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第20話「馬上の願い」

 シンが誰よりも早く街の中心部へたどり着いたとき、当然まだ外周での混乱は伝わってきていなかった。それでも、遠く聞こえてくる悲鳴や破壊音、一万頭以上もの馬とそれに跨る騎兵が巻き起こす喧噪は、ザナトスにいる人々の胸に、何か、とてつもないことが起きているのではないかという不安や恐れを否応なく抱かせたのだった。


 家々や店先から外へと出てきた者たちは、くりかえし背伸びしながら外壁の向こう側を眺め、いったい何事かと首を傾げていた。建物のあちこちから顔を出し、指を差しながら目を凝らす者も少なくなかった。


 遠く暗闇のなか、明かり一つ灯さないまま蹂躙しているであろうバルデスの大軍を捉えられる者はエーテライザーくらいのものだった。だが、彼らの多くはギルドに寄せられた依頼をこなすため、ザナトスから出払ってしまっていた。


 常人でしかない人々の中で、関係が悪化しているとはいまだ国交のある隣国(バルデス)が攻めてきているなどと言い当てた者は皆無に近かった。


 彼らは騒ぎの中心からやってきたシンに対し、いったい何が起こっているのかと聞き出したくて仕方なかったようだった。だが、人々の隙間をすり抜けるようにして一瞬のうちに駆け抜けていくシンには、かけ声ひとつかけられなかった。


 みんな早く逃げてください、バルデスの大軍が迫っています!


 そう叫びながら走っていれば良かったのかもしれない。だが、今のシンにそんな余裕はなかった。


 もし、ラスティアのもとへ駆けつけるのが間に合わなかったら――そのことが頭を過るだけで血の気が引いた。荒い呼吸をくりかえしながら、シンはひたすらレリウスのもとへ走り続けた。


 しかし、それも限界だった。


「おい、あんた大丈夫か」


 唐突に足がとまり、膝ががくりと折れる。

 自分でも、自分の足の速さが信じられなかった。しかしそんなことに驚いている暇もなく、かなりの距離を一気に走り通してきたのだ。さすがに息が続かなくなった。


(レリウスのいる城館まで、あと少しなのに……!)


 地面に叩きつけるような荒い呼吸を繰り返すシンを見て、周囲の人々が気遣うような声をかける。

 大丈夫です、といった返事をすることもできず、せめて顔をあげようとしたシンの視界に飛び込んできたのは、まったく予期していない人物だった。


「シンか!」

 颯爽さっそうとこちらへ向かって馬を走らせてくる人物、それは紛れもなくレリウスだった。


 どうして、という疑問より先に、シンは安堵感から涙がこぼれそうになった。

 いつのまにかシンは、このレリウスという男に絶対的な信頼を寄せていたのだった。


 レリウスは馬を(いなな)かせながら地面へと飛び下り、シンのもとに駆け寄った。


「シン、いったいどうしたというのだ。ラスティア様は!?」

「――どうして、ここに?」

 いまだ呼吸が整わないなか、なんとかそう言葉にできた。


執政官ワルムと話しているうちに、やはりお互い気になってしまってな。兵に後を追わせていたんだ」レリウスが険しい表情のまま続ける。「そのうち二人が外周へ向かったという報告を受け、慌てて様子を見に来たというわけだ。まさか、あんな場所まで足を運ぶとは思ってもみなかったぞ。治安の悪さは筋金入りだからな。ラスティア様やシンをどうこうできる輩がいるとは思えなかったが、何らかの事件に巻き込まれる可能性はあると――」


「バルデスの大軍が迫ってる。そう伝えて欲しいってラスティアが」

 レリウスの言葉を遮るように言うと、レリウスの表情が一変した。


「バルデスの大軍だと?」

「外周の人たちは、もう襲われてる。すぐにも街中まで迫ってきそうな勢いだった」

「それで、ラスティア様は」

「ここで食い止めるって。ダフたちと――今日知り合った姉弟きょうだいたちと、外周に建っている塔の上に」


 レリウスは強く両眼を閉じ、苦渋の表情を見せた。だがそれも一瞬のことだった。

 かっと目を見開くのと同時にうしろに控えさせていた兵たちへ向けて叫ぶ。


「バルデスが侵攻してきたと、そうワルムに伝えよ! おまえはベルガーナの宿舎へ行き、アルゴード侯レリウス・フェルバルトの名のもとに今駐屯している兵を全員外周に集めろ! 同時にセイグリッド砦に早馬を走らせベルガーナ騎士団の全兵力をここへ集中させるのだ!」

