第17話「何でも屋の男」
「ルード、なんで……」
ダフが言った。
「なあに、昨日の支払いってやつが思いのほかよくってよう。今日も取り立ててにきてやったんだ」
ルードと呼ばれた男はうすら笑いを浮かべながら天幕の中を見渡した。
「そんな――今月の分はもういいと」
リリの蒼白な顔が青ざめていく。
とても好意的とは思えない大男を前に、思わずシンも後ずさってしまう。
「熱に浮かされた女ってのも悪くないってな。ただ、今はそれよりも」
ルードはリリの傍らから微動だにしないラスティアを見下ろし、凄んだ。
「外套をとって顔を見せな。おまえら、ここらの人間じゃあないだろう」
「あなたに用があって来たわけじゃないわ」
ルードはわざとらしく身をのけ反らせながら口笛を吹いた。いやらしい笑みを浮かべながらラスティアを見下ろし、ゆっくり腰をかがめ、ローブの下にあるラスティアの顔を伺おうとする。
ルードの外見や態度は、先日ラスティアを襲った男たちそのものだった。少なくともシンの目にはそうとしか映らなかった。
もといた世界では近づくことはおろか目にすることもなかっただろう悪漢を前に、いったい自分はここで何をしているのかと、そんな現実逃避にも似た考えが頭いっぱいに広がっていた。
「出ていきなさい」
ラスティアはごく当然といった口調で言った。
彼女の口にする一言ひとことに胃が縮みあがる思いだった。
自分たちより三回り以上もでかい、腕の太さからして尋常じゃない相手に対する態度ではなかった。その一方でシンは、天幕の隅に立ちながらルードの目を引かないようにしている自分を心底情けなく思った。
「そうはいかねえ、ずいぶんおもしろそうな話をしていたからなあ。金の匂いがぷんぷん外まで匂ってきてたぜ」
「たとえそうだったとしても、あなたたちにはまったく関係ないことよ」
「いい声で鳴くじゃねえか。おれの見立てじゃきっとその面も――」
言いながら、ルードがラスティアの外套に手を伸ばしかけた。
そのとき何が起きたのか、シンにはまるでわからなかった。
気づけばルードが天井を見上げる形でラスティアに抑え込まれていた。
「な、なにしやが――いてえ!」
ルードの腕が、見た目には軽く掴んでいるとしか思えないラスティアに捻り上げられている。
ダフとリリが目を丸くしながらルードと、その大男をいとも簡単にあしらったラスティアとを見つめる。
ラスティアの強さを知っているはずのシンも二人と全く同じだった。
「外にいる人、あなたにも用はないわ。この人の仲間でしょう」
「ずいぶん感の鋭い女だ」
天幕の外から別の男の声が聞こえ、ラスティア以外の三人は驚いて顔を向けた。
シンも、それにダフトリリも、他に仲間を連れてきているとはまったく思っていなかったのだ。
「だが、おまえも俺たちが素直に引くとは思っちゃいないだろう? 外へ出てきたらどうだ」
ラスティアが短いため息をついた。
「……わかったわ。さあ、あなたも出ていって。私がいる以上、リリには指一本触れさせないわよ」
ラスティアがルードを見下ろしながら言う。
「お、おまえはいったい……」
地面に転がされていたルードがひどく驚いたような表情を見せる。腕を離され咄嗟に起き上がったものの、どう反応していいか分からない様子のままラスティアを上から下まで何度も眺める。
「ルード、早く出て来い」
外の男にそう言われ、ルードが何度もラスティアの方を振り返りながら天幕を出て行く。
ラスティアがまるで構える様子もなく、ふらりと外へ出る。
「お、俺も!」
シンが何かを言うよりも早く、ダフがラスティアに続き外へ出ていった。慌ててシンも続こうとしたが、足が言うことを聞いてくれなかった。
そのとき視界の端で、リリが懇願するように両手を固く握り絞めているのが見えた。
