第18話「自由な世界」
「なんだって?」
フェイルが少しの間のあと聞き返した。
シンも思わずラスティアを見る。
「ダフもリリも、私と共に来てもらうわ。もちろん、本人たちが望めばだけれど」
「え? と、共に来てもらうって、え?」
ダフは緊張と困惑の入り混じった顔でラスティアを見上げた。
「あなたの思いに突き動かされたの。興味本位でここまでやってきたわけじゃないわ」
「で、でも、急にそんな」
「一度関わると決めた以上、当然のことよ」
フェイルが口の端を吊り上げるような笑みを浮かべた。
「そんな薄汚れたガキと病に冒された娘相手によく言ったもんだ。おまえの自尊心ってやつはそれほどまでにでかいのかよ」
「自尊心?」
「ああ、気にしないでくれ。俺たちみたいなゴロツキが相手でも平然と振る舞えるおまえのような人間は、むしろそうすべきだからな。理由はどうあれ、救われるやつがいることに変わりはねえ――よかったな、おまえたちは運がいい」
ダフは何と返事をすればいいかわからないといったように視線を泳がした。
フェイルは何かを思い出すように遠く周囲を見渡しながら続ける。
「人は生まれる場所を選べない。そしてこんな場所に生まれ落ちた人間はおまえたちのような奇跡に遭遇した人間か、常人にはない才覚を持つ人間しか這い上がることができないのさ。それ以外のやつらには、希望なんてもんすら持てやしない。ただ一日を生き延びることだけを考えながら日々を送る」
自分の放ったであろう力のことが気になって仕方がなかったシンだったが、いつの間にかフェイルの言葉に耳を傾けていた。
まるで、この世界に来るまでの自分のことを言われているような気がしたからだ。
「おまえなんかに何がわかんだよ」ダフがフェイルを睨みつける。「顔役連中に取り入ってでかい顔してただけの余所者だろ、俺たちがどれだけ――」
「最初から外周で生きてきたおまえたちみたいな餓鬼どもはまだマシさ」フェイルがダフの言葉を遮る。「ここで暮らす半分以上の人間はもとは街の人間よ。堕ちてきた理由はさまざまだが、絶望しているのはどいつも一緒さ。いや、高いところから突き落とされた分、傷は深い。再び立ち上がれる人間なんてそうはいないぜ。少なくとも、俺がここへ来てからは見たことがない」
いつの間にかシンたちの周囲には、いったい何事かという顔を覗かせた人々の視線が多く集まっていた。
ふとシンの視線がそのなかの一つと重なった。
おそらく、シンと変わらないか少し年下くらいの年齢だろう。ダフと同じく衣服とも言えないようなぼろを身に付け、痩せ細った体からひょろりとした手足が伸びている。
彼らからすれば、今までのシンの暮らしぶりなど苦労のうちにも入らなかったかもしれない。だからこそ余計フェイルの言葉が胸に響いた。
(――高いところから突き落とされた分、傷は深い)
普段の生活が突然失われ、すべてが変わってしまった日。今までの当たり前が当たり前ではなくなってしまった。
頭の中は常に今後の不安ばかりで、いつも胸に錘をぶら下げているような気持ちのまま毎日を生きていた。
目をそむけたくなる現実というのは、いつも唐突に、自分とはまるで関係のないところからやってくる。あまりにも理不尽に。そしてそれは、人並みの望みすら掻き消し、一瞬先の未来さえ凍らせてしまう。
なんのことはない。いま自分のいる場所が夢にまで見た物語の世界だったとしても、一歩足を踏み入れてしまえば元いた場所と大差ない現実が待ち受けていただけだった。
幸い、こうしてラスティアやレリウスの庇護のおかげでなんとかなっているものの、一人見捨てられれば生きていくことさえままならない。
新たな現実を目の当たりにし、エルダストリーの景色がさらに色褪せていく。
「ダフにとって私が奇跡だったなんて思わない」
ラスティアの言葉にシンは我に返った。
「なんだと」
フェイルは片方の眉を釣り上げるようにした。
「ダフは嘆き悲しんでここに閉じこもっているようなことはしなかった。立ち入ることさえ禁止されていたギルドに何度も一人で乗り込み、リリを助けて欲しいと訴え続けた」
「助けてくれって頼むだけなら誰だってできるだろ」
「単にできると思うことと実際にやってみることはまるで違う。そして、ダフは後者だった。その思いが、行動が、私をここへやって来させた。すべてはダフが自分の力で引き寄せたことよ」
ダフは、まるで初めて遭遇する人間を見るかのような目でラスティアを見つめていた。
眉間に深く刻まれていた影のようなものはすっかり身をひそめ、年相応の幼い顔が垣間見えていた。
(自分の力で、引き寄せた……)
なぜか、シンの胸が疼いた。
「それに私は、本当の奇跡がどういうものかを知っているから」
ラスティアがいたずらっぽい目をシンに向けてくる。
突然のことに思わずシンは視線を泳がせた。
フェイルはなおも薄い笑を崩さなかった。
「結局は運よくおまえたちにすくい上げられるだけの話だろうが。自分の力で引き寄せただ? まともな暮らしを手にしようとしたやつらが他にいなかったとでも思ってんのか。それこそ死に物狂いってやつよ。だがな、結局はなんの機会も与えられないどころかいいように利用され、こき使われながら今まで以上に身を滅ぼしていっちまう。ここはそういう場所だ」
「あなたの言うとおりよ。決して全員が望むものを手に入れられるわけじゃない」
ラスティアがフェイルに向かって大きくうなずいた。
フェイルは面食らったように目をぱちぱちさせる。
「だからこそ、ダフとリリは私の決意をあらたにしてくれた」
「決意だと?」
「私は――」
ラスティアはそこで一瞬言い淀んだが、はっきりと口にした。
「私は、どんな境遇にあろうと自らの意志次第で自由に歩んでゆける、そんな世界を創りたいと思ってる。いえ、必ずそうしてみせる」




