第35話「中枢の争い」
「お、お待ちくださいレリウス様!」
扉の前にいた衛兵たちは、厳しい表情を浮かべながら向かってくる層々たる顔ぶれを見て慌てふためいた。
「今は誰も通すなとの厳命です!」
「退いてもらおう、むろんおまえたちの責は問わない」
十三領侯筆頭とも呼ばれる実力者、アルゴード候レリウス・フェルバルトの前に立ち塞がることのできる兵などいない。ましてや今レリウスの後ろには、バルドー侯リヒタール・シュナイツ、シャンペール侯ルノ・ベイリッチ、ブラスト侯ヤファ・ミルドレイスそして、アインズの第三王女ラスティア・ロウェインが続いていた。扉を守る兵たちも及び腰のまま道を譲るようになってしまうのも致し方ないことであった。
レリウスが両手で扉を押し開くと、中にいた者たちの視線が一斉にこちらへと向いた。
「これはこれは――お歴々が、いったいどうなさいました」
アインズ国宰相、ルーゼン・リフィトミは大きく目を見開きながら言った。しかしラスティアには、その様子がどこか演技じみたように見えて仕方なかった。
レリウスが堂々たる態度のまま頭を下げる。
「ディファト王子、そして諸兄方、突然の来訪をお許しください」
「確かに物々しい登場だな、レリウス」
中央に座すディファトが頬杖をつきながら口の端を吊り上げてみせた。
「ここへおまえたちを呼んだつもりはないが」
「ブレスト、バルドー、シャンペール、そして我がアルゴードの領侯四名、ラスティア王女のご進言に際する支持者として参りました」
「何を馬鹿な、そのようなことディファト王子は必要としておらぬわ!」
ノルマン侯がレリウスの前に立ちはだかりながら叫ぶ。
「アルゴード侯、それに皆様も、これはいったいどういうことでしょうか」
リーデン侯のひどく冷静な声が飛んでくる。一方、ディファト派の重鎮ともいえるレスターム侯、アルマーク侯の二人は一言も声を上げることなく目を細めていた。
レリウスは自ら答えることなくうしろを振り向き、道を譲るようにした。リヒタール、ルノ、ブレストもそれに倣う。
一番後方にいたラスティアが、ゆっくり前に進み出る。
ディファトはもちろん、ディファトを取り巻く者たちは一瞬、息を呑むようにしてほんのわずか身をのけ反らした。
物言わぬ、類まれな美貌をもつ王女の、その立ち居振る舞いに彼らが気圧されたのは言うまでもなかった。
「ディファト王子に申し上げます。先ほど下した外壁の門を閉じよとの命令を撤回し、外の人々を速やかに王都内へ非難させるための兵をお出しください。また、ギルドに対し即刻救援要請を」
ディファトは慌てて不敵な笑みを取り繕った。
「――なるほど、命令を撤回せよと」
言いながら、隣の宰相を見やる。ルーゼンは静かな佇まいを崩さぬまま首を振った。
「万が一にも王都に変異種の大群が入り込むような危険を犯すわけにはいきませぬ」
「今の状況下においてその発言は自己保身が過ぎると言わざるを得ません。最悪門を閉じるという判断を下す必要はあるかもしれませんが、外の人々の避難や防衛に必要な戦力も配置せず、状況をも見極めようともしないまま即座に見捨てるなど……他国はもちろん、我が国の民たちが王宮をどう見なすかは火を見るより明らかです」
「さすがに口が過ぎるのでは、ディファト王子の御前ですぞ――」
「だからこそとはっきり申し上げているのです」
声を裏返せながら諫めようとするノルマン候には目もくれず、ラスティアは真っすぐディファト王子を見つめながら言った。
「命令の変更と共にギルドに救援要請さえ出せば多くの命が救われます。ディファト王子、どうか賢明なるご判断を」
「ずいぶんと、上からものを言うではないか」
ディファトは首を捻るようにしながらうつむいた。
沸き起こってくる怒りを迎え入れるかのように、こきこきと首を鳴らし、ゆっくりと顔を上げる。
そして、凶悪な表情でラスティアを睨みつけた。
「いったいおまえ、何様のつもりだ」
「誰が何を言うかなど関係ないでしょう。今求められていることは、我々が直ちに行動を起こすことです。一刻も早くこの状況を打開するために」
「必要ない。俺はすでに必要な命令を下している。今も俺が最も頼りとしている者たちと今後の対策について協議を重ねていたところだ。おまえたちの出る幕はない」
「ディファト王子……どうか、ご自分や一部の者たちの声だけに捉われることなく、広い視野をお持ちください」
「貴様。俺を、狭量と罵るのか」
ディファトの声がさらに低くなる。殺気じみた雰囲気を感じとったアインズの重鎮たちはさらに息を潜めた。
「なぜ、そのようなお考えになるのですか。こうしている今も変異種の大群は外壁へと押し寄せて来ているのですよ。窮地に晒されている人々を救うという選択が、なぜできないのですか」
ラスティアはシンの行動を固く信じており、今回のことも彼であればなんとかしてくれるかもしれないとの期待を抱いていた。そうでなければディファトとの悠長な言い合いに耐えることなどできなかっただろう。
もちろん、シンの手に負えない事態に陥ることもありえたし、そのことを十分予想してもいた。だからこそ、できればディファトを説き伏せたいと考えていた。
なによりアインズ王室の一員として、このような緊急事態に救いの手を差し伸ばさないという決断を許すことはできなかった。
「……なるほど、おまえは自分の考えが正しいと思って疑わないわけだ」
まるで臆する様子のないラスティアを見つめ、嘲笑の笑みを浮かべる。
「私の言動に目を向けるのではなく、目の前の事態についてお考えください」
