第34話「好機と絆」
「――本当に、ディファト王子はそのような命令を下したというの」
ブレスト侯から聞かされた話が信じられず、ラスティアはそれ以上の言葉を失った。
「力及ばず、申し訳ありません」
ブレスト侯は一言そう言って頭を下げた。
ディファト王子の命令が下ったあと、ただちにレリウスのもとへと駆けつけたブレスト候は、すでにレリウスの元へ集まっていたラスティア、リヒタール、ルノに対し事の次第を報告したのだった。
「国防に関わる有事においては代行政権による決定が許されている。むろん領侯会議を招集する必要はなく、俺達の出る幕もないということだ」
リヒタールは鼻で笑いながら獰猛な視線をレリウスへ向けた。
「どうするつもりだ。このまま宰相の言いなりになっているつもりか」
「そうは言うが、すでに命令は下されているんだぞ」
黙り込んでいるレリウスに変わりルノが口を挟む。
「それに私たちが進言したところでディファト王子や宰相が考えをあらためるとは思えない」
「まったくだ」
リヒタールは即座にうなずいた。
「ディファト王子に会いに行きます」
ラスティアが立ち上がり、皆を見渡した。
「ギルダーたちにはなんとしても変異種討伐にあたってもらわなくては」
「しかしラスティア様、失礼ながらあなたが行かれたところで――」
「私たちの言葉に耳を傾けないというのならディファト王子と宰相を直接外壁まで連れていくわ。襲い来る変異種の大群と外に締め出された人々を前に同じ命令を下せるか、そこで試してもらいましょう」
ラスティアの発言に全員が息を呑む。そんなことは不可能だと、誰もが口走りそうになったが、一人として言葉にできる者はいなかった。
「……ラスティア様。これはある意味、絶好の機会といえます」
レリウスは慎重に言葉を選ぶようにしながら口にした。
「絶好の機会ですって? この事態が?」
ラスティアは怪訝な視線をレリウスへと向けた。しかしレリウスは動じることなく頷いてみせる。
「はい。今のブレスト侯の話からすると、此度の決定、ディファト派の中でも意見が割れているものとみえます。レスターム候ですら——いや先見の明があるレスターム侯だからこそ、王子たちの決定にはなかなか頷けるものではないはず」
「やつの場合、たんに民の安全を願ってのことではないだろうがな」
リヒタールが軽薄そうな笑みを浮かべながら言う。
「我が国の民を救うというより、今は特にディケインとの関係を崩したくないというのが本音だろう。西の街道からは連日ディケインからの来訪者が大勢やって来る。門を閉ざしてしまえばどれほどの被害が出るかわからん」
「ああ。たとえ王都を無傷で守り抜けたとしても自国の民を犠牲にされて黙っているはずがない。ディケインはもちろん、バルデスも今回の騒動に乗じ我が国の決定を非道とみなしてくるはず。東と西の大国を同時に敵にまわすことにもなりかねない。だからこそレスターム侯も国際問題になると進言したんだ。王子と宰相には聞き入れてもらえなかったようだが。二人にとっての最優先はひとえに我が国の玉座にあるのだろうな」
ルノがやるせない様子で首を振る。
「今こそ、ディファト派を割る絶好の機会というわけだな?」
「いや、そのことだけで領侯たちの支持を引き剥がすのは難しいだろう。一枚岩ではない状況で変異種への対応に追われることだけは確かだがな」
「今はそのようなことどうでもいいでしょう!」
ラスティアの言葉に全員がはっとした表情を浮かべる。
「一人でも多くのギルダーを外壁へ送り、人々を避難させることが先決でしょう!」
「ラスティア様」
レリウスがラスティアへと向き直った。ラスティアも真剣な面持ちでレリウスを見返す。
「そのためにもあなたは、あなたの成すべきことを成さねば」
「成すべきことですって?」
「はい。今こそディファト王子の政権に意を唱え、王子本人に我が国を率いる資格なしとの判断を突きつけるのです。そして、王子を断罪するときは今です。自らが王となるためにラウル王の死を隠蔽しているという事実を白日のもとへ晒しましょう。此度の件に加え、己の目的のために父王の死さえ利用しようとしていたことを知れば、ラスティア様を支持しようとする領候たちもきっと出始めるはず」
全員が固唾を呑むようにしてレリウスの言葉に聞き入った。
「ディファト王子も宰相も、少々お痛が過ぎました。次期国王の座はひとまず置いておくとしても、代行政権についてはこちらに譲っていただく。さすればこのレリウス・フェルバルト、ラスティア様のご命令のもと、可及的速やかに変異種の大群を退け人々の安全を確保してご覧に入れます」
