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追加エピソード①「月夜の監視者」

 シンはこの世界にやってきて初めて屋根のある、それも、分不相応なほど立派な部屋で過ごした。しかし、体が沈み込むほどのベッドに横になってみても、眠りが訪れるような気配は一向になかった。


 遠く聞こえてくる外の喧騒に導かれ、自然と足がバルコニーへと向く。


 馬車の荷台から覗き見ていた、あの幻想的な街並みが、シンの眼下に広がっていた。普段目にしている街灯とはあきらかに違う。いったい何が光源となっているかもわからない柔らかな緑色の光が、街全体を明るく照らし出してい


 この世界で生きる大勢の人々の存在をあらためて感じる夜だった。

 ふと部屋の時計を見ると、すでに時刻は零時をとっくに過ぎていた。


(明らかに人種は違って見えるけど、間違いなくみんな、同じ人間にしかみえない……時間といった概念や進み方、朝昼夜といった光景も変わらない……)


 夜に浮かびあがるザナトスの街並みを長い時間、飽きることなく眺めながらも、シンの頭は一向に休まる気配がない。


(そうかと思えば、まるで違う、信じられないことがあったりする)


 ひんやりとした夜風が体と頭を冷やし、すこぶる安全と思われる場所にいることで、むしろ今までで一番冷静に物事を考えるようになっていた。


(やっぱり、もといた世界と何らかの繋がりがあるんだろうか。だけど――)


 シンはもう何度も目にしてきた()()に、再度視線を向けた。


(月が二つあるってことは間違いなく、自分が()()()()()()になったわけだ)


 目の前に広がるザナトスの夜が放つ街並みが、シンの心をどうしようもく引き寄せ、掻き立てる。

 正直なところ、明日あの街の中へ飛び込んでいくことが待ちきれなかったのだ。


「そんなに夜の街が好きなの」


 突然真上からそんな声を浴びせられ、小さな悲鳴を飲み込みながら後ろを見上げた。


 その少女は今までいた屋根の上から音もなく着地すると、手すりに体を押し付けるようにして固まっているシンの前に立った。


「ずっとそうして眺めているから」

「きみは――」


 ようやく声が出た。驚きすぎて悲鳴すら上げられなかった。

 ほとんど感情の読み取れないような顔の、おそらくシンとそう歳が変わらない少女だった。


「この距離で見られていたのに気づかないなんて、ずいぶん無防備ね」

 少女は無機質な表情のまま、まっすぐシンを見つめながら言った。

 全身に黒い衣服を身に着けているため、暗がりではほとんど目立たなかった。


「見られていたって、おれが? ずっと?」

「あなた、エーテライザーでしょ。けど、私たちとは何か違う。いったい何者」


「いや何者って」

 ベイルとかいう襲撃者と全く同じことを聞かれ言葉に詰まるが、はたと思い直す。

「そっちこそ誰なんだよ。こんな真夜中に屋根の上から人のことじっと見てるとか、明らかにおかしすぎるだろ」


「あなたのエーテルほどおかしくはないわ」


「はあ?」

 この世界にやってきてもう何度も耳にした言葉だが、いまだどう捉えればいいかわからない。

 テラと名乗ったあのフクロウは、シンはそれを自在に引き寄せ、操れると教えてくれたが、少なくとも今の自分が何かできるかと言われたら、全くそのような気配はない。


「その困惑顔もさっきの驚き方も、確かに演技とは思えない。そのくせ無闇に騒ぎ立てることも、人を呼ぶようなこともしない。おかしな人ね」


 そう言われ、まじまじと少女の顔を見つめる。

「なに」


「あ、いや……そういえば、誰かに知らせた方が、いいよなって。一応不審者だし」


 そう言うと、今度は少女の方が同じようにシンを見つめた。

 やがて堪えきれなくなったか、肩をすぼめるようにしながら小さな笑い声を上げた。


 シンは一瞬どきりとした。今までの無機質な表情からは考えられない、むしろそうだったからこそ余計に、少女の笑みは幼く、屈託がないように見えた。


「それを、当の不審者に聞くの? 私がやめてって言ったら見逃してくれるの?」

 笑いながら少女が言う。


「あー、うん」シンは少し考え込んでから頷いた。「ここの法律とかわからないし。もしかしたらひとんち屋根の上を歩いたり窓の外に降りたくらいじゃ犯罪にならないのかもしれないから」


「言われてみれば、私も知らない」

 少女は声を抑えるように片手を腹に当てた。

「確かに、私はまだ不審者じゃないのかもしれないね」


 先ほど現れた時とは打って変わったような少女の様子に、シンもようやく肩の力が抜けてきた。

(よくわからないけど、悪人、ってわけじゃないのかな。女の子だし)


