追っている。
「素晴らしい感知能力だ。まさに膨大なエーテルを秘めている証拠よ、突然空から降ってきたというのもあながち見間違いではないようだ」
「私がそのようなふざけた間違いを――」ベイルが剣を大きく振りかぶる。「するか!」
(――この人)
しかしシンは、意外にも彼女を怖れていなかった。
シンにはラスティアがベイルと言い切った目の前の相手が、先日自分を襲った相手と同じだとは思えなかった。
体格や声音が違うということだけが理由ではない。あのとき向けられた殺意や敵意といった感情が、この相手からはどうにも感じ取れなかったからだ。
今まさに振り下ろされようとしている剣にも先日のような迫力はなく、むしろ躊躇したかのような動きに見えた。
シンは半身になってベイルの剣を交わすと、とにかく自分に対する攻撃をやめさせようという思いで片腕を突き出した。が――
「あ!」
掌が目の前の甲冑に触れた瞬間、凄まじい風圧を受けたかのようにベイルが吹っ飛び、そのまま塔の外縁に衝突してしまった。
予想外の出来事に突き出した手もそのままに固まってしまう。
しばしの間、誰も、何の言葉も発しなかった。
聞こえてくるのはベイルの小さなうめき声と、立ち上がろうとする際に鳴る甲冑の音だけだった。
突然、場違いじみた大きな拍手が全員の耳に届く。
「なんと僥倖なことだ! まさに高序列のエーテライザーにさえなれるほどの素質の持ち主よ!」
ヘルミッドがさも満足気な大声をあげた。
「まさか、おまえたちはシンを?」
レリウスに突然名を呼ばれ、咄嗟にそちらを見る。
「突如として現れたエーテライザーのことはベイルから聞いていたからな。もし話に違わぬ相手ならぜひとも手に入れたいと思っていたのだ。アーゼムでもなければギルドにも属していない、世に埋もれた器保持者……それも、これほど強大な器の持ち主となれば、どの国も——あらゆる権力者や有力者たちはなんとしてでも手に入れようとするだろう。ましてや今の時代、その価値は計り知れん」
ひと睨みされただけで腰を抜かしてしまうような相手から爛々《らんらん》とした視線を向けられ、シンの鼓動が一気に跳ね上がる。
「アインズとて同じなはず、そうだろう、アルゴード侯。貴侯も俺と同じ目論見でこの者を同道させたのではないかな?」
くくくと笑うヘルミッドに対し、レリウスは何一つ答えようとはしなかった。無言のままヘルミッドの視線を受け止めている。
「その様子ではまだ口説いてすらいなかったようだな。見た目に寄らず、ずいぶんと奥手らしい――どうだ、シンとやら。俺と共に来てバルデス王に仕える気はないか? おまえ程のエーテライザーであれば地位や報酬など思いのままだぞ」
「思いのままって――」
「こんな状況でよくもそんな台詞が言えたものね」
ラスティアが言い放つ。
「シンのことはともかく、今はあなたたちの蛮行とこれからのことついて話し合っていたはずよ。そして私たちがザナトスを明け渡すことはないわ!」
「蛮行とは言ってくれる……あくまで抵抗すると?」
ヘルミッドが薄ら笑いを浮かべたまま問う。
「もちろんだ」レリウスが続ける。「私がここに居合わせた以上、アインズ王の腹心として、アルゴードの名のもとに、断固としてバルデスの侵攻を阻止する。たとえ私とラスティア様が捕らえられようと人質としての価値はない。実際、そのように命令を下してきている。ベルガーナの騎士たちは命を賭してバルデスと戦うだろう。ザナトスひいてはアインズ防衛にはなんの支障もない。なにせ、我々は偶然この場に居合わせたに過ぎないのだからな」
「徹底抗戦などと、貴侯らはそれでいいかもしれんが、ザナトスの住人にとっては不幸な結果になるのではないかな。先も言ったが、貴侯らが我らの客人となり兵を引かせてくれれば無駄な血が流れなくて済む。これ以上ザナトスへは一切手を出さないと約束しよう」
「従うはずなかろう。私たちの命を狙った相手と手を組んでいる者の言葉をどうやって信じろというのだ」
