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第13話「残響」

 今自分がいる場所が実際にそうなのかはわからない。けれど、間違いなくシンは、これまでとはまるで違う物語(イセカイ)を、不可思議な巡り合わせのなか出会った世にも美しい少女とともに歩いていた。


『ご、ご容貌が美しすぎるのです!』というワルムの言葉には、確かに頷かずにはいられなかった。しかしシンは、全力の努力でもって顔や態度には出さないようにしていた。そのようなことを言われるたびに、一瞬ラスティアが寂しそうな、やるせないような表情を見せることに気づいていたからだ。


(……あまり、嬉しい目にあったことがないんだろうな)

 

 しかしシンのそんな思いも、徐々に賑わいを見せ始めたザナトスの街並みの前にすっかり忘れ去られ、周囲の喧騒に目と耳を奪われていった。


「——おい店主、これから稼ごうって時に品切れたあいったいどういう了見だ? 新参(しんざん)なら新参なりの準備ってもんがあるだろう」


「そう思うならいい仕入先を紹介してくれ! いくら駆けずり回ってもこっちの要望なんざまるで聞いちゃくれないんだ!」


「そりゃなんの実績もないやつを相手にしている暇なんざないだろうさ。そんなんでよくこの街で商売しようなんて思ったな。人の出入りが激しい分、当たりゃあでかいがつぶれていく店だって多いことくらいわかってただろう――」


 そのようなやり取りが聞こえてきたかと思えば、少し歩くだけでまた別の威勢のよい声が飛び込んでくる。


「ディスタで加工された高純度の核光石(かっこうせき)だ、従来のとは比較にならないほど長持ちするよ!」


 整然と舗装された通りの両脇には、数えきれないほどの露天商たちが隙間なく店を構え、客を呼び込む店子たちの声が一斉に鳴り響いていた。


「ここにありますのは東方大陸(ラクターノア)で狩られた半獣たちの素材です。獣人種(ファルン)の毛皮、幻獣種(ラウロス)の角――」


 飛び交う客引きの声や陳列されている商品に対し、シンの目と耳はいちいち反応してみせた。

 突然走り出すというような子どもじみた真似はさすがにしなかったが、人ごみの上から店の中を見ようとしてぴょんぴょん飛び跳ねていると、後ろから涼やかな笑い声が聞こえてきた。


 見るとラスティアが屈託のない笑みを浮かべてシンを眺めていた。


「ごめん、なんか一人ではしゃいじゃって」

 シンは子供じみた言動をしている自分に気づき、慌ててラスティアの隣に引っ込む。


「いえ、笑ってしまってごめんなさい」ラスティアがなおも笑いながら言う。「でも、本当に楽しそうだったから」

「いや、見るのも聞くのも初めてのものばかりだから――なんだあれ」


 かなり露出度の高い衣服を身に着けた客引きの女性が、背中にきらきら光る羽のようなものを生やし、踊るような仕草で周囲の客を集めていた。


精霊種(フェイアート)の羽ね。いろんな用途に使われる素材になるから、かなり高価な品よ。あれはそのまま背中に着ける装飾品みたいだけれど」


「珍しいの?」


「本物ならね。以前見かけたのはただの模造品だったわ。ザナトスのように交易が盛んな大きな街ではよくある光景よ。いろんなところからありとあらゆるものが集まってくるの。もちろん、中には正真正銘の本物だってあるわ。あまり表だって言えないことなんだけど、ラクタ―たちの、その……体は、核光学の分野では特に重要な素材とされているの。必要とする人にとってはかなり高価になると思う」


 またよくわからない用語が出てきてしまい思わず頭を掻く。「かっこうがく」なるものについては特に触れないまま、シンは一番気になることを訊いた。


「高価って、どれくらい?」

「あ、シンにとっては、そうはいえないかも」


「え、おれ、お金なんてまったく持ってないよ」

 言ってしまったあと、急に恥ずかしくなった。いま寝たり食べたりで困らない生活ができているのは、ひとえにラスティアやレリウスのおかげだったからだ。


「どうしてって……シンはエーテライザーだから、その気になれば大金を稼ぐのもそれほど難しくないと思う。正直なところ、私たちと一緒にいなくてもシン程の実力者ならどこの街でも、どんな国でも暮らしていけるわよ、きっと」


