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第23話「咆哮」

「ベイルですと……!?」

 レリウスの驚愕した声が塔全体へ響き渡る。


「ベイルって――」

 数少ない聞き覚えのある名前に、シンでさえ息を呑んだ。


「……いったい、それは誰のことですか」

 当の黒騎士の面頬から、くぐもった声が漏れる。

 その声音は、間違いなく女のものだ。


 ごく短い時間でしかなかったが、衝撃的な出会いをしたシンだからこそわかる。

 目の前の相手があの男(ベイル)のはずがない、と。


「襲撃されたときは見抜くことができなかった……あの姿は〈擬態〉だったのね」

 シンやレリウスとは裏腹に、ラスティアは目の前の相手がベイルであると微塵みじんも疑っていないようだった。


 しばらくのあいだ、身を削られていくかのような沈黙が流れた。

 ややあって、ヘルミッドが短く息を吐いた。


「なるほど、おまえの言うとおり一筋縄ではいかぬ娘だな」

 言いながら傍らの黒騎士を見やる。


「なぜ、私だとわかった」黒騎士の――いやベイルの張り詰めたような声が響く。「あのときと体格はもちろん、声音こわねや話し方すら変わっているというのに」


「どんな理由があるかはしらないけど、今はどこか一部だけを変えているわね。そんな中途半端な擬態(エーテライズ)は違和感しかもたらさないわ」

 ラスティアの声が、微かに震えだす。

「決して渡り合ったとはいえないまでも、皆を逃がすため私は、あなたと戦った。なんとしてでも生き延びるために、あなたのエーテルを、それこそ死に物狂いで感知し続けたのよ」


「なるほどね。私の元形を把握されていたということね。あなたの技量を見誤っていたわ」


「あれだけのことをしておきながら、たかがその程度の擬態で私が気づかないと――本気で思っていたの!」


 突然のラスティアの叫びが、後方に控える黒騎士たちをおののかせた。

 それはシンやダフ、リリといった面々はもちろん、どこか漂々《ひょうひょう》とした表情のフェイルさえ驚愕させてしまうほどの咆哮ほうこうだった。


 シンはエルダストリーの空を飛んでいたときに映し出されたラスティアの姿を、その激情を。今、まざまざと思い出していた。


 ただ美しいだけの少女ではない。その翡翠(ひすい)の瞳には、生半可ではない、彼女の信念を侵した者たちへの激情という名の炎が確かに宿っていた。


「よく、私たちの前に姿を現せたものだ」怒りを押し殺したようなレリウスの言葉が続く。「ヘルミッド将軍、これは極めて重大な事態と言わざるを得ない。そやつがバルデス側にいるということは、ラスティア王女襲撃事件の首謀者はバルデスということになる」


「勘違いしないでもらおう。貴侯らを襲ったのはベイルたちであり、我が国は何の関係もない」

 ヘルミッドが牙を向くようにして笑う。まるで猛獣が人の皮をかなぐり捨てたかのような豹変ぶりだった。


「バルデスは無関係だと?」

「当然だ。こんななりをしているが、そもそもこやつは俺の部下ですらない。俺はベイルから持ち込まれた情報を、ベイルは俺の立場を、それぞれ利用しただけのこと」

「我々が非難するには十分な理由だと思うが」

 レリウスもヘルミッド同様、鼻で笑ってみせた。


「話を取り違えないでもらおうか。今回の非はあくまでアインズ側にある。俺は我が国の大義を果たし、ひいては西方諸国の平和を守るため、貴侯らの情報をもつベイルを同行させたに過ぎん。まさかこのような状況になるとは思ってもいなかったがな」


