第13話「ザナトスの街へ」
結局シンは、朝方までベッドに入ることができなかった。窓から差し込む日差しで目が覚めた時には、すでに陽はかなり高くなっていた。
少しだけでも眠った方がいいなんて考えたのがいけなかった。用意されていた衣服に着替え慌てて部屋を出た瞬間、使用人の女性に案内され、朝食の場へ案内された。
すっかり食べ終えて何やら真剣な顔つきで話し込んでいたラスティアとレリウスだったが、寝癖を立てながら慌てて駆け込んできたシンを見ると、思わずといった様子で顔を綻ばせた。
「すいません、あの、全然起きれなくて」
シンが咄嗟に頭を下げる。
「私が起こさないよう伝えておいたんだよ、きっと疲れているだろうと思ってね」
レリウスが笑みを浮かべたまま言った。
「約束していたわけじゃないし、私もさっきまで休ませてもらっていたから。レリウスとも偶然一緒になっただけなの」
ラスティアはシンに座るよう促した。
悪びれた様子で席に着くと、すぐに朝食を運ばれてきた。寝起きのためまった食欲はなかったが、温かいスープから立ち上る香りがシンの胃を和らげてくれた。
「いただきます」の言葉の後、シンは少しずつ食事を口に運び始めた。
ラスティアとレリウスは再び会話の続きを始めていた。バルデス側との国境を強化すべきではとか、そうすると逆に相手を挑発する行為になるだとか、シンには無縁すぎる内容すぎて全く会話に入れなかった。
そのようなこともあり、シンは昨日の少女のことを一切口にしなかった。
昨夜の不可思議な出会いと会話についてどう説明すればいいかわからなかった上、どうして人を呼ばなかったのだと言われても答えようがなかったからだ。
(特に悪さをした様子もなかったし、大丈夫だよな。むしろおれに用があったみたいだし……)
名も聞けなかった少女のことばかり考えていたせいで、ラスティアとレリウスから声をかけられていたことにも気づかなかった。
「もしかして、あまりに眠れなかった?」
ラスティアが心配げに聞いてくる。
「あ、そうなんだよ、うん。この街を見て回ることが楽しみすぎて」
嘘ではなかった。実際あの少女と会うまではそのせいで眠れなかったくらいだった。
今日は休んでいた方がいいのではというラスティアからの提案も、慌てて固辞したくらいだった。
これから目にするであろう光景のことを考えると、どうしようもなく胸が高なった。
アインズ有数の交易都市ザナトス――この世界に来て初めて探索する街だ。
シンは今置かれている状況や目の前で起きる数々の出来事に対し、一貫した考えや感情を持って臨むといったことができないでいる自分に気づいていた。
それはつまり、突如として異世界に迷い込んでしまったことへの不安や恐怖と共に、そのことに何かを期待せずにはいられない自分がいるということだった。そのくせあのフクロウが言っていたとおり、今自分が何を望み、何をしようとしているのかもわからない。
(こんなことをしていて、本当にいいのか。元の世界に戻る方法を必死に探したりとか、自分がこんなことになった理由について調べようとするとか、もっと他にやるべきことがあるんじゃないのか)
気つけばすぐそんな自問自答を繰り返している一方、あの「エルダストリー」を――本当に、以前自分が読んだ物語の世界だったとしたらだが――存分にこの目に焼き付けて回りたいという気持ちを抑えきれなくなっていた。
§§§§§
「レリウス様……さすがに、目立ちすぎるのでは」
準備を整え、いよいよ街へ繰り出そうと玄関ホールに集まったときだった。
執政官が、心配そうにレリウスへ語りかけていた。
「確かにな」
レリウスがシンとラスティアを交互に見ながら、唸る。
「私としたことが、悪い意味ですっかり見慣れてしまっていたようだ」
シンは反応に困り、頭を掻いた。
レリウスに見送られながらラスティアととともに外へ出て行こうとしたところを、ワルムはじめとする周囲の者たちが慌てた様子で止められていたところだった。
「目立つ、とは」
ラスティアが困惑げに聞いた。
「お二人の外見が……特にその瞳が、あまりにも類まれな色をおもちですので。しかもそろってお出かけになるとなると、余計に目立ちますというか。特に、ラスティア様はあまりにも……」
「あまりにも?」
「その……ご、ご容貌が美しすぎるのです! あなたのような方が街中を歩かれるとよからぬことを考える者も――ご無礼を」
ワルムは手にした布でしきりに額の汗を拭っていた。
ラスティアが助けを求めるようにレリウスを見る。
「街のごろつきごときがお二人に手を出せるとは思いませんが、ワルムの言うこともうなずけます――そうだな、だれか薄手の外套を」
すぐに侍従が駆け出し、用意してくる。
「――そろそろ昼近くになりますので少々暑くなるかもしれませんが、目深にかぶっていれば目立つこともないでしょう。今の季節ならそれほど違和感もないはずです」
「ありがとう」
使用人の一人がうやうやしく外套をシンへと差し出すのを見て、慌てて頭を下げながら受け取る。
レリウスがいったいどういう説明をしたのかは知らないが、シンに対する周囲の態度は明らかに分不相応なものだった。
シンは上等な肌触りのするそれを羽織り(こんな上着も初めてだな……)、フードのようになっている部分を頭にかけた。
普段身に着けたことのない衣服に気恥ずかしさを隠せなかったが、もちろんシン以外の誰も、その恰好がおかしいとは思っていないようだった。
「本当によろしいのですか」
ワルムはなおも食い下がった。よほど心配なのか、それとも自分の非になるとでも思っているのか。彼はラスティアがシンのみを引きつれて街へ行くことに反対した一人だった。
「ベルガーナ騎士団はもちろん、ギルドがあるこの街で白昼堂々悪さしようとする者がいるならむしろお目にかかりたいものだ。それにシンは優れたエーテライザーでもある。なにより、ラスティア様には今後このような機会も、な。その辺りは察してくれ」
ワルムは一瞬何かを言いかけたが、ラスティアとレリウスの二人にうなずかれると、しぶしぶと頭を下げた。
シンには王女なんて身分の人をどう扱うべきかなんてことはわからないが、レリウスが大丈夫というからにはまったく問題ないような気がしていた。
「では、行ってきますね」
「行ってきます」
ラスティアとシンが言うと、レリウスがうやうやしく頭を下げた。
「お気をつけて。わざわざ言うまでもないこととは思いますが、くれぐれも街中から出ぬよう、治安の悪い場所にも近寄らないようにしてください。それと、暗くなる前にはお戻りください」
レリウスに見送られながら、シンは昨夜荷台や寝室の窓からのぞいた景色に胸躍らせながら扉を開いた。