「まってくれレリウス」ルノが動揺を隠せないように言う。「そんなことをすればディファト王子だって黙ってはいない。下手をすれば武力行使も辞さずに私たちを抑えつけにかかるはずだ」
「シャンペール侯の言うとおりだ」
今まで黙っていたブラスト候が険しい表情を浮かべる。
「今の王宮はディファト派の息がかかる者たちで固められてしまっている。ラスティア様にはかの者がついているとはいえ、あまりにも他勢に無勢だろう。これはなにも単純な力だけのことを言っているのではない。政権を奪い取るとなれば王宮全体を制圧できるだけの兵力が必要になってくる。さすがに分が悪いと言わざるを得ない」
「恐れながらブラスト侯、そのことについてはアルゴード侯も十分理解したうえでの発言かと。そうだろう、レリウス?」
リヒタールがおもしろがりながら訊いた。
「ああ——シェリー」
レリウスはラスティアの影に潜むように控えているシェリーに向かって声をかけた。
「皆に状況を報告してくれ」
「は。フェルバルト家に仕えるウィンザー家、スペイス家のエーテライザー四七名がすでに王宮内への潜伏を完了。また、王都の各要所には三千のアルゴード領兵を配置、ラスティア様のご命令のもといつでも行動可能です」
シェリーは無駄のない動きで敬礼し、淡々とした口調で告げた。
ラスティアは驚きの目で自らの護衛と、そしてレリウスとを交互に見つめた。
「いったいどうやって、それほど大勢のエーテライザーたちを王宮に潜り込ませることができたんだ」
ルノが目を丸くさせる。
「シェリーはアルゴードの兵を潜ませるための先兵にして外部との連絡役者だったというわけだ。ラスティア様の護衛という任務を隠れ蓑としてな——決してラスティア様をないがしろにしたわけではありません」
レリウスはルノからラスティアに向き直ると、深々と頭を下げた。
「それは、もちろん――わかっています。実際シェリーは護衛としての任務を立派に果たしてくれているし……」
ラスティアはいまだ事態を飲み込めないままつぶやいた。
「結果としてラスティア様を騙す形になってしまったことは、どうかお許しを。しかしその甲斐あって、相手方に気づかれぬまま相当の戦力を有するに至りました」
「いくら領侯とはいえ、自身の兵を呼び寄せるには相応の理由と許可がいります。もちろんディファト王子や宰相が認めるはずがない。さすがに身勝手としかいえないレリウスの行動も致し方ないことといえますな」
リヒタールがしたり顔でうなずく。
「それにしても解せぬ。王都はともかく、王宮のエーテライザーたちの目をどうやって掻い潜らせたのだ。特にパレスガードの感知の網は相当厳しかったはずだ」
「バンサーたち自身がその機会を与えてくれましたよ。彼らはローグと、その背後にいるマールズという得体のしれない相手に気をとられ過ぎていましたから。我々に、シンに助けを求めてくるほどに。そしてローグとリザ王女は、崇拝者と呼ばれる者たちとの約定――といっていいかはわかりませんが――それに縛られていました。あろうことか我が国のパレスガードは、王宮ひいては自分たちの主を守るという最上の使命をしばしの間横に置いてしまっていたのです」
「だが、王宮付のエーテライザーも捨て置けなかったはずだ。何かと独断で動くことの多いパレスガードと違い、王宮を守るのはむしろ彼らの管轄だろう」
「ここ数日の間、王宮のあちこちで障壁が張られていたのはご存じでしょうか。よほど多くの者たちが密談を交わしたがっていたとみえます。すぐそばの者たちに盗み聞きされることばかり怖れ、王宮の外には目が向かなかったとみえる。障壁を張られると外から中のことはわからなくなりますが、中から外で起きていることにも気づけなくなりますそして、フェルバルト家に仕える者たちは王宮付のエーテライザーに負けずとも劣らぬ実力者たちです。そのような隙を見逃すはずがありません」
「……なるほど、他に気をとられているような監視くらい易々と掻い潜ってみせるというわけか」
「いえ、決して易々というわけでは」
シェリーが思わずといった様子で口にした。
「わかっておる」ブレスト侯が鷹揚に頷いてみせた。「そうでなければ我が国の守りはざると言われても仕方がなくなってしまう」
「レリウス。あなたは私に、力でもってディファト王子を退けよと言っているの」
ラスティアの静かな、だが確たる言葉に、緩みがちになった場の空気が一気に張り詰めた。
「そうではありません、あくまで理は私たちにあります。ですが武力によってこちらの動きを封じられてしまえばどうすることができません。真向から抵抗できるだけの兵力が必要です」