「そうなってしまったからには、ぜひこのベイルという者の正体と目的、そしてバルデス軍との繋がりについて詳しく説明していただこう」

「できぬ相談だ」

「ふざけないでもらおう、我々には知る権利がある。私とラスティア王女はそやつに命を奪われそうになったうえ、私に仕える者たち全員が殺されたのだぞ!」

「ラスティア王女襲撃について、バルデスは何ら関与していない。ベイルとの件についても俺の権限でどうこうできるものではない。今回の件には俺などでは遥かに手の及ばない事情があるのだ。貴侯程の人間であれば想像できるだろう」


「あなたたちの目的はいったいなに」

 ラスティアは怒りと苛立ちを隠さなかった。

「そこにいるベイルは間違いなく私の命を狙っていたのよ。互いの立場を利用したというのなら、どうして私との話し合いに臨んだの。外周の人たちと同じように殺してしまえば済んだ話だわ。そもそも私やレリウスの存在を初めて知ったかのような演技までしたのはなぜなの」


「やはりおまえは自分の価値というものをまるで理解していない」

 突然ベイルが口を挟んだ。


「また、以前と同じようなことを言うのね」

 ラスティアが皮肉交じりに言う。


 押し黙ったベイルの代わりにヘルミッドが口を開く。

「バルデス側としては、ラスティア王女と、それにアルゴード侯に()()として同行願えればと考えたのです。先も言ったように、お二人がいればザナトスを無血で明け渡しもらうことも可能でしょう」


「私にそんな権限はないわ!」

「確かに、今のあなたにはないかもしれません。しかしアルゴード侯は違います。アインズ国内のみならず、その地位や名声は西方諸国全土に知れ渡っている。緊急時にザナトスを明け渡す命令を下すくらいのことは可能なはず。そうだろう、アルゴード侯」


「……なるほどな、私を呼び寄せるためにラスティア様を——今回の場を利用したということか」


 ラスティアがはっとした表情でレリウスを見る。

 レリウスはヘルミッドに視線を向けたまま頷いてみせた。

「私とラスティア様の関係を、そこのベイルから聞いていたのだろう」


「なんとでも想像するがいい。さあ、答えを聞かせてもらおうか。我々の客人となり、ザナトスを明け渡すか、それとも……」


「私とレリウスがそのようなことを許すはずないでしょう」

 ラスティアが言う。


「もちろんです、ラスティア様」

 レリウスが同調した。


「現国王の姪にしてロウェイン家の直系ともあろうお方が、邪教徒粛清という大義の前に立ちはだかるとはいかがなものか。いずれにせよ、我らは引き下がりません。大手を振ってあなた方を捕らえることだってできる――」


 まさに、そのときだった。

 突然地を蹴り走り出したラスティアが、ヘルミッドの首元へ向けて腰元の剣を抜き放った。

 しかしラスティアの鋭い一撃は、すぐ横にいたベイルの突き出した剣に阻まれてしまった。


「……まったく予期せぬうちに敵の将を狙う。まこと良き判断です、ラスティア王女」

 微動だにしなかったヘルミッドが笑みをこぼす。

「しかし命までとってしまおうとするのはどうかと思います」


「首に押し当てるまでを狙ったのでしょう」

 ベイルがラスティアの剣を押し戻しながら言う。

「将軍の命を盾にこの場を切り抜けるために。違う?」


「くっ!」

 ベイルの剣圧に圧倒され、ラスティアが距離をとる。


「貴様!」

「お下がり下さい将軍!」

 そのときになり始めて周囲の黒騎士たちが騒ぎ立てる。


「構わん」 ヘルミッドが笑みを浮かべながら言う。「よい余興だ——おまえにまかせてよいのか、ベイル?」


「この場にいる全員を捕らえよというのであれば——」

 ベイルがラスティアとの距離を瞬時に縮め、その腕を強引に伸ばす。

 だが——


 瞬く間にラスティアとベイルの間に割って入り、ベイルの腕を、その手首を鷲掴みにした者がいた。


「それはやはり、難しいと言わざるを得ませんね」


 面頬の奥に潜んでいるベイルの瞳が、目前の黒い髪と瞳の少年を映し出していた。

 

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