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第21話「激高の黒騎士」

 レリウスは逃げまどうを群衆に飲み込まれないよう、巧みに手綱を操りながら常に外周へと馬を走らせていた。

 シンがまっすぐ駆けて来た道とは大きく外れてしまっていたが、その分一度も馬足を緩めることなくザナトスを取り囲んでいる外壁を抜けることができた。


「――なんという」

 馬を止めたレリウスの口から、驚愕の声がれた。


 ほんの少し前までひしめき合うように建てられていた天幕や掘っ立て小屋は、津波にみ込まれた後のような残骸を残して跡形もなく消え失せてしまっていた。

 その代わりに外周を埋め尽くしているのは、人馬一体といわんばかりに整然と隊列を組んだ一万にも及ぶ騎影——隙間なく灯された松明の炎だった。


「なぜ、街へ攻め込んでこない」

 レリウスの言う通り、バルデス軍はラスティアたちが避難していた塔より街側には進軍していなかった。塔と街との間にある天幕や小屋はそのままの形で残されている。


「ラスティア様は!?」

「あ、あの塔の上に!」

 シンが指差した塔の上で、ラスティアと思わしき人影が松明の明かりに映し出された。

 複数の黒い騎士たちと対峙しているのが見える。


 その姿を見るや否や、レリウスは目の前の大軍にも怯む様子を見せず、はいや! という掛け声とともに馬を駆けさせた。

 

「ラスティア様!」

 レリウスはシンの胃の底まで振動させるような怒号を張り上げながら一直線に塔へと向かう。


 バルデスの軍勢も、たった一騎で駆けつけて来る――正確には二人だったが――レリウスとシンの存在には当然、気づいていたようだった。だが、決して動くなとでも命じられているのか、まるでその道を開けるかの如く隊列を組んでいた。


 両脇を松明が照らす道を、レリウスとシンは猛然と駆け抜けていった。


 炎に映える黒い面頬めんぽおをこちらに向け、ずらりと居並ぶ彫像のようなその(たたず)まいの騎士たちは、不気味とも神秘的ともいえる光景を作り上げていた。

 シンはレリウスの背中に張り付き、馬体に激しく揺られながら、いつ突進してくるかもわからない大軍を息を殺しながら見つめ続けた。


「ラスティア様!」

 塔を間近に見上げられる位置で再度レリウスが叫ぶ。


「レリウス!」

 塔の上からラスティアの顔が覗いた。


「いま、そちらへ参りますぞ!」

 塔の入り口にたどり着いた瞬間、レリウスは馬から飛び降り、脇目も振らず中へと走りだした。シンも転げ落ちるようにして馬から降り、レリウスの背中を追う。


 崩れかけの螺旋らせん階段をひたすら駆け登っていく。いま自分がとんでもなく尋常ではない状況に(おちい)っていることは確かだったが、ひたすらレリウスの後を追うという目的のおかげでなんとか正気を保てていた。


 普段のシンであれば、決して追いつけるような速さではなかった。だが、先ほど街中まで走ったとき同様、シンは自分がありえない走力をしていることに気づいていた。それでも今は疑問を挟む余裕はなかった。


 レリウスの背中越しに、松明の光が差し込んでくるのが見えた。二人は螺旋階段を昇りきると、一気に外へと飛び出した。


 最初目に映ったのは、黒騎士たちと対峙しているラスティアと、彼女の背に隠れるようにしているダフ、そのダフに寄り()うように膝をついているリリの姿だった。

 意外なことにフェイルの姿もあった。腕を組みながら片隅の壁に背中を預け、いま現れたレリウスとシンを横目で眺めるようにしている。


「どうしてふたりで――兵はどうしたの!?」

 ラスティアが困惑と驚愕が入り混じったような表情で叫ぶ。


「あなたが窮地におちいっているというのに、兵が集まってくるのを黙って待っている私とお思いですか」

 レリウスはしかしラスティアではなく、彼女と向かい合っている相手へと視線を向けていた。


 塔の上にはラスティアたちの他に、黒い甲冑を着こんだ巨躯きょくの男と、そのうしろに控えている同じく黒い甲冑を着た複数の兵がいた。


「アルゴード侯、レリウス・フェルバルトだな」

 先頭に立つ巨躯の男がレリウスに向かって言った。


 あご全体を覆う髭と、顔の縦横に傷をもつ壮年の男だった。一人だけ面頬めんぽおを外しており、堂々たる佇まいでレリウスと向き合う。

 その男の迫力に、シンは思わず後ずさりそうになった。しかしレリウスはおくするどころか一歩前に出て深くうなずいてみせるのだった。


「いかにも。私を知っているのか?」

「ここへ駆けつけてくる間にラスティア王女からお聞きした。アインズ王の――いや、アインズの懐刀とまで呼ばれるアルゴード侯とこんな場所でお会いできるとは光栄だ」


「お褒めいただき感謝する。で、そちらは」

 レリウスは抑揚(よくよう)のない言葉で切り返す。先ほどの激情など微塵みじんも感じさせなかった。


「この軍の将を務めている、ヘルミッドという」


 レリウスは一瞬だけ片方の眉を吊り上げた。

「その御高名は私のもとへも届いている。いくたびも東へおもむ半獣ラクターたちの侵攻から西方諸国を守り続けてきた英雄が、いったいなぜこのようなことを? 開戦の意志すら伝えず一方的に戦端を開くなどと……まるで侵略ではないか」