貧相な天幕の片隅で、あまりにもか細く、脆弱な少女は、必死に何かに対し祈っていた。その姿が、どうしようもなくシンの胸を締め付けた。同時に全身を硬く覆っていた怯えが解け、強張っていた体がいつもの感覚に戻った。
シンは戸惑いながらも軽く会釈するようにして頭を下げ、普段通りの足取りでラスティアたちに続いた。
ルードのような男に立ち向かおうなどという勇気を奮い立たせたわけでは決してなかった。
ただ、腹が立ったのだ。自分の臆病さと、そして、目の前で起きていることの理不尽さに。
「おまえたちみたいな街中の人間がこんなところに何の用なんだ?」
外へ出ると、ルードとはまるで違う印象のする男がラスティアに向かって話しかけていた。
陽が落ち始めの暗がりの中見えたのは、相手は意外にも柔和な顔つきの、容姿の整った男だった。燃えるような赤い髪と紫色の瞳が特に印象的だったが、軽薄そうな、というより獰猛そうな笑みを浮かべており、こちらから近づきたくなるような雰囲気はまるでなかった。
目の前の男とルード以外にも、五人の男たちがこちらを取り囲んでいた。
全員見るからに粗野な容姿や装いをしており、値踏みするような視線をラスティアと、遅れて外へ出てきたシンへと向けてくる。
シンは明らかに怯んだ自分に気づくと、瞬時に腹に力を込め、唇を噛み締めることでそれに耐えた。
「あなたは?」
ラスティアが聞いた。
男は何も答えず、ラステイアを上から下まで見つめ続けた。
一見細身のようにも見えるが、剥き出しになっている腕には見事に発達した筋肉がついている。大男のルードと比べるとさすがに小柄に見えてしまうが、シンとラスティアを軽く見下ろせるだけの背丈はあった。
「聞いているの?」
「おっと失礼、滅多にお目にかかれないような外見をしていたんでね。俺はフェイル、外周の顔役連中からこの地区を任されている流れの何でも屋さ。で、そっちは?」
「名乗る必要はないわ」
「おいおい、こっちが名乗ったのにかよ」
「無理強いはしていない。答えるか答えないかは自由よ」
「てめえ、あまり舐めた口効くと――」
「あなたは黙っていて」ラスティアが凄むルードを下から睨みつける。「また転がされたいの」
いくら腹を決めて出てきたとはいえ、足がすくむ思いがした。それはルードにではなく、ラスティアに対してだった。
彼女はあきらかに怒っていた。ルードもその迫力に押し切られたのか、フェイルの顔を窺うようにしてあとずさる。
「おいルード、何をそんなにびびってる」
「転がされたって、おまえまさかこんな娘相手にやられちまってたのかよ」
周囲の男たちがにやにやしながら囃し立てる。
「うるせえ、こいつはなんか……見た目通りの感じじゃねえんだよ!」
ルードが唾を撒き散らした。
「リリの体のことを知っていながらあなたは――」
「そのことについては、謝る」フェイルが頭を掻きながら言った。「俺の目が行き届いていなかった。こっちも大切な労働力を無下に扱う気はないんでね」
「その部下にこちらの様子を見に来させる狡猾さはあるようだけれど」
「そう睨むなって、悪かったよ。お前たちのような身なりのやつが街から来ることなんて滅多にないんだ。そりゃあ、いったいどんな奴なのか気になるだろう? まあ勘弁してやってくれや」
フェイルが薄い笑みを浮かべながら言う。
「私のような小娘にずいぶん下手に出るのね」
「その啖呵に、その外見……ましてや核光色の瞳なんてものまで持ち合わせてやがる。おまえをただの娘と思うほど俺の眼は節穴じゃねえよ」
「まったくだ。こいつを自由にできりゃ、相当美味しい思いができそうじゃねえか」
フェイルの隣にいた男が一歩進み出る。
フェイルは苦笑した。
「そっちの意味じゃねえんだがな」。
