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第37話「アインズ内乱」

 アインズの王宮は、激しい戦闘の場と化した。


 重要な決定を下す議会の間や、芸術的な装飾品に彩られた回廊、絢爛豪奢な大広間にいたるまで、王宮の中枢ともいえる区画のいたるところで火花が散り、兵たちの怒号があがった。


 ディファト派の兵たちは、ラウル王の御寝所を守るべく、また、そこへ近づこうとする敵を退けよという号令のもと懸命に戦っていた。ラスティアたちがラウル王のもとへ近づけば近づくほど、「陛下を守れ!」という号令のもと、戦いはより激しさを増し、甲冑同士がぶつかり合う音や剣の叩きつけられる音が絶え間なく響き渡った。


 エーテライザーたちの熾烈な争いも繰り広げられていた。超常的な力を持つ彼らにとっては、王宮のあらゆる場が主戦場となった。互いの主に危害が及ばぬよう、また、その目的を果たすために、いたるところでエーテルのぶつかり合う激しい衝撃音が鳴り響いていた。


 彼らにとって王宮を守るという行為は命に代えても果たすべき任務であり、疑問を差し挟む余地はなかった。しかしその相手は、本来味方であるはずのアルゴードの兵であり、自分たちと同じアインズの民であった。その叫びには、大いなる混乱を掻き消すかのような感情も込められていた。


 一方アルゴードの兵たちは、事前にその目的を頭に叩き込まれていたこともあり、レリウスの命令のもと一糸乱れぬ動きを見せた。


 代々フェルバルト家に仕えるウィンザー家とスぺイス家の者たちにとって、家長であるレリウスは唯一絶対の君主であり、刃を向ける相手がアインズ王室であっても躊躇するものではなかった。


 王宮内の戦力を掌握していたディファト派にとって、他の勢力による反抗など取るに足らないと思われていた。しかし、変異種の強襲により多くの兵が出払ってしまっている今は、兵の勢いがものをいう。


 アルゴードの兵たちは行く手を遮る兵たちを次々に退け、ラスティアたちの道を切り開いていった。


 西欧諸国のなかでも一、二を争うほど高い文化を誇るアインズの、その高価な芸術品の数々は、激しい戦闘の末粉々に砕かれ、息絶えた兵たちが折り重なるようにして倒れている天鵞絨の床に、大量の血液が湖のように広がっていく。争いとは無縁の小姓や使用人たちはいたるところで泣き叫び、頭を抱えるようにして廊下の隅にうずくまっていた。


 そんな混乱の最中を、何人もの兵に守られたラスティアたちが足早に通りすぎていく。


「急ぎましょう。これ以上の血は流したくありません」

 ラスティアが言った。その表情はまるで致命傷を負っているかのように険しかった。


「むろん、心得ております。陛下の御寝所へいたる最短距離をゆけるよう、兵を配置いたしました」

 レリウスが答える。ラスティアの傍らから離れず、いつ何時でも主君の身を守れるよう身構えながら先を急ぐ。それはリヒタール、ルノ、ブレスト侯も同様だった。


共感念波パルスによる報告が届きました」

 ラスティアのすぐ前で皆を先導しているシェリーが言う。

「現存していた王宮付のエーテライザーおよびディファト派の兵たちを排除、ラウル王のもとへ続く通路を確保いたしました」


「よくやった」レリウスが短く答える。


「ずいぶん呆気なかったな」リヒタールが鼻を鳴らす。


「確かに、上手くいきすぎなくらいだ」ルノが低く唸りながら周囲を見渡した。「アナリス王女たちに阻まれ、ディファト王子も宰相も満足に指揮をとれないとはいえ……さすがはアルゴードの、といったところだな」


「変異種の大群が襲ってこなければ、まず不可能な展開だった」

 レリウスは険しい顔のまま首を振った。


「左様。そもそも此度の事態に付け込む形でなければ満足な追求すらできなかっただろう。長いこと機を狙っていたアルゴード候にエルダが微笑んだということだ」

 幾筋ものしわが刻まれたブレスト候の頬が緩んだ。老齢ともいえる年であるはずが、その足取りは確かであり、かなりの速度で歩いているラスティアたちにも息を切らすことなくついていく。


「アインズの人々にとってはアヴァサスの魔手でしかないわ。それに、まだ終わったわけではありません。ラウル王の死を確認し、こちら側が政権を手にするまでは」

 ラスティアが険しい顔つきのまま言う。

「一刻も早くディファト王子の命令を解除し、シンの救援に向かいます」


 ラスティアの言うとおりだった。有利に事を運んでいるとはいえ、仮にこのままディファト派に抑え込められてしまえば、単に内乱を引き起こした謀反者でしかなくなってしまう。