 

 レリウスの言葉どおりだった。いままさにシンたちは、一万以上もの他国の兵と、彼らが掲げる松明の明かりに取り囲まれているような状況だった。


 今はもう暗闇に紛れて見えなくなってしまったが、あまりにも多くの人々の死が、あちこちに転がされていた。彼らの暮らしを支えていた品や物資は、数え切れぬほどの蹄鉄ていてつに踏み潰され、もとが何であったかもわからない残骸(ざんがい)となり果てていた。その上を、黒い騎兵たちがびっしりと埋め尽くすように居並んでいる。


 先ほどまで確かに存在した人々の営みが、跡形もなくなっていた。

 まるで(あり)の大軍が一匹の虫を食いつくしたあとのように。


 外周を逃げ出して来たときの光景が、人々の悲鳴が、耳に焼き付いてはなれない。シンの全身はいまだ馬上にいるときのように震えていた。一方の手でもう一方の手をつかみそれを止めようとするが、一向に収まる気配がない。


 ふと見ると、ダフとリリもシンと同じような有様だった。二人で身を寄せ合うようにしながらラスティアの背後で限りなく小さくなり、血の気の失った顔で事の成り行きを見つめている。


 まるで怯む様子もなく相手を見据えるレリウスやラスティア、それに太々しい様子のフェイルでさえ、シンにはまるで違う生き物のように見えた。

 

「このような残虐的な行為は決して許されるものではない。アーゼムが黙っているとお思いか」


「言葉に気をつけるのだな、アルゴード侯。まるで我らが本当に侵略してきたかのよう言い草ではないか。もちろん我が国(バルデス)にはこうするに足る正当な理由があり、アーゼムに対しても十分に説明を果たす所存だ。実際、途中すれ違ったテルミアからも理解が得られたからな」


「なんだと」レリウスが目を見開く。「テルミアが、バルデスの侵攻を許したというのか」


 思わずといった様子でレリウスがラスティアを見やる。ラスティアはすでに聞いていたのか、きつく唇を噛みしめていた。


「もちろんだ。いかなテルミアとはいえ、その意志はアーゼムに殉じるもの。彼らに制止されたにも関わらずここまで進軍したとあってはのちに何と申し開きができようか。今の状況も、ラスティア王女の勇気ある呼びかけに応え、一時停戦に至ったに過ぎない。そちらの返答次第ではいかなる選択もあり得るものとお考えいただこう」


 そうだ。いったいラスティアはどうやってあの進軍を止め、ヘルミッドたちをここへ来させたのか。 

 街ひとつを飲み込んでしまうような大軍勢を前にして、今さらながらそのことに思い至る。


「その『正当な理由』というものに、よほど自信がおありらしい」レリウスが見るからに友好的ではない笑みを浮かべる。「大軍でもって大勢の人々を蹴散らし、今なザナトスを取り囲んでおきながら、侵略ではないと? ぜひ私にもテルミアに対して行った申し開きの内容をお聞きかせいただきたい」


「もちろんだとも」

 ヘルミッドが大仰にうなずく。

「我らはエルダの名のもとに、邪教徒を粛清しゅくせいにきたのだ」


「邪教徒を、粛清だと?」

 レリウスがこれ以上ないほど眉間にしわを寄せる。いったい何を言っているのかと言わんばかりだった。


 ラスティアは息をひそめるようにしながら二人のやりとりを見つめている。

 まるで無関係のはずのシンも、呼吸の仕方を忘れてしまったかのように息を詰まらせていた。


「アルゴード侯ともあろう者が知らないとは言わせんぞ。次期国王との呼び声も高いディファト王子がイストラの核光学に手を染め、核光兵器(メキナ)の開発とそれを扱う軍を育て上げようとしていることをな」

 

 ほんの一瞬、レリウスは鋭い痛みが走ったかのような表情を浮かべた。

「――世迷い事だ」


「ディファト王子が半獣ラクターから得た素材をザナトス経由で王都(オルタナ)に取り寄せメキナ開発に取り掛かっているという事実を、我々は確かな情報筋から掴んでいる。これが創造主エルダに牙をく行為でなくてなんだというのだ。アーゼムはむしろアインズ側に非があるとみるだろう」


「もし仮にそんな世迷い事が事実だったとしてもだ、ディファト王子お一人の酔狂に過ぎんではないか! バルデスはたかがその程度のことを理由にザナトスを滅ぼし、我が国に攻め入るというのか!」


「その程度だと!」

 ヘルミッドの地を這うような叫びが、塔全体へと響き渡る。

「一国の王子が、次期国王ともなるかもしれん立場の者が、邪教の技術に手を染め、恐るべき殺戮さつりく兵器を手にしようとしているのだぞ! 我が国にとって――いや、西欧諸国にとってこれほどの脅威があろうか。我が王とバルデスの騎士たちはエルダストリーの安寧のため行動を起こした、そのことをしかと胸に刻んでいただこうではないか!」


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