「リリのように客を取らせるか金持ちどもに売り払っちまうかすればとんでもねえ額を稼いでくれるぜきっと」
フェイルの言葉を聞いているのかいないのか、周囲の男たちがご馳走を見るかのような目つきでラスティアへと近づいていく。
さすがに息を呑んだが、なおも微動だにしないラスティアを前に逃げ出すわけにはいかなった。シンは震えそうになる足を必死に一歩前にだし、ラスティアの隣に並んだ。
ラスティアの視線がシンへ向き、目元を綻ばせる。しかしすぐに男たちに向き直ると、毅然とした表情で言った。
「どうするの。あなたがこの人たちの取りまとめ役でしょう」
「一応な」
「おい、俺らは別におまえの下についてるわけじゃねえぜ」
男の一人がフェイルを睨みつける。
「上の指示に逆らわなければ特に文句はねえはずだ」
「だ、そうだ」
フェイルが肩をすくめてみせた。
「どうやらこいつらはあんたたちを――特にあんたを好き勝手したいらしい」
「呑めない相談だわ」
「これは相談なんかじゃねえ。わかってんだろ」
そういうが否や、男の一人がラスティアへと迫った。
一気に差し伸ばされた手がラスティアの襟元を掴みあげる。
「ラス――」
「おまえもちょっと静かにしてような」
叫ぼうとしたシンの後ろから凶悪な顔が迫り、シンを羽交い締めにする。
野太い腕に首ごと絞められ、声どころか息すら止められてしまう。
「よく見りゃおまえもずいぶん変わった顔してるじゃねえか。そっちの趣味のあるやつには高く売れるかもな」
悪臭漂う男の口から、ゾッとするような声が漏れた。
(――離せ!)
言葉にもならない恐怖を感じた、その瞬間。突風のような現象が巻き起こり、シンを羽交い締めにしていた男が凄まじい勢いで道の端へと吹き飛んでいった。
シンを含む全員が―隠れるようにしていたダフを含め―何が起きたのかわからないといった表情を浮かべながら吹き飛ばされた男を見やった。
ラスティアの胸ぐらを掴んでいた男もそのままの姿勢で固まっていたが、ラスティアが静かに自身の手を男の手に重ねると、先ほどのルード同様、何をどうしたかもわからない速さで相手を地面へと叩きつけた。
「がっ!」
背中を激しく打ち付けた男の口から苦痛の叫びが飛び出す。
「お、おまえらエーテライザーかよ!」
男の一人が叫ぶと同時に、フェイルを除く全員が飛び跳ねるように後ずさった。
「私は違うわ。けど、シンに手を出すのはやめた方がいい」
ラスティアが言った。その言葉はやはりフェイルに向けてのものだった。
「もちろん、私も黙って言いなりになるようなことはしない」
「なるほど、ね」
フェイルが目を見張りながら言った。
「堂々とこんな場所までやってくるわけだ」
「いてえ!」
ラスティアの足元に転がされた男がさらに腕を捻りあげられ、叫ぶ。
「私でも、あなたたちくらいまとめて相手できるわよ」
いつの間にか天幕の影に隠れていたダフが、これ以上ないくらい目を見開きながらラスティアとシンとを交互に見つめている。
シンはといえば、自分と、そして吹き飛ばしたままいまだ立ち上がろうとしない男をダフと同じような様子のまま見つめていた。
「わかった、降参しよう」
「それを言うのはあなたではないでしょう」
「聞いたか、おまえら!」
フェイルが周囲の男たちへ向けて叫ぶ。
男たちが慌てて二、三度頷いた。それを見てラスティアが相手の手を離す。転がされていた男は腕を庇いながら慌てて立ち上がると、転がるようにフェイルの後方まで引き下がった。
シンに吹き飛ばされた男は意識を失ってでもいるのか、ぴくりとも動かなくなっていた。
(大丈夫、だよな……)
「おい、あそこで伸びてるやつを連れて戻ってろ。俺はこいつらにまだ話がある」
フェイルが言うと男たちはすぐさま頷き、走り出した。