 だが、そうであればあるほど、彼女がシンの目の前にいる理由がわからなくなる。


 シンがいるのは、国王から任を受けてこの街(ザナトス)を管轄しているという執政官(ワルム)が詰めている城館だ。自分なんかが居ていいのかと思うほど大きく立派な造りをしており、警備の兵らしき人も何人も見かけた。しかし目の前の少女は堂々と屋根の上から侵入し、わざわざ姿を晒したううえ、特に焦るそぶりもないまま自分と会話さえ交わしているのだ。


「きみは、どうしてこんなところに? おれに話かけたってことは、何か、盗みに入ろうとしたとかじゃないんだよね」

「もちろん、あなたが何者か知るためよ。最初からそう言ってる」

「おれの正体って、君はおれのことを知ってるのか」

「わからないからわざわざ危険を冒してまでここへきたんじゃない」

「いやそうじゃなくて、おれはまだこの世――この街にきたばかりなんだ。会ったこともないのに正体もなにもないと思うんだけど」


「奇遇ね。私もこの街にはさっき着いたところよ」少女が笑う。「それに、あなたの疑問も当然だと思うう。けど、そのことについては答えないでおくわ」


「答えないって……どうして?」

「せっかく悪くない出会い方ができたんだもの。上辺だけの説明で私を誤解してほしくない」


 特に表情や口調が変わったわけではない。先ほどの笑みも消え、最初現れたときと同じく淡々と語りかけてくる。しかしその最後の言葉は、シンにはどこか悲しげに響いた。

 そのせいかもしれない。シンはそれ以上追求する気になれず、なんとなく視線をザナトスの街並みへと向けた。


「おれは、確かにちょっとここらの人とは違うかもしれないけど――あ、特別すごいとか、そういうんじゃ全然なくて。ここからとんでもなく遠い場所で暮らしていたから、考え方とか価値観? 感じ方ってやつが君たちとはだいぶ違うのかもしれない」


「とんでもなく遠い場所って、それはどこなの。どうしてここへやって来ることになったの」


 当然、そうくるよな。シンは苦笑しながら二つの月が浮かぶ空を見上げた。

「それがわからないんだよ。どうして自分がここにいるのか、どうやったらもといた場所に戻れるのか、まったくね」

「ふざけてるの」 

「そっちこそ、いきなり目の前に現れてずいぶんおかしなこと聞いてるじゃないか。お互い様だろ」

 少女は何かを言いかけたが、特に反論することもできず、面白くないような表情を浮かべながら押し黙った。


「……妹も、昔よくそんな顔してたな」

 その姿が急に頭に浮かび、思わず言葉に出た。言ってしまったあとで、胸にずきりとした痛みが走る。


「妹……?」

 少女はなぜかはっとしたようにシンを見た。そして、明らかに落ち着かない様子でニ、三歩後ずさる。


「どうしたの」

「そろそろ行くわ」

「おれのことはいいのかい」

 シンは冗談めかして聞いてみた。


「お互いこれ以上話せるようなこともなさそうだしね――私を侵入者として扱わなかったお礼に、一言忠告してあげる」

「忠告?」

「あの娘の――ラスティアの傍にはいない方がいい。すぐにでも離れることをお勧めするわ」


「ラスティアから離れろだって?」

 シンは真剣な顔つきで聞いた。

「それは、どうして」


「あの娘はいつもまわりに不幸を引き寄せる。厄災そのものみたいな存在だからよ」

 少女はそう言い切ると、シンの視界から消え失せるような速さで屋根へと飛び上がった。


「おい、どういうことだよ!」


「忠告したわよ」

 そう言い残し、少女は月明かりの消えた夜の闇へと消えていった。


 シンはしばらくその場から動くことができなかった。


 いま確かに目の前にいた少女のことや、彼女と交わした会話について反芻してみるが、それが自分にとってどんな意味があるのか、あったのか、まったくわからなかった。


 そのためシンは、空が白み始めた頃になってようやく、自分が少女の名前すら聞いていなかったことに気づいたのだった。


 シンも先ほどの少女もまるで気づいていなかったが、城館の庭に植えられていた木の枝からじっと二人の姿とそのやりとりを見つめている黒い双眸があった。

 そのふくろうにもよく似た何かは、一向に部屋の中へ入ろうとしない少年の憂いに満ちた横顔を眺めながら、時折考え込むようなそぶりで首を傾げているのだった。


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