レリウスがふらりと立ち上がたったベイルに対し覚めた視線を向ける。
「ベイルにも決して手出しはさせない。先日の貴侯らへの行為と今回のことは分けて考えることをお勧めする。ザナトスで暮らす人々の安全を無視してまで剣をとることが、果たして上に立つもののすべきことかな」
「それはあなたが決めることではないし、あなたが口にしていいことでもない」
ラスティアの翡翠の瞳がヘルミッドを射抜く。
ヘルミッドはしばらくラスティアと視線を交わしていたが、やがて軽くため息をついた。
「……そちらがその気なら、力づくで取り押さえるしかあるまいな」
ヘルミッドが一歩前へと進み出る。シンは思わず身を引いた。相手の巨体が一瞬、大きくなった気がしたからだ。
「初めからそうするつもりだったのでは」
「とんでもない。俺は何とか平和裏に事を進めようとラスティア王女、アルゴード侯との話し合いの場に臨んだのだ。だが、お二人が断固として自国の非を認めなかったことから致し方なく、な」
「なるほど、そのような筋書きでラスティア様の呼びかけに応じたというわけか。自分たちの都合の良い解釈のもと私たち捕らえ、ザナトスを抑え込んでしまおうと」
物騒な言葉とは裏腹に、レリウスは微塵も取り乱すことなく笑ってみせた。
ラスティアが拳を握りしめながらヘルミッドたちを睨みつける。バルデス側の一方的な侵攻と言い分、そしてベイルの存在を許せないでいる気持ちがシンでさえ伺うことができた。
「おまえたちは手を出すな」
ヘルミッドが片手を上げ、にわかに動き出そうとしていた黒騎士たちを制する。
「いかに我が軍の兵が優秀とはいえ、アルゴード候はアインズ有数の騎士であり、ラスティア王女も不可思議な業を扱うと聞く」
「取り押さえると言っておきなが、我が国の王女に対し刃を向けるというのか」
レリウスが非難じみた声を上げた。
「正式にはまだ認められていなかったはずだが。俺としても礼を欠かないよう取り繕っているだけのこと。それに、剣など抜かぬさ。なるべく時間をかけて招集中の兵と合流しようとでも考えているのだろうが――俺はそう簡単な相手ではない。アルゴード侯、この場にのこのことやって来たのが間違いだったな」
その啖呵、その威圧に引きずり込まれるように、ラスティアとレリウスが同時に剣を引き抜いた。
「そして、シンとやら」
突然ヘルミッドから名を呼ばれ、息を呑む。
「優れた器を持っているようだが、ただ漏れ出しているだけのエーテルでは俺の攻撃は防ぎきれんぞ。戦う意志すら示さぬまま退けられる相手ではないとだけ言っておこう。ベイル、おまえはそこで見物しているがいい」
ベイルが無言のままこちらを眺める。
「この半獣狩りのヘルミッドが四人まとめてお相手をしよう」
「あれだけ大勢の兵を下に待機させ、武装すら解除させずに会話を続けていたのはいつでも捕らえることができるという自信の表れ、ということ」
「いかにも」
レリウスの冷たく言い放つのような言葉に対し、ヘルミッドはすぐさま頷いてみせた。
「あなたはどうするのフェイル!」
ラスティアがヘルミッドを見据えながら叫んだ。
「おい、勝手に巻き込むなよ」
これまで沈黙していたフェイルの迷惑そうな声が飛んでくる。
「あんたらでどうにもならなくなったら適当に逃げるさ」
「そんな隙なんてありはしないけど——ダフ、リリ、あなたたちはうしろへ。リリ、辛いでしょうけど頑張って。必ずなんとかするから」
二人は声もなくうなずき、後方の壁へと張り付くようにした。
これから始まるであろうことを想像し、シンの震えはよりいっそう激しさを増した。
自分がどうしてこの場にいるのかさえ考えられなくなっていた。
「ずいぶんと愉快な仲間がいるようだが……準備はできたかな」
ヘルミッドの顔に剣呑な笑みが広がった。
⦅臨むところだ⦆
頭の中でそう答えたのは、自分ではなくあの声だった。
⦅シンに力の扱い方を教えるにはうってつけの相手だ、おまえは⦆