「自国の兵に刃を向け、殺し合えと? あなたの臣下たちにそう命じさせようというの?」
「正確には私の、ではありません。私はあなたを主君と仰ぎ、忠誠を誓った。ゆえに彼らは皆、ラスティア様の臣下です」
レリウスの言葉に、シェリーが力強く頷いてみせる。
「駄目よレリウス、そんなことはしてはいけない」
「では、今まさに見捨てられようとしている人々はどうなさるおつもりですか」
「それこそアルゴードの兵を助けに向かわせれば――」
「本来の目的にはなかったことです。私が王宮および王都に兵を配置させていたことを知ればディファト王子は間違いなく我々を糾弾し、罪に問おうとするでしょう」
間髪入れないレリウスに追求に、ラスティアが言葉を詰まらせる。
「ラスティア様が今のまま進言したところでディファト王子も宰相も耳を傾けようともしないでしょう。この命を懸けてもいいほど、それは絶対です。ラスティア様の意見に従い考えを変えるということはすなわち、自分たちの非を認め、屈服するということに他ならないからです――覚悟をお決めください」
「アインズの王を目指すという覚悟であれば、できているつもりよ。でも今回のことは――」
「同じ事です」
レリウスがラスティアの目を真っすぐ見つめながら首を振った。
「必要とあればどのような命令であろうと断固として下す。ディファト王子はまったく相容れない理由によりそれをなさっているわけですが、ある意味では正しい姿ともいえます。施政者とは……王とは、綺麗ごとだけでは務まりません。このことは長年ラウル王の御傍に仕えた者として、今一度問わねばならぬこと。今のような状況であれば、なおさらです」
ラスティアとレリウスは一時も視線を外すことなく向かい合った。周りを囲む者たちは皆、呼吸すら止めるようにして二人の行く末を見守っていた。
長い沈黙が続いた。
レリウスの視線を真っ向から受け止めている翡翠の瞳が、その奥にある思考や感情を反映させるかのごとその輝きを変化させていた。
そしてラスティアは深く目を閉じ、軽く天を仰ぐようにしたあと、言った。
「……ディファト王子の命に意を唱え、外壁の外にいる人々を救います。必要とあれば武力行使も辞さないと、私自身がそう告げます」
一言一句はっきりと口にしたラスティアに対し、その場にいる全員が一斉に跪き、片手を強く胸に押し当てた。
「「我が主君に、永遠なる忠誠を」」
ラスティアは全員に深くうなずくと、すぐに行動に移るよう指示した。
「ですがまずはシンが戻ってくるのを待ちましょう。変異種襲来の報は当然ギルドへも伝えられてますし、シンも急ぎ王宮へ戻ろうとしてくれているはず。絶対者の存在は相手にとってなによりの脅威となります。シンさえいれば、いらぬ争いも避けられるかもしれません――」
「いえ、シンを待つようなことはしないわ。今すぐディファト王子のもとへ向かいましょう」
「な、なぜですか?」
「いけません、ラスティア様。これから起きることを考えれば、彼にはあなたのすぐ傍にいて貰わなくては」
ルノとリヒタールが慌てて止めにかかる。
レリウスが険しい表情のまま頷く。
「二人の言うとおりです。ディファト派を牽制する以上にラスティア様の身は第一にお守りしなければ――確かにシェリーは優秀なエーテライザーではありますが、シンのようにバンサーたち三人を退けられるような途方もない力はありません」
「……シンは、私のもとへは戻ってこない気がする」
「なんですと?」
「それはどういう意味でしょうか」
「戻って来ないとは、いったい」
シンという少年のことを少なからず知っている者たちは皆、一様に声をあげた。
「失礼ながら、パレスガードともあろう者がこの緊急時に主のもとへ戻ってこないということはいかがなものかと」
ブレスト候も険しい表情で諫める。
「彼は、シンは……とても優しい人だから」
ラスティアが静かに首を振る。
「だからおそらく……私がしてほしいと思うことをする。以前、今と同じような状況で『助けて』と、そう言ってしまったから……だから、きっとここへは来ない。シンが向かうのはきっと外壁の上か、その向こう側だと思う。すぐにでも私が王宮を飛び出していかないでいられるのも、そう思えているからなの――こんなことを言っておきながら、全部私の思い上がりで、ただパレスガードとしての役割を遂行しようとしているだけかもしれないけれど」
その場にいた者たちは皆、気恥ずかし気な表情を見せる世にも美しき王女と、生ける伝説ともいえる存在との間に、確かな絆ともいえる何かを感じとったのだった。