「考えたうえでの判断だと言っている。おまえごときに言われるまでもない」
「命令を撤回するおつもりはないと?」
「当然だ。王都ならびに王宮を守るためには万が一の事態などあってはならん」
そう言ってディファトは傍らに控える衛兵に対し片手を挙げた。
「わざわざご苦労だった。これ以上、おまえたちの相手をするつもりはない」
ディファトの合図を受けた衛兵たちは無表情な面持ちのままラスティアの前に立ちはだかり、うしろに控えるレリウスたちごとじりじりと取り囲んでいった。
レリウスは一瞬だけラスティアと視線を交わしたのち、目の前に突き出された槍をものともせず進み出た。
「なれば、仕方ありません。我々は我が国の民を守るため、ラウル王のご判断を仰ぎに参りたいと思います」
「――なんだと」ディファトが言った。「父上の、判断?」
黙って事の成り行きを見守っていた重鎮たちもさすがに目を見開くようにしながら傍らの者たちと何事かを囁き合う。
「アインズの第三王女ラスティア、そして私に付き従う四領侯は、ディファト王子の代行政権におけるあり方に対し、明確な異を唱えます。よってその権限を委譲していただくべく、ラウル王へ事の次第をすべて報告いたします。現王ラウルの御言葉によってここにおられる諸兄たちが私とディファト王子のどちらを支持されるか、あらためてその真を問わさせていただきたく存じます」
透き通るようなラスティアの声が、王宮中枢の会議の場へ朗々と響き渡っていった。
何を言われたのか分からないといった様子のディファトは、呆けたようになっていた口を慌てて閉ざし唾をまき散らした。
「な、ならん! そんなことは決して許さん!」
「なぜですか」
「いったいいかなる理由があってそのようなことを申すのですか」
リヒタールとルノがここぞとばかりに口を挟む。
「ラスティア王女はもちろん、我々領侯は王に謁見する権利がございます」
「馬鹿も休み休み言え!」ディファトが立ち上がりながら叫ぶ。「父上の容態が今どうなっているか知らぬはずはなかろう!」
「いえ、残念ながらわかっておりませぬ」
ブラスト侯がたんたんとした口調で首を振る。
「我々一同、ここ数月のうちはまったく陛下のご様子を拝見できておりませんので」
「報告は受けているだろう! ほんの些細なことでさえ容態が急変してしまうような状態なんだぞ、おまえたちが父のもとへゆけばそれだけで命を落としかねん――」
「それは、本当のことでございますか」
「なにを言うルノ、医師団が毎朝俺たちに対し説明を――」
「まるで代り映えのしない、まっこと事務的な内容ばかりですが」
「リヒタール貴様、我が国の医師団が嘘を言っていると申すか!?」
「いえ、まったくそのようなことは考えていおりませぬが……ディファト王子は彼らが嘘をつかねばならぬような理由に心当たりがおありで?」
首から上を真っ赤にし、いよいよ怒りを爆発させようとしたディファトの前に、ルーゼンがゆっくりと進み出る。
「ディファト王子の仰られたとおり、ラウル王への面会は許可できませぬ。ほんの些細なことでも命に関わります」
「あまり俺たちを舐めるなよ宰相。おまえはいったいどのような権限でものを言っている」
鷹のようなリヒタールの目が、獲物を捕らえるかのごとく細まる。
「もちろん、代行政権下におけるディファト王子の御言葉を代弁してのことでございます」
「これは政ではない。領侯である俺たちが王に謁見する、このことに口を挟む権限がおまえにあるのかと訊いている」
ルノが頷く。
「王にもしものことがあってはならぬと耐えて来たが、もはやそのようなことを言っている場合ではない。我々はこのまま、この足で、陛下の御寝所へ向かわせてもらうつもりだ」
「……大変失礼ながら、そのようなことを許すわけには参りませぬ。恐れ多くも私は王のお命をお預かりしている身なれば」
「力づくでも止めると?」
ラスティアが問う。
「必要とあらば」
ルーゼンが答えると同時に、さらに多くの衛兵たちが垂れ幕や扉の外から続々と現れてくる。
「バンサー!」
ディファトが叫ぶと、今まで影すら見えなかった巨体が皆の前に姿を現し、ラスティアたちの前に立ち塞がった。
だが、バンサーの瞳はどこか淀み、その表情もどこか沈んでいるように見えた。
「衛兵たちはもちろん、我がパレスガードを相手に押し通るような真似はできまい」
ディファトが勝ち誇るような表情で言う。
「いくらおまえがロウェイン家の娘であろうと、な」
「ラスティア王女、ここは一旦修めていただきたい」
今まで沈黙を守ってきたレスターム侯が諭すように言った。
「おまえたちもだ、少し冷静になれ」
アルマーク侯がレリウス、ルノ、リヒタールに対して厳しい声を投げかける。
「ブレスト候ともあろう方が、なぜこのようなことを……本来であればあなたこそ王女らを諫めるべきでしょうに」
リーデン侯が避難の目をブレスト侯へと向けた。
「どうか、無用な争いはお控えいただくよう、固くお願い申し上げる」
ルーゼンの言葉が最後通告であることは、その場にいる誰もが感じとったことだった。
静寂が会議の場を包み、ラスティアはディファト王子と視線を交わしたまま身動きひとつしなかった。
いったいどうするつもりなのかと誰もが言い出したくなった、そのとき。
「本当に、無用なのかしら」
一斉に押し黙ったラスティアたちの後方から、刺々しい女の声が響いた。
パレスガード、ベレッティ・サクリファイスを従えたアナリス王女の姿が、そこにあった。