第14話「ギルド」
「シン?」
ラスティアが小さく首を傾げた。
シンは自分があまりにも無遠慮にラスティアを見つめるようにしていたことに気付き、慌てて視線を逸らした。
「ごめん。あまり、人には言いたくないことだったよね」
「そんなことない。あの場に居合わせたら誰だって聞きたくなると思うし、それに」
ラスティアは笑って言った。
「こんなことにも、もう慣れたから」
シンは黙って首を振った。
慣れるということは、きっとない。似た経験や感情を持つ自分だからこそ、わかる。
「でももし、耐え切れないほど辛くなったり、誰かに頼りたくなったりした時は、迷わずそうした方がいい」
ラスティアは驚いた様子でシンを見つめた。
「俺でいいなら、話くらいいつでも聞くから。そんなことだけでも案外楽になるもんだよ」
「……ありがとう」
流石に恥ずかしくなり、うつむきながら言ったシンにラスティアの顔は見えなかった。だが、彼女がどんな顔をしているかは手に取るようにわかった。
それほど彼女の声は、穏やかさと、暖かさに満ちていた。
「シンも、家族のことで悩んだりしたことが?」
鋭い痛みが胸へと走る。
「そんなふうに聞こえた? おれ、何偉そうなこと言ってんだろ」
「そんなことない。嬉しかった」
「でも、ほんと何もできないから。今だって世話になってばかりで……何か、君の力になれることがあればいいんだけど」
「何もできないって……確かに他の人とは違うかも知れないけれど、シンがとても優れたエーテライザーであることに変わりはないわ。あなたは――あなたには、自分が望みさえすればどこでだって生きてゆけるほどの力があるじゃない」
シンに近づき、その言葉と拳に力を込める。
「いや、それは――」
(おれがやったことじゃなくて、フクロウみたいなやつが)などと説明しようとしたが、全く説明にならないことに気づき言葉を飲み込む。
「そう、偶然みたいなもんだよ。二人を助けられたのは」
「偶然なんかであのベイルと名乗ったエーテライザーや足つきの変異種を退けられたりはしないわ。確かにシンはこことは違う、どこか……その、私なんかには分からない場所からやって来たのかも知れない。あなたのことを身近で見ていたら、そのことがよくわかる。だからこそ、もっと自分のことをよく知った方がいいと思う。今あなたがいる場所は私たちの世界、エルダストリーなんだから」
「知った方がいいって言われても」
なぜかムキになったように目前へと迫るラスティアの迫力に押され、後ずさる。
「……たとえばそう、ギルドに行ってシンの力をみてもらうとか! 所属するかどうかは別としても、シンが扱う不可思議なエーテルのことや実際どれほどの力を秘めているかといったこともわかると思うの」
「ぎ、ぎるど?」
ラスティアが納得するように頷く。
「シンの反応見るたびに、本当に、遠い世界からやってきたんだなって思う」
「ラスティア?」
「陽が落ちるまではまだ十分時間があるし、うん。さっそく行ってみましょう」
ラスティアは困惑するシンをよそに歩き出してしまった。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
慌ててベンチから立ち上がりラスティアの後を追う。
「そのギルドっていうのはいったいなんなの?」
「私が説明するより実際に見聞きしてもらった方がいいと思う。私には縁のない場所だから」
そう言われてしまい、いよいよついていくしかなくなる。シンは戸惑いの表情と足取りのままラスティアの隣を歩いた。
ちらちらとその端正な横顔を眺める。彼女の向こう側で、ザントスの街並みがどんどん流れ去っていく。当初胸に飛来した感動も、今はなりを潜めていた。
あらためてシンは、隣を歩く美貌の王女について思い、考えていた。
まだ出会って間もないながら、シンがこれまで見聞きした多くの出来事が、否応なく、彼女に対する興味関心を抱かせていた。何より、先ほどの感情が未だ鼓動を高鳴らせ、体全体を火照らせていた。
時折目が合って笑みを返されるたびに、地に足が付かなくなっているような状態のシンを、余計ふわふわとした気分にさせた。そのせいか、シンは今自分がどこをどう歩いてきたのか、どれくらいの時間そうしていたのかもすっかり分からなくなっていた。
一方のラスティアは慣れた様子で道行く人にギルドなる建物がある場所を聞き、特に迷うことなく目的の場所へと辿り着いたようだった。それでも、陽は随分と傾き始めてしまっていた。