 その場にいた全員はラスティアの言葉に深く頷き、さらに足を速めた。


 襲い来るディファト派の兵やエーテライザーたちを退け、やがて閑静な中庭に囲まれたラウル王の御寝所が見える位置までやってくると、一向は全力で扉のある入口へと走った。


 普段であれば大勢の兵に警護された見目麗しい区画のはずが、今や激しい戦闘によって多くの死で彩られた場所と化していた。

 そんななか、上下ともに白い衣服をまとった数人の男女が御寝所の扉の前にかたまり、大勢のアルゴード兵によって取り囲まれていた。


「そこを退け。兵以外の命を獲るつもりはない」

 アルゴード兵の一人が言った。


「我々の使命は病床にある王のお命を少しでもこの世に繋ぎとめておくことでございます。その相手が病ではなく我が国の兵であっても、変わりませぬ」


「すでに尽きてしまったお命であれば、おまえたちの役目も不要ということになる」

 アルゴードの兵たちに迎え入れられたレリウスが言う。


「……ラウル王はいまだご存命です」


「家族を人質にでもとられているのだろうが、おまえたちの問答に付き合っている暇はない」

 リヒタールの冷たい声が飛ぶ。


 レリウスが周囲の兵に合図を送る。兵たちは素早く頷くと、うなだれている医師団の面々をいともたやすく退場させていった。なんとか面前に立ち塞がっていたものの、本来であれば医を生業とする者たちだ。抵抗できる力などあるはずがなかった。


「決して傷つけないで。彼らの話を聞いて、ディファト王子に加担しなければならなかった理由を聞き出しておいてください」

 ラスティアが言うと、振り返った兵たちは敬礼でもって応えた。


「――参りましょう」

 レリウスの言葉に、全員が頷く。


 ラスティアが重々しい扉に両手をかけ、押し開いてゆく。


 ラスティアに続き、レリウスが室内へと足を踏み入れた、そのとき。


 パリンという、何かが割れたかのような音が響き、ラスティアとレリウスは咄嗟にうしろを振り向いた。


 たったいま扉があったはずの空間が光の膜で覆われており、向こう側にいるはずのリヒタール、ルノ、ブレスト候の姿は影も形もなくなってしまっていた。


「これは――?」

 突き出したラスティアの手はしかし光の膜に遮られ、もとに戻ることができなくなっていた。


「どういうことだ」

 レリウスが拳を振り上げて障壁を叩く。

「リヒタール! ルノ! ブレスト候! 聞こえますか!」


 返答どころか何の反応もみられず、レリウスは何度も拳を叩きつけるようにした。


「くそっ、どうなっている」

「障壁ね。おそらく、閉じ込められた」

「閉じ込められた? いったい誰がどうやって――」


「よく、おいで下さいました」

 薄暗い室内から、陰々とした声が響く。ラスティアとレリウスは瞬時にそちらへと向き直り、暗闇に目を凝らすようにした。


 強い香の匂いと、あとに続くしばしの静寂。


 やがてアインズ国宰相、ルーゼン・リフィトミが姿を表した。


「宰相……?」

 さすがのレリウスも驚きを隠せないようだった。

「いったいなぜ――どうやって、議会の間からここまで」


「もちろん、エーテルを使ってですよ。うしろの障壁をご覧になればおわかりいただけるでしょう」

「おまえが、エーテライザーだと? そのようなことは今まで一度も――」

「当然ですな、私がエーテルを扱えるようになったのはほんの数年前のことですから」


「数年前?」

 ラスティアがいぶかしげな表情を浮かべ、訊いた。

「そんなはずはないわ。器なき者は何年経とうとエーテルを扱うことはできない」


「確かに、ラスティア王女ご自身が最もご理解なさっていることでしょう。ただ、世の中には絶対ということはなく、例外や特別、といった言葉もございます」


「御託はいい、現におまえは私とラスティア様をここへ閉じ込めてしまったのだからな。理由を教えてもらおうか」

 強気のレリウスの言葉にはしかし、隠し切れない動揺が滲んでいた。


「理由……そうですね、いったいどこからお話するべきか」


 こうも悠然と待ち構えられていたということはすなわち、自分たちの行動をすべて見透かされていたということに他ならない。その事実を、レリウスもラスティアも瞬時に理解していた。理解していながら、その理由や目的については皆目見当がつかなかった。しかも目の前の相手は、器保持者でもないのにエーテルを扱うことができる異端者だ。その事実がより一層、ラスティアたちの動きを鈍くさせていた。


「ラウル王は、ご存命なの」

 どうしようもなく膨れ上がっていく感情を押し殺すように、ラスティアが訊いた。


 ルーゼンは少しの間のあと首を傾げるようにしたが、やがてうっすらと笑ってみせた。

「ああ、そうでした。もちろん生きておられますよ――いや、陛下ご自身はとうに亡くなられているのですが。どう説明すればよいのか……そう、陛下のお体は、あまりにも偉大なる御方へと捧げられるのです」


 ラスティアとレリウスが抱いた感情の正体。それは、自分たちが抜け出すことのできない泥濘ぬかるみに嵌ってしまったのではないかという不安、そして――


 得体の知れない存在に対する絶対的な恐怖だった。

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