追加エピソード④「異質」
ハーグルムという濃厚な甘さが特徴的なはずの木の実の料理は、重たい沈黙のせいで本来の甘味を欠いてしまっていた。黙々と口に運び食べ終えてしまうと、シンとラスティアはどちらともなく席を立ち、ゼフと客たちに深く頭を下げる形で店を後にした。
それでも、客たちから向けられる視線や表情はさしてかわらなかった。それは「とんだ迷惑をかけられた」といった単純なものではないようにシンには思えた。
先ほど街を歩いてきたときは、通り過ぎる人が必ず二度目してしまうほど、ラスティアは美しい少女として彼らの目に映し出されていた。しかし、『ハーノウン』という言葉を口にされた瞬間彼女は、明らかに別の、貶めるべき存在のように見られていた。
いったいなぜ、そのような扱いを受けなければならないのか。シンには到底わからないことだったが、あからさますぎる変化に、どこかうすら寒い感覚さえ覚えた。
どんな言葉をかけれればいいかわからないまま、ラスティアのうしろを歩いた。
自然と二人はどこへ向かうでもなく、散歩するような歩調で、街の喧騒から外れていった。
木々の隙間から秋らしい日差しが溢れる小道を進み、閑静な広場までやってきたとき。
突然ラスティアが歩みを止め、振り向いた。
「嫌な思いをさせてしまって、ごめんなさい」
シンは静かに首を振った。
「気にしてないよ。それより、おれが変に言い返したせいで何かまずいことになったりしないかな。知り合い、なんだよね」
今度はラスティアが首を振った。
「シンが謝るようなことは何も」
「……あの人たち、どうしてあんなに構えたんだろう」
シンは言葉の続きを探るようにして言った。
「シンは、自分が何をしたかわかっていなかったの?」
ラスティアが驚いたように言う。
「何をしたかって」シンは思わず自分を指差した。「おれが? 何かしたの?」
「突然エーテルを発現させられて驚いたんだと思う。私のこと以外は気にも留めていない様子だったから。おそらくシンがエーテライザーとも思っていなかったはずよ。選別者たる彼らが相手のエーテルを〈感知〉できないなんてあってはならないことだから」
「器保持者って、ラスティアたちを襲ったあのベイルみたいなやつのことでしょ? レリウスも、おれをそう呼んでたけど。正直、自分では全然わかんないんだよ」
「私も、あらためて驚いているところなの」
ラスティアは少し言い淀むようにしながらシンを見た。
「こうして間近で感知してみると、あなたのエーテルは他のエーテライザーたちとは違う……内から発しているというより、薄く、体の周囲を取り巻いている、といった感じかしら。それがまるでごく普通の生命エーテルのように見えてしまう……余程熟練のエーテライザーか、アーゼムの導士でもない限りそこまで見抜くのは相当難しいはずよ。私自身修練を怠って久しいし、そのうえこの前の襲撃でかなり無理をしてしまったからあまり自信はないのだけれど」
シンは自分の両手を広げ、じっと眺めた。この世界へやってくる中で、何らかの変化が起きたということなのか。それとも、元々自分とこの世界の住人たちとは根本的に違う存在ということなんだろうか。
「気を悪くさせたらごめんなさい。ここへ来るまでの間、荷台で体を横たえていた時、気づいたの…… 師からの教えで常に感知を怠らないような習性が身についてしまっているから。私の数少ない特技ではあるのだけれど……」
「その感知っていうのは? エーテルって『器』ってやつがないと扱えないものなんだろ? ラスティアやレリウスも、それがないって聞いてたんだけど、さっき言ってたルナ? エーテルっていうのは器とはまた別ってことなの?」
「感知というのは、周囲のエーテルを視て、感じ取ることね。広義の意味では自身の瞳にエーテル集約させて相手の動きを見切る、といったことも含まれるけれど。難しい業ではあるし、その技量も人それぞれよ。ルナ・エーテルはこの世界に生きる全てのものに与えられる命そのもの。『魂』といった捉え方や考え方をする人もいるわね。そして器とは、常人とは比較にならないほど規格外のエーテルを持つ、というを意味しているの。だからこそアーゼムをはじめとする器保持者たちは、自身の身に宿す膨大なエーテルを外部に発現させることで超常的な力を振るうことができるのよ」
