第33話「権力者たちの沈黙」
時は、変異種襲来の報が初めて王宮にもたらされたときまでさかのぼる。
国の中枢を担う王宮の住人たちは、突然の混乱というよりもむしろ、大いなる戸惑いの真っただ中へ放り込まれたかのような有様に陥っていた。
現在アインズの政を牛耳っているディファト派にとっては、先のバルデス侵攻に相当するほどの出来事のはずだった。しかし事態に対応すべく急遽招集された主な顔ぶれたちも、事の緊急性を理解できているとはいえなかった。
「いったいどこからそれほど多くの変異種が沸いて出てきた?」
重鎮の一人が首を傾げると、傍らの者たちも皆同様の仕草をみせた。
「そもそもなぜ、群れて王都に向かってくるなどという奇怪な行動をとっている。あの化け物どもにまともな知能が備わっているなど聞いたことがないぞ」
「左様。街道で出くわすとしても単独か、運が悪くても二体かそこらだろう。目的なくさ迷い歩くことはあっても動物のような習性すらないはずだ」
「今はそのようなことを言い合っている場合ではない」
レスターム侯が非難がましく口を開くと、周囲の者たちは一様に押し黙った。
「一刻も早く対処すべきだ」
アインズの十三領侯にしてディファト派の筆頭でもあるレスターム侯は、今の事態を楽観視するような真似はしなかった。すぐさまディファトとルーゼンに対し王都防衛のための緊急招集をかけるよう進言した。
「外壁の警護兵には状況を密に報告するよう伝えよ。オルタナ近隣のバローズ、ミールファー、エグシオン騎士団に伝令を出せ、王都防衛のために全兵を率いて直ちに駆けつさせるのだ」
ルーゼンがディファトの傍らで矢継ぎ早に指示を出す。
「王宮騎士団とオルタナ警備兵は外壁の死守および民衆の誘導に当たれ、そして――準備が整い次第、外壁の門をすべて閉じよ」
「すべての門を、閉じよと?」
レスタームが思わずといった様子で訊いた。ルーゼンの隣で肘をついていたディファトも片目を吊り上げる。
「もちろんでございます、万が一ということもありますので」
「交易路を往来している者や外壁の外で暮らす者たちはどうする」
レスタームがすぐさま問い返す。
「一時的に締め出す形にはなってしまいますが……今のうちに避難するよう呼びかけさえすればどこへなりとも逃げ出せるでしょう」
「かなりの大群との報告があったばかりではないか。我が国の民はもちろん、軽々に他国の民や交易商人たちを見捨てるような真似をすれば国際問題となるぞ」
「レスターム侯の仰るとおりです。ですが、王都の安全には変えられません」
「何を馬鹿なことを!」
突然の声が議会の間に響き渡る。
ブレスト侯が警護兵たちを押しのけ、大股でディファトたちのもとへ歩み寄っていく。
「伝令からの報告によれば、外壁に到達するまでは今しばらくの猶予があるという。直ちに王都周辺に防衛線を敷き、外の者たちを王都内へ避難させるべきだ!」
「ブレスト侯の言うとおりだ。むろん王都の安全は第一に考えるべきだが、すぐに門を閉じてしまえばどれほどの被害が出るか見当もつかん」
レスターム侯が険しい表情でうなずいてみせる。
同じディファト派とはいえ、ブレスト侯はラスティア派に鞍替えするのではないかとも噂されている人物だ。レスターム侯らにとっても油断ならざる相手といえるが、今回の件はまさに緊急事態であり、ブレスト侯の言い分は至極最もなことだった。レスターム侯が同調するのも当然といえた。
「ディファト王子はどのようにお考えでしょうか」
ルーゼンは二人の追求には答えず、やんわりとした視線を隣に送った。
ディファトは仰々しく顎をさすり、深く考えこんでいるような仕草をみせた。
「近年稀に見る、いや、俺の知る限りでは我が国の記録にもない事態だ。ここは宰相の言に従ってすべての門を閉ざし、王都の安全を最優先に考えるべきだろう」
「外の者たちを見捨てよと仰るのですか」
ブレスト侯が唸りながら言った。
「それこそエーテライザーたちを頼ればよいではないか。このようなときのためのギルドだろう? 王宮からの正式な依頼として変異種討伐の任をやつらに与えよ」