「あれがそうね」
シンは我に返ったようにはっとしてラスティアの指差す方向を見た。
それは今までザナトスの街中で見てきた中でも、ひときわ大きい、武骨な造りの建造物だった。
どこかしら教会のような雰囲気を感じるが、あまり人が近づくような様子もみられない。
重厚そうな扉の上に、少女の横顔と何かの花のような紋様が刻まれている。
以前読んだエルダストリーの記憶をたどってみるが、ギルドという名前が出てきた記憶は、ない。
「ギルドは自身の名誉と誇りを謳歌する器保持者たちの集いし場所――エルダと百合の紋章は、その誓いの証といわれているの」
ラスティアが建物の扉の上に刻まれている少女の横顔を見上げながら言った。
「さあ、入りましょう」
「え、いいの?」
「シンには十分その資格があるはずだから。私たちとのこととは関係なく、シンがエーテライザーである以上、後々必要になってくる場所だと思う」
「おれに必要?」
ラスティアは慎重そうに頷いた。
「レリウスとの会話や今までのシンの話を聞いていて、思ったの。あなたがどうしよもなく不安に思っていることのひとつは、身の振り方がわからないことなんじゃないかって。自分がいたはずの場所から突然放り出されるみたいに別の世界にやって来ただなんて、私には想像することもできないけれど……」
「それは、そうだろうね……おれだっていまだに信じられないくらいだし」
「シンの言葉を疑っているわけじゃないの。命運尽きかけていた私たちを、空から降って来たあなたが奇跡のように救ってくれた……私とレリウスにとってはそれがすべてだから。だからこそ、シンと出会ってからのことを何度も考えたの。あなたは間違いなく根源を扱うことができていた。さっきオヴェリアたちに対して発現してみせたエーテルもそう。私にもよく分からない発現の仕方だったけど、シンが扱えるエーテルはとても膨大なように感じるの。ギルドに行けばシンの助けになることも多いと思う。私には案内するくらいのことしかできないけれど」
「なに言ってるんだよ、ラスティアとレリウスがおれを連れてきてくれなかったら今頃あの森の中でのたれ死んでいたかもしれないのに。君たちこそおれの恩人だよ」
「……ありがとう」
一瞬、ラスティアと見つめ合うような形になってしまい、視線を逸らす。
「でも、そういうことなら俺もここで話を聞いてみたい。今の自分には何ができるか、そのための方法を知りたいと思うから」
扉の前であらためてギルドの紋章を見上げる。
テラという謎めいた鳥の言葉を待つ必要はない。誰かに話を聞くことで自分のことが、その力の扱い方を知れるのなら、積極的に行動すべきだ。
シンは自身の臆病さを押し退けるようにして、ゆっくりと扉を開いた。
高い天井に何本もの太い柱が連なる、大きな教会のような空間になっていた。
惚けたように口を開けて天井を見上げていたシンだったが、ラスティアが歩き出すのに気づき慌ててその後を追った。
磨き抜かれた石材のような床のせいで、シンたちの足音がやけに大きく響く。
「あの人に聞いてみましょう」
ラスティアがカウンターのように見える一角を指差しながら言う。
数人の顔と視線がこちらへと向いているのを感じた。
シンはなるべく目を合わせないよう、まっすぐラスティアの背中だけを見て歩いた。
ラスティアがカウンター越しの女性に対し頭の覆いを後ろへやると、彼女はひどく驚いた顔を見せ、しばらく後には軽快な口笛が聞こえてきた。
「――ずいぶんと美しい瞳とお顔をお持ちのお嬢さんね、御用は何かしら」
口笛を吹くという行為があまり似合わない、理知的な顔立ちの女性だった。
エルダストリーで出会う人間の中で、シンと似た人種はまずお目にかかれない。カウンター越しの女性も浅黒い肌と彫りの深い造りをしており、柔和な笑みを含んだ切れ長の目は、どこか神秘的な印象をシンに与えた。
「ギルドへの所属を検討している者を案内してきたのですが」
ラスティアが言うと、女性は途端に姿勢を正した。
「失礼を。私はルチル・ハーティリー、ギルドの管理官を申し付かっております。それで、申請者というのは――」
「彼です。名はシンと言います」
ラスティアが方手を差し伸ばしてシンを指す。面食らったような表情でラスティアを見返すが、ラスティアはいたずらっぽく片目を閉じただけだった。
「なんと言いました?」