「お、俺は残るぜ。どうにもあんたは信用できねえ」ルードが言う。「成り行きによっちゃ上に報告させてもらう」
「勝手に騒ぎを大きくしといて何言ってやがる。おまえらの後始末をしてやろうってのがわからねえのかよ」
フェイルに下から睨みつけられ、ルードは痛いような顔をして押し黙った。
「さっさと行っちまいな。おまえが下手打ったことは黙っててやるからよ」
ルードは目に見えて安堵した顔でうなずくと、巨体を小さくするようにしてそそくさと立ち去っていった。
「おまえらみたいな街中の、それもガキ二人に舐められとあっちゃ顔が立たたねえのさ。腕力だけがウリみたいなルードじゃなおさらな」
離れていくルードの後ろ姿をせせら笑いながらフェイルが言う。
「しかもあいつは売り物にまで手をつけてやがった。仲間内では笑い話でも、みかじめ料にうるさい顔役たちにとってはそう面白い話じゃない」
「それで、話というのは」
あなたたちのことに興味はないといった様子のラスティアが切り出す。
「おまえの素性を聞かせろ」フェイルが鋭く言う。「一応、ここらを仕切ってる人間として知っておきたいのさ。今更ただの通りすがりとは言わねえだろう。おまえは――おまえらは、見た目ひとつとっても明らかにここらの人間じゃねえ」
「残念だけれど、ただの通りすがりよ。もしあなたが今回のことを悪く思うのなら、リリを治療士に診せてあげて。あなたは顔役と呼ばれる人たちとも通じているんでしょう」
「しらばっくれやがって。ま、残念だがそれはできない相談だな」
「なぜ?」
「ここには同じ待遇の人間がごまんといるからさ。それも、老若男女限らずな。この姉弟ばかり特別扱いしてしまえばここの秩序が乱れちまう」
「秩序があるようにはまるで見えないけど。あなたの部下がいい例だわ」
「まあそう言うな。おまえたちのような人間にはわからねえだろうが、底には底なりの掟みたいなものがある。たまたま目に着いたから助けてやる、なんてことはできないのさ」
「まるで助けたくてもできないみたいに聞こえるわね」
「どう思ってもらっても構わんが」フェイルが鼻で笑う「そう言うおまえも俺たちと似たようなもんだろう」
「どういうこと?」
「何の気まぐれかは知らねえが、見ず知らずの、その姉弟を助けてやろうってんだろ? ここにはそんなやつらが大勢いるんだぜ。その全員を助けてやるつもりなのかよ」
「なぜ、私がそこまでする必要があるの?」
ラスティアが首を傾げる。
今度はフェイルが訝しげな表情をした。
「私が力になりたいと思ったのはここにいるダフと、彼が助けようとしているリリよ。それがどうして、全員を助けなくてはいけないことになるの」
「……これは驚いたね」フェイルが目を見張る。「おまえのような人間は――俺の見る限り相当特殊な身分の、それもできた娘は――ここいらの現実を前にして馬鹿げた使命感を抱くもんかと思ったんだがな」
「ずいぶん勝手な思い込みね」
「あるいは、一部の人間のみを救ったところでどうにもならなんと嘆きながら立ち去るとかな」
「身動きができなくなるほどの力なんて持ち合わせていないもの。私は私にできることをするだけよ」
「否定しないということは、あながち間違いではないというわけだ……おまえにできることってのはなんだ? いったいこいつらに何をしてやれるんだ? 金か? 断っておくがな、たとえそれなりの額を渡したところでこいつらの生活は変わらねえよ。今の暮らしを抜け出すための知恵や力なんて持ち合わせちゃいないんだからな。誰かに奪い取られるか、欲に負けて使い果たしてしまうか、せいぜいいつもより長く食う物の心配をしなくて済むくらいだろう。俺の有り金全部を賭けたっていい」
「このままになんてしておかないわ。二人には、私と共に来てもらうつもりよ」
ラスティアが当然のことのように口にした。