 そんなことを言われても、いったいそのエーテライザーとやらがどんな方法で生計を立てているか想像もできなかった。

 右も左もわからない世界で一人放り出されたときのことを考えただけで震えが走る。「いっそのこと、これからは一人で行動してみたら?」などと言いだされる前にシンは慌てて話題を変えた。


「これから向かうオルタナっていうのはここよりもっとすごいところなの? 王都? っていうくらいだからこの街よりずっと大きな街なんでしょ?」


「オルタナは『大いなる水の都』と呼ばれているくらい大きく、華やいだ場所よ。ただ、洗練されすぎているというか……どちらかというと私は、この街みたいな雰囲気の方が落ち着くかな」


「行ったことがあるの? ラスティアはランフェイスというところに住んでたんだよね 」

 無意識のうちに質問攻めにしてしまう。しかしラスティアはほんの少しも嫌な顔を見せず、相槌を打ちながら答えた。


「数年前、ある人に師事して色々な土地を旅したことがあるの。オルタナへも、そのときに。アインズ王の居城であるリヴァラ水上宮も見てきたわ。文字通り水の上に浮かぶように建造された宮殿で、西方諸国随一の美しさとまで言われているの。特に夜、きらびやかな灯りが湖面に反転して映し出される様はこの世のもとは思えないほど綺麗だった……世が明けるまで眺めていたこともあったな」

 当時のことを思い出してでもいるのか、ラスティアは少し遠くを見るようにしながら話した。


「でもね」そう言ってシンの方を向く。恐ろしく整った表情の上でくるりと動く翡翠の瞳に、シンの胸が大きな音を立てる。「こうして同じ年頃の人と街を歩くのは、本当に久しぶり。オルタナにいたときはほとんど一人で過ごしていたし、他の街でも――」


 ラスティアの表情に影のようなものが過った。だがそれも一瞬のことであり、シンが気に留めるだけの隙はなかった。


「だからかな、とても華やかっだったけれど、どこか寂しい記憶として残ってるの」


(――私のせいだ)

 数日前、惨劇の場を目のあたりにしたラスティアが口にした言葉だ。そのときの姿は、今もシンの頭に残り続けている。


(――用もないのになぜ創った!)

 なぜかシンには、今のラスティアの表情が先日の悲痛な姿と重なって見えた。


 昼時を迎え、行き交う人々の数は相当なものだった。目深にフードをかぶっているとはいえ、ラスティアの容貌はかなり目を引いてしまっていた。

 間近ですれ違った人々のほとんどは決まりきったように振り返り、あからさまにじろじろと眺めていく者もいた。そのような周囲の反応にも、ラスティアは一切気にする様子もなく、まっすぐ前を見据えながら歩いていくのだった。


 中にはシンの顔をもの珍しそうに眺めていく者もいた。最初はいちいち気にして顔を伏せるようにしていたが、途中からは目にしたいものが多すぎて、正直どうでもよくなった。


 なにより隣の少女の存在が、シンにとって非常に大きなものとなっていた。

 たった一人別世界にやってきた自分がこうも普通でいられるのは、間違いなくレリウスとラスティアのおかげだった。


「賑やかなのに寂しいっていうのは、なんとなくわかるかな」

 前を向いて歩きながら、シンは言った。

「おれも人の多い場所に行ったとき、そんな気持ちになるから」


「今も、そう思ってる?」

「え?」

 思わず立ち止り、ラスティアと見つめ合う形になった。


「シンは、こことは――エルダストリーとは遠くかけ離れた地からやってきたんでしょう? とても信じられないような出来事だけれど、あなたのことを知れば知るほどそうとしか考えられなくなる――家族や身近な人たちのことを思って寂しくなったりはしない?」 