「れ、レリウス様は!?」

 混乱の色を隠せない兵たちが慌てて聞き返す。


「このままラスティア様のもとへゆく! ワルムにくれぐれも伝えろ、今後私とラスティア様がどのようなことになろうと、絶対にバルデスを明け渡してはならないと――早く行け!」

 凄まじい剣幕で命じられた兵たちは一斉の敬礼でもって応え、すぐさま馬首を返しもと来た道を走り去っていった。


「シン、案内してくれ!」

 兵たちに命じた勢いそのままにレリウスが言った。

 

 シンは考える間もなくうなずいた。


 レリウスは再び馬上の人となると、すぐさまシンへ手を伸ばした。

 シンが反射的にその手をとると引力のようにレリウスの背後へと引っ張られ、一瞬のうちに馬上の人となった。


「しっかりつかまってくれ!」


 レリウスが手綱を振るった瞬間、凄まじい勢いで馬が走り出す。シンは振り落とされそうになる体をレリウスの頑丈な背中にしがみつくようにしてこらえた。


 あまりの振動の激しさに、シンの腰はほとんど浮きっぱなしになっていた。今まで走って来た街並みが先ほどの自分と同じような速さで通り過ぎていく。


 外周に近づけば近づくほど、住人たちの様子が目に見えて変化した。すでにバルデス軍の存在を見聞きしたのか、逃げまどう人々の群れがシン達の両側を奔流ほんりゅうとなって逆走していく。その中央を無理やりこじ開けるようにレリウスの操る馬が駆ける。


「聞いてくれシン!」

 前方に目を向けたままレリウスが叫んだ。


「私はなんとしてもラスティア様を助けたい! 私はあの方にこの国の――いやこの世界(エルダストリー)の行く末を視た!」


「ゆ、行く末!?」

 レリウスの背中越しに叫び返す。


「賢王とまで称えられた我が国(アインズ)の王も病に倒れ、いまや国政すらままならぬ! 次期国王も定まらぬなか、〈水晶の玉座〉を狙う王子王女たちの王位継承者争いのせいでアインズは今揺れに揺れている。アーゼムの抑止力が弱まっているこの時期にバルデスが攻め込んできたのは、決して偶然ではない。あまりにも時期が合いすぎる! そして、ラスティア様には言わなんだが、先の襲撃の裏に王宮の関係者がいたとしてもおかしくはないのだ!」


「そ、それは、王女になるラスティアが邪魔だからってこと!?」


「そうだ! ラスティア様は民衆から絶大な信頼と人気を得ていた王妹フィリー様と、アーゼムの偉大なる支柱ランダル・ロウェインとの間に生まれたお方だ。いくらハーノウンと呼ばれているとはいえ、玉座を狙う者たちにとっては脅威と映ったのかもしれん。ラスティア様にまったくその気がなかったとはいえ、私がもっと注意を払うべきだった……! そしてもしラスティア様を狙った目的が我が国の王冠争いに端を発していたとしたら、その黒幕は恐ろしいほど先を見通す目を持っていると言わざるを得ない!」


「ど、どうして!?」


「ラスティア・ロウェインという少女が、次代の王たる素質を持つ者だったからだ! 若い時分より多くの『人』を見てきた。我が国はもちろん、あらゆる国の王室関係者、貴族、有力者たちと既知(きち)を得てきた。もちろんその中にはラスティア様と近い年代の若者もいる。だが――()()()()()()()()()!」


 シンに説明していながら、まるで自分自身に言い聞かせているかのようだった。その熱気に追いやられ、シンは返事すらできなくなっていた。


「だからこそ、こんなところで何かあってはならんのだ! この命を投げ討ってでも私はラスティア様を守ってみせる! だからシン、私の身に何事かあった場合は、私の代わりにどうか、ラスティア様を守ってくれまいか!」


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