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第32話「静寂の王宮」

 グレースがシンとミュラーに向かって首を振った。

「だめ、見失ったわ。逃げ足の速い人たちね」


「いやいや、最初から追いかけるつもりなんてないよ」

 ミュラーはため息をつくようにして笑い、そのままどすんと腰を下ろした。

「正直もう、限界だったしね」


「だ、大丈夫?」

 シンが慌てて声をかける。

 背中を打ちつけたときの痛みに顔をしかめながら、ミュラーの傍へ歩いていく。


 久しぶりに感じた痛みだった。グルをほとんど枯渇させてしまったせいで、エーテルを纏うこともできなかった。

 自分の身に起きた出来事に、いまさらながらぞっとする。そして、あらためて思い知らされた。


 エルダストリー(この世界)が決して安全ではないということを。


「実は、最初の攻撃を防いだときにかなり無理をしてたんだ。その後はまあ、ほとんど虚勢(はったり)みたいなものだよ」

 ミュラーは後ろに手をつきながらあははと笑った。


「さっきのが、はったりって……」


「なーんだ、強がって損しちゃった」

 グレースも呆れたような表情を浮かべながら、うしろの壁に背中を預けた。

「私も、ちょっと休憩させてもらうわよ」


「そんな、グーレスもなんて――」シンは目を丸くさせながら二人を交互に見つめる。「全然、圧倒してるみたいに見えたのに」


「案外、危なかったのよね。シンを突き飛ばせたのもほとんど感みたいなものだったし。我ながらよくやったわ、後でイーリスに褒めてもらわなくちゃ」

 グレースは満足げに笑ったが、どこか気だるげな様子だった。いつものはつらつさも、勝気な態度も今は影を潜めている。


「いやー僕らって演技派だよね」

「あら、私は演技なんてしてないわよ。これこそエーテライザーの神髄、『揺るぐことなき意志』ってやつよ」

「言葉の使い方間違ってるよ」


「二人のおかげで助かったんだから、すごいことに変わりはないよ」

 シンが言った。


「でしょう?」

 グレースは自慢げに鼻を鳴らした。

「コツはね、こいつは得体の知れないやつだって相手に思わせてしまうことよ。本当は組み伏せられないようにするだけで精一杯だったんだけど、ちょっとやせ我慢? みたいな感じで一気にエーテルを絞り出して、平然な顔と態度でもって相手を威圧する、これよ。実際あのベイルとか言う女、強気の私にびびって引き下がったじゃない? 傑作だったわ」


「まさにそれを虚勢(はったり)っていうんだよ」

 ミュラーが苦笑した。


「違うわよ、根底にあるのは私の強靭な意志なわけだし。影からこそこそ人の命を狙おうなんて相手に引くわけないでしょ、っていうね——ま、あのまま攻められたら危なかったけど」


「確かにね。どんな事情があるかは知らないけど、シン達がマールズって人のことを調べてようとしていたのも納得だよ――深く関わるのはお勧めしないけどね……ある意味、あの変異種たちなんかよりよほど危険な相手だった」

 言いながらミュラーは巨大な亀裂を前に右往左往している変異種の群れに視線を向けた。


 闇雲に亀裂の谷間へ落ちていくようなことはなくなったが、いまだ多くの変異種が亀裂の外側を右往左往しているのが見える。


マールズ(あいつ)、急いで王宮に戻ったほうがいいとかシンに言ってたじゃない? どういうことかしら」


「おれもさっきから気になってるんだ」シンはすぐさまうなずいた。「ラスティアのことを口にしていたし、もしかしたら何か危険なことが迫っているのかもしれない。二人には悪いけど、今すぐ戻ろうと思うんだ」


「体の方はどうだい? さっき口にしたハーグルムでだいぶ回復しているとは思うんだけど」


 胸の前でこぶしを握ったり開いたりしてみるが、まだ相当、脱力感のようなものが残っていた。

「たぶん、普通にしていたら大丈夫だとは思う。けど、エーテルを扱うとなると……」


「不安が残る、か。ちょっとまずいね。あの人の言ったことを信じるなら王宮でもひと悶着ありそうな気がするし」


「どうするの? とりあえずあそこで使い物にならなくなってる人たちにでも様子を見に行ってもらう?」

 グレースはうしろを振り向かないまま親指を向けた。突然指名された兵士たちが一瞬直立不動の姿勢になったあと、慌てて自分たちの持ち場へ戻ろうとする。

 