「それはなりません」
横から挟まれたルーゼンの言葉にディファトはがくりと肘をはずした。
「な、なぜだ」
「ギルドへは東区画の防衛にあたってもらわなくてはなりません。我が国の高貴なる方々、それに要人方が多く御住みになっておられます。今の状況を知れば心底不安な思いをなさることでしょう」
「東区画など、それこそ門を閉じてしまえばなんの問題はないではないか。今論じているのは甚大な被害を被る可能性の高い西区画。そんな当然のことがなぜ――」
「もちろん、私とてそれは存じあげております」
ルーゼンが片手を挙げてブレスト侯の言葉を遮る。
「しかしながら、今回の事態が知れ渡るのも時間の問題。いくら東区画は安全と説明したとしても、少しでも身の危険を感じられた方々にとっては到底聞き入れられるものではないでしょう。必ず王宮とギルドに対し身辺警護のための戦力を要請されるはず。それを我々が無下にしてしまえば、ディファト王子がこれまで築いてこられた関係性が台無しになってしまいます。次期国王となられる王子にとっては由々しき事態となりかねません」
「た、確かにその通りだ」
ディファトは慌てて頷いた。
ディファト派の重鎮たちも互いに顔を見合わせ、囁き合う。
「下手をすれば他の王子王女様方に与するきっかけにもなりかねんぞ」
「ディファト王子への支持を明言しているとはいえ、扱い方次第ではいくらでも鞍替えしてやると言わんばかりの態度だからな」
「大国アインズの大貴族ともあろう者たちが、堕ちたものだ」
「いや、我が国の現状を思えば仕方あるまい」
「しかしアルゴード侯はこのような隙を見逃さないぞ」
「今はそのようなことを言っている場合では——」
「何をそんなに慌てているのですか、ブレスト候」
突如割り込んできた声に全員の目が向く。うすら笑いを浮かべたノルマン侯が、皆の注目を一心に集めるように両手を広げた。
「私の把握する限り、近年変異種の数は相当減ってきているとのこと。今回の騒動も物珍しい光景に見張りの兵が大げさに騒ぎ立てた可能性すらあります。とはいえ今は王都や東区画の安全を第一に考え、情報の収集にあたるべきではないですか」
「事態を安く見積もるは愚か者のすることよ」
ブレスト候は一言で切り捨てた。
耳を傾ける価値もないと言わんばかりの態度にノルマン侯の顔がみるみるうちに赤くなっていく。
「私を愚弄するおつもりか―—」
「情報が不確かであるというのであればなおのこと、最悪の事態を想定して行動すべきであろう。すなわち、王都を取り囲もうとするほどの変異種の大群が迫っており、交易路ならびに外壁周辺に暮らす者たちの身が危険にさらされているということ。そして一番恐れるべきは、外壁を突破されてしまうことだ。王子や宰相の言う通り王都の安全を第一に考えるということは確かに最もなことだが、そうであるなら即刻ギルドに要請すべきだ。変異種討伐はギルドの専門であるうえ、彼らなら外壁の門など苦にもしない。門を閉じてしまったあとも変異種を駆逐しながら人々の避難にあたれるはずだ。東区画の護衛に当たらせるなどもってのほかだろう」
「それこそ、最悪の事態を想定しているとはいえませんな」
ルーゼンがゆっくりと首を振る。
「なんだと」
「想定している以上の変異種が押しかけようとしているのであれば、すべての門を閉ざしたうえで外壁の上から攻撃を仕掛けるのが最も有効なはず。私は何も貴族の皆様の要望のみを重視しているわけではありません。我が国の兵やギルダーたちに余計な被害を出さないということも大変重要であると考えているのです。その国が保有するエーテライザーの数は国力に直結します。アーゼムによる調停が望めない昨今、各国が競い合うようにエーテライザーたちを育て囲い込もうとしている現状を知らぬあなたではないでしょう」
「外の者たちを変異種どもの餌にするつもりか」
「惨いと言われればそれまでです。しかしそれこそが『最悪の事態に備える』、ということではないですか?」
ルーゼンの言葉は、誰一人として言葉を発することのなくなった会議の間にいんいんと響き渡っていった。