「シンです」
「シン、ですか……所属や家柄を示す名は?」
「ありません。それに、今まで〈測定〉もしたことがないので、どの程度の器を保持しているかはわかりかねます。ですが、エーテライザーであることは確かです。なにぶん人の少ない場所で暮らしていたもので、世間の人が当然知っているようなことにも疎い状況です。そのため、まずは説明をと」
「なるほど」
ルチルは一瞬考え込むような表情を見せたが、すぐにシンへと向き直り、一礼した。
「アインズギルド、ザナトス支部への来訪を心より歓迎いたします。早速ですが、我がギルドについてご説明いたします」
急に説明が始まってしまい、シンは慌てて身を正した。
「ギルドはエーテライザーのみが所属することができる組織であり、西方諸国に属するすべての国に存在します。本拠地はディスタにありますが、基本的にはそれぞれのギルドが属する国から依頼を受けております」
突然の展開についていけず横目でラスティアを見るが、彼女は意味ありげな視線を向けたまま頷くのみだった。
「ギルドにはエーテライザーの力を必要とする多くの依頼が持ち込まれますが、中には達成が極めて難しいものもあります。そのためギルドでは、所属するエーテライザーに対しこれまでの実績に応じてⅠからXまでの序列を与え、相応の能力をもつ者が依頼にあたるようにしております」
「その依頼はどなたが振り分けているのですか」
ラスティアが訪ねる。
「アインズギルドでは上級管理官が担っております。持ち込まれた依頼は上級管理官たちが審査会にて話し合い、それぞれ銅、銀、金、白金の4段階に振り分けます。銅の依頼は序列ⅠからⅢのエーテライザーが、銀はⅣからⅥ、金はⅦからⅨ、白金はXのエーテライザーのみが受けることができます。上級の依頼になればなるほど任務の達成は困難となりますが、そのぶん報酬も高額となります――ここまでは、お分かりですか?」
ルチルがシンの表情を窺うようにして聞いた。ぽかんと口を開けるしかないシンの様子を見て不安に思ったのだろうが、シン自身もいったい何を聞けばいいかもわからない。うなずくしかなかった。
(あとで、ラスティアに聞こう……)
「肝心のギルドに所属する方法についてですが、まずは測定器による審査を受けていただきます。器を保持していることが明らかになったのちは試問依頼に対し相応の成果を出していただく必要があり、その結果をもって上級審査官たちが所属の可否および序列を決定する形となります。これがいわゆるギルド試験と呼ばれているものとなります」
「その試験というのはいつでも受けられると?」
「いえ、ザナトス・ギルドでは三月に一度となっております。ただ、今は少々事情が異なっておりまして――」
「ルチルさん!」
突然の大声に、全員の視線がそちらへと向く。
シンが入口の扉を振り返ると、少年が一人こちらへ向かって走ってくるのが見えた。
「お願いだから、仕事をくれよ! おれ、なんでもやるからさ!」
まるで、全身ぼろきれのような少年だった。布を繋ぎ合わせただけのような衣服に身をつつみ、そこから露出した肌はもともとどんな色だったかもわからないほど薄汚れていた。
「ダフ……」
ルチルが表情を曇らせながらつぶやいた。
「リリ姉ちゃんの病気が全然良くならないんだよ。いい加減、治療師に診てもらわらないと大変なことになる!」
ダフと呼ばれた少年がカウンターにしがみつくようにして叫ぶ。
シンの前を通りすぎた瞬間、何かが腐ったような匂いがして思わず顔をのけ反らしてしまった。だが少年にはシンとラスティアの姿など視界にも入っていないようだった。
「ほんとおれ、なんでもするから。そうだ、誰か人を——ギルドの治療師に来てもらえないかな! その分の金は後て絶対払うから」
「もうここに来てはいけないと」
ルチルが静かに首を振る。
「どうしてだよ!」ダフが叫ぶ。「どうして急にそんな」
「国が、そうお決めになったからよ。何度も説明したでしょう」
「ならせめて俺たちを守ってよ! ギルドの目がなくなって、顔役どもがどんどん幅を利かせてきてるんだ。あいつら、病気のリリ姉ちゃんにまで――」
「お願いダフ、わかって。私たちはもう、正規の依頼なしには動けないのよ」
「〈外周〉で暮らす俺たちのような人間がギルドにまで見捨てられたら、いったいどうやって生きていけって言うんだよ!」
少年のその悲痛な声は、ギルドの天井高くまで響き渡っていた。