「仮に不測の事態が起きていたとしても彼らには対処できないと思う。シンが直接向かった方がいい」

 そう言ってミュラーはもう一つハーグルムの実をとりだし、シンへと放った。

 シンは咄嗟に両手を差し出すようにして受け取め、ミュラーの顔をまじまじと見つめる。


「最後の一つだよ、食べながら向かうといい。さすがに二つも口にしていれば普段通りの力くらいは出せるはずだ」

「ずぅーと聞きそびれちゃってたけど、本当にあなた何者なの? そんなものを携帯している人なんてアーゼムぐらいのものじゃない」

 グレースは眉間にシワを寄せながらミュラーを下から覗き込むようにした。


「まさか。さっきも言ったけど、僕はアーゼムなんかじゃないよ――とにかくシンは急いだ方がいい」


「うん」

 シンは力強く頷くと、そのまま深々と頭を下げた。

「二人とも、本当にありがとう。落ち着いたら、ゆっくり話そう」


「もちろんさ」

「ラスティア王女によろしくね」


 ミュラーとグレースがそう言うが否や、シンは外壁から身を投げ出し、あっという間に二人の前から姿を消した。


「……あれだけのことをやってのけたとはいえ、グルの消費が半端じゃないね」

 ミュラーが独り言のようにつぶやいた。

「ストレイっていうのはほんと、とんでもないな……」


「グルが枯渇しかけたときも、『やっぱり』みたいな顔で受け止めていたけど――普通じゃないわよ、あれは。下手すれば死ぬのよ?」

 グレースは力なく笑い返した。


「正直、身震いがした」

 ミュラーが真顔で言った。

「僕らは、そこまで自分を追い込めない。限界を超えないよう無意識のうちにエーテルの発現を制御しようとするからね。今だって少しやすめば回復できるし、ハーグルムなんて大層なものじゃなくても、何か口にしさえすればエーテルだって問題なく発現できる。けど、シンにはそんな様子がまったくなかった。下手をしたら意識さえ失いかねなかった」


「軟弱な意志とか、あの人たちもいったい何を勘違いしたんだか」

 グレースがため息をつく。


「同感だね。シンは……あのストレイは、自分の身体のことなんてまるで考えちゃいなかった。ただ、目の前の目的を果たそうとしていた。それも、自分以外の誰かのために。いとも簡単に、自らの命を投げ出すように」


「『どれほどの絶望を背負ってここへやってきたのか』、ね……」

 グレースが暗闇の空を見上げながら口にした。

「マールズの言った言葉よ、覚えてる?」


「もちろん」

「全然意味がわからないし、シン自身も理解しているようには見えなかったけど……どうしてかな。私はそのとき、とても悲しいような……胸を締め付けられるような気持ちになったのよ」


「グレース、君は本当に僕と気が合う」

 ミュラーがグレースに微笑むようにしながら言った。

「僕も、同じようなことを思ったんだ……あれほどの相手に『絶望』とまで言わしめるものとは、いったい何なんだろうね。僕なんかには想像もできないよ」


「シンは——ストレイは、いったいどこから、何の目的をもって私たちの世界にやってきたのかしらね。次会ったときにでも話してくれるといいな」



 §§§§§



 王宮へと続く大通りは、逃げ惑う人々とそれを留めようとする人々で埋め尽くされていた。特に王宮前にあるプトレマイオス大広場は、多くの避難者でごった返したような有様だった。


 それらの光景を高い建造物の上から見下ろしていたシンは、固く閉ざされた王宮の門に、得体の知れない不安を掻き立てられていた。


 今の状況を考えれば、取り乱した人々が王宮にまで押し寄せてこないようにするのは当然の対応ともいえたが、それだけではないような気がしたのだ。

 よく見ると、物々しい様子で警備する兵士たちの動きや表情がひどく強張り、その視線や意識は外にある広場ではなく、王宮のある内へと向いていることに気づく。


(やっぱり王宮で何かあったのかもしれない)


 立ち止まっていたのもつかの間、屋根伝いに飛び回りながら一気に王宮を目指す。


 テラにそそのかされる形でラスティアのもとへ忍び込もうとした経験がこんなときに役立つとは思ってもいなかった。しかし今は、そのときとはまるで状況が違っていた。


 見張りの兵が、ほとんど見当たらないのだ。煌々と灯された松明が水面に反射し、ただでさえ煌びやかな王宮を宝石めいて見せていたのはいつもと変わらなかったが、エーテルを集約させた瞳で周囲を見渡しても、所在なさげにうろつく兵士が数人目につくだけだった。


 変異種の襲撃に備え、多くの兵が王宮外や外壁に集まっているということもあるのだろうが、王宮の警備をこれほど手薄にすることなどありえるだろうか。

 普段であれば、王宮の奥深くに入り込まれないよう、何人もの兵士たちが巡回、監視しているはずだった。王宮前の大広場に大勢の民衆が集まっている今のような状況なら、なおさら警備を強化するはずなのに。


 感知の網を広げてみると、大勢の気配が王宮のある一箇所に集まっていることがわかった。


(どうして、あんなところに人が集まってるんだ……?)


 どこか息を殺すように静まり返った王宮が、その異常さを際立たせ、否が応にもシンの緊張と不安とを掻き立てていた。


(――おまえの中でラスティア王女という存在が大きなものであるならば、急ぎ王宮へ戻るのだな)


 マールズの言葉が頭をよぎり、ぶんぶんと頭を振る。


 不吉なことしか起こらないような気がして仕方がなかった。繰り返し襲ってくる悪い予感を振り払うかのように、シンは人の気配の失われた王宮を一気に駆けていった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ここまで一気に読んでしまいました とてもとても好みです。更新、応援してますー!
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