 

 吸い込まれそうなラスティアの瞳の中に、シンは身近な人たちの姿を見た。

 中でも、ただ一人血のつながった家族のことを。


「ラスティアは、どうなの」

 しかしシンの口から出てきたのは、自分のことではなかった。

「いきなり王女様なんてすごい人になるんだよね……怖かったり、不安だったりはしないの」


「もう決めたことだから」

 ラスティアは穏やかに、だが毅然とした声で言った。

「誰かに言われたからそうするんじゃない、ちゃんと自分で決めたことよ――初めて聞いたときはずいぶん抵抗したし、思い悩んだりもしたけど――アインズの王女として生きることがおそらく、私の目指しているものに繋がっていると思うから」


「目指しているもの?」


 しかしシンのその言葉は、行き交う人々の群れと喧噪とによって掻き消されてしまった。


 いつの間にかふたりは街の中心と思わしき道を歩いており、互いの言葉を聞き取るため自然と身を寄せ合うように会話していたが、一気に押し寄せてきた波みに割って入られ引き離されてしまう。


「シン、こっちよ!」

 人々の隙間を縫いながら、ラスティアが手を差し伸ばしてくる。

 

 シンは慌てて腕を伸ばし、ラスティアの手をとった。


 その瞬間——


 雷のような閃光が体中を駆けめぐるのを感じ、シンは咄嗟にラスティアの顔を見上げた。


 まるで互いに握り合った掌を通じて、彼女の中の何かが自分の中に流れ込んできたかのようだった。


 苦痛といった感覚では決してなかった。むしろそれは欠落していた体の一部が満たされたかのような、不思議な一体感があった。


 なんとも言えない表情でラスティアを見つめるシンだったが、それはラスティアも同じだった。今シンが体験した感覚を彼女も共有しているかのように、翡翠の瞳が大きく見開く。


 互いに戸惑と表情を浮かべながらも、固く手を握り合ったまま人波を掻き分けていく。


 人気の少ない場所にたどりついた後も、ふたりはしばらくのあいだ言葉ひとつ発することができなかった。今の感覚を再確認するかのように、互いの顔と、握りしている手を交互に見つめる。


 しかしすぐに、いったい何をしてるんだと言わんばかりの周囲の視線に気づき、シンとラスティアはほぼ同時に手を離した。


「ごめん! おれ、なにしてんだろう」

「私の方こそごめんなさない。けど、今の感覚は……」

「あ、ラスティアも?」

「ええ……」


 ふたりとも、あやふやな言葉しか出てこない。

 そんな気まずさ気恥ずかしさ、それに不可思議さとが入り混じった空気を破ったのは、シンが鳴らした豪快な腹の音だった。


 慌てて腹を抑える。顔がみるみるうちに火照っていくのがわかった。

 寝起きの状態で軽くしか朝食を口にしなかったのがいけなかった。


 ラティアが噴き出すような笑い声を上げた。

「確かに、ほとんど食べていなかったものね。ずっと歩いているのもなんだし、何か食べてみたいものはある?」


「食べたいもの……」

 と言われても、こっちの世界(エルダストリー)の食事情についてさっぱりわからなかったシンは少しの間考え込んでしまったが、結局自分の体が今最も欲しているだろうものを口にした。

「なにか甘いものが食べたい、かも」


 腹が減ったときに甘いものを食べたくなるなんて、今までの自分にはまったくない感覚だった。むしろシンはデザートや菓子類をあまり口にしない方だった。それなのに、今はとにかく甘味系のものを口にしたくて仕方なかった。


「さすがエーテライザーね。となると、食べるべきものは決まってるわ」

 ラスティアは大きく頷くようにしてシンを誘い、再び歩き始めた。


 それでも先ほど感じた不可思議な感覚は、いつまでもシンの——おそらくラスティアの体にも——残り続けていたのだった。 


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