ラスティアの言葉を反芻し、考え込む。この世界のことを物語として読んだときの記憶が徐々に蘇り、作中、確かにそのようなことが語られていたことを思い出す。
「……その、特別な人以外、おれの異常さ、 みたいなことはわからないんだよね?」
急に不安を感じ、無意識のうちに片腕を掴んでいた。
ラスティアが頷いてみせる。
「それは確かだと思う。幸運にも私はその『特別な人』から教えを受けられただけだし。選抜者であるオヴェリアたちでさえ気づけなかったんだもの」
一瞬、ラスティアの翡翠の視線はシンの瞳を突き抜け、どこか違う場所を映し出したかのように見えた。
先ほどのやりとりを目にすれば、オヴェリアなる人物がラスティアとただならぬ関係にあることは明らかだった。
「……そのオヴェリアって人が誰か、聞いても?」
今まで黙ってはいたものの、ラスティアの様子を見て、自然と口が開いた。
「姉なの」
シンはどこかでその答えを予測していた。
二人の姿があまりにも似ていたから。だが――
「お姉さんが、どうしてあんな」
「私が、母を殺してしまったから」
シンは一瞬何を言われたのか分からなかった。
しばしの沈黙の後、絞り出すような声で聞いた。
「ころした?」
「ええ。私たちの母親、アインズの王女にして偉大なる英雄、フィリー・アインフェルズは、私が殺したの」
ラスティアの横顔をじっと見つめるシンに対し、ラスティアは申し訳程度の笑みを浮かべながら首を振った。
「厳密には私のせいで死んだという方が正しいのだけれど、たいした違いはないから」
いつの間にかシンの目の前には、一瞬先も見えない、呼吸すらできなくなるほどの猛吹雪が映し出されていた。
(シン――をお願いね)
過去の情景がまざまざと浮かび上がってくる。
穏やかな日差しが降り注ぐ今の景色すら目に入らなくなるほどに。
「ただでさえ私は、器を持たない一族の恥晒しで、そんな人間を妹に持つというだけでも耐え難い屈辱でしょう。そのうえ父と二人の姉たちからあまりにも大切な人を奪い獲ってしまった。私の存在自体が、家族を――どこまでも深く貶め、傷つけてしまう……だからオヴェリアの私に対する反応は、むしろ当然なの」
「……君のことを、恨んでるってこと」
それ以上のことを、シンは聞かなかった。聞けなかった。
ラスティアの姿と過去の光景とが、どうしようもなく重なる。
ラスティアは一瞬目を伏せたが、すぐに空を見上げるようにした。
「そんな言葉では、到底足りないね。きっと」
「君は、それでいいの。その、お姉さんたちに――家族に恨まれながら、これからも先も生きていくの」
「受け入れるしかないもの」
ラスティアがシンの方を振り返り、笑う。
「それが、私だから」
太陽の光を浴びながら、まっすぐこちらを見つめてくる。
大きな翡翠の瞳と茶褐色の髪がきらきらと輝き、完璧なまでに均整のとれた体は透き通るほどの美しさに満ちていた。
欠けているものなど何一つない少女の微笑が、シンを捉えて離さない。
シンはその時、生まれて初めての感情が胸の奥底から湧き上がるのを感じ、慌ててラスティアから目を逸らした。
息をすることすらできなくなり、そっと胸の前の衣服を鷲掴む。そうすることで、この凶悪な衝動を必死に抑えつけようとした。
それはただ抱きしめてしまいたいという、とてつもなく身勝手で、抑え難い感情だった。
彼女の姿があまりにも儚げであり、美しく、そして――あまりにも自分と重なって見えたから。
いったいどんな不幸がラスティアと母親を襲ったのかは分からない。別世界の住人でしかないシンには、想像することすら難しい。深く聞くことさえできない。
それでも君が――君は、おれと同じ鎖に繋ぎ止められているように見えて仕方がなかった。
だからこそ、ふと、思ってしまったんだ。
まるで誰かに仕組まれたように出会った君と、この世界を自由に生きてゆく。もしかしたらそんな道も、あるのかもしれないって。
もし、おれに特別な力が与えられいて、物語の英雄のように、君の助けになるようなことができるのだとしたら――
それは思わず赤面してしまうほど唐突で、夢想的だった。
けれど、このときの君を見て。
どうしようもなく、そう思ってしまったんだ。