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第29話「瞬時の交差」

 永遠に続くのではないかと思われた揺れが、ようやく収まったとき。

 オルタナ東外壁の前には、巨大な亀裂が生じていた。


 群れの先頭にいた変異種たちは、突如として現れた底さえ見えない崖下へと姿を消していた。その場に留まれた変異種も多かったが、後方から押し寄せて来る同族たちに押しつぶされ、あるいは前方の崖へと押し出され、谷底へ突き落とされるように次々と死に絶えていった。


 いったい何が起きたのか。


 今頃は変異種たちの牙にかかり、腹の中にいたかもしれない人々は、突然沸き起こった事態と奇蹟に歓声をあげるどころか、地にうずくまったま身動きひとつできなかった。


 彼らの目には、目前に迫っていたはずの変異種の大群が地面ごと消え失せたようにしか見えなかった。

 到底立っていられぬほどの揺れの中で。


 その光景をなんとか意識を失わないまま見届けたシンだったが、先ほどの地震とは関係ない手足の震えと動悸に襲われ、がくりと膝をついた。


「シン!」

「大丈夫かい」

 グレースとミュラーが両脇からシンを支える。


「きっと、グルが枯渇して……」

 喉の奥からなんとか声を絞りだす。


 これまでのように意識を失わないだけましだった。


 もしかすると、何度もセレマを扱うことで体が慣れてきているのかもしれない。ふとそんなことを考えたが、ほとんど限界のような状態であることに違いはなかった。


「だろうね、凄まじいエーテルの奔流だったよ――さあ、これを食べて」

 ミュラーは革袋の中から黒い胡桃のようなものを取り出し、シンへ差し出した。

 

「これはなに」

「ハーグルムの実だよ、失われたグルを一気に補充できる。このまま意識を失うようなことにはならないはずだ」


 シンは少し躊躇ったが、ミュラーの穏やかな笑みに促され、おずおずと口に含んだ。

 見た目的には固い木の実のようにしか見えないのに、口に含むとドロリと溶けだし、舌の上で甘さが広がる。美味い、ということはなく、ただただ甘いだけのチョコレートの塊のようだった。


 そういえば物語エルダストリーの中でも、ウォルトや他のエーテライザーたちがこのような実を口にしている描写があったなと思い出す。


 甘さを感じられただけでも体が落ち着き、ほっとしたように思えた。

「……ありがとう、少し、楽になった気がする」


「……あなた、本当に本物だったのね」

 目の前に広がる光景を見つめながらグレースが言った。

「地面を揺るがして大地を陥没させてしまうだなんて――しかも群れの先頭に沿って、あんな……」


「上手くいってよかった。さすがにこんなことは実際に経験したわけじゃなかったから。おれが起こした地震で人が死んだり建物が倒壊したりしたらどうしようって、すごく不安だったんだ」


「ジ、シン?」グレースが驚いたようにシンを見つめる。「それは――あなたの名前に由来する、とてつもないわざだったりするってこと?」


 大真面目に言われ、シンは目を瞬かせた。「はあ?」


「大地を揺るがし、地を割る『ジ、シン』か……確かにとてつもないな。ストレイその人の名を冠する業なだけのことはあるよ」


「……ふたりとも、本気で言ってるの?」

 出会って間もない二人ではあったが、その言動が少しズレていたり、突飛なものであることは十分感じていた。しかし今のやりとりはさすがに冗談のようにしか聞こえなかった。


(もしかしてエルダストリーには、地震がないのか……?)


「もちろん本気だよ。僕たち以外の誰が見たって同じことを言うに決まってる――見てごらんよ」

 ミュラーが指さした方向に目を向けると、待機していたアインズ兵たちの全員が、心底怯えたような表情のまま立ち尽くしていたのだった。


 むしろシンは、これほど多くの兵が外壁に詰めていたことに驚いた。そんなことにも気づけないくらい、余裕がなかった。

 よくもまあ上手くいったものだと思わずにはいられなかったが、自分ひとりだけでここへ来ていたとしたら、逃げ出すどころかそもそも間に合ってさえいなかったかもしれない。


「……と、とにかく二人とも、本当にありがとう」

 なんとか、上手くやることができた。そんな安堵の気持ちで一杯だった。何より、少しでもラスティアの助けになれたことが嬉しかった。


「私たち、何もしてないし」グレースが笑いながら口をとがらせる。「そんなことよりあの亀裂、あとでちゃんと直せるんでしょうね」


「あ、それは、まあ。たぶん……」

 また、元通りの状態をイメージして、発現させればいい――はずだが、いまだ自分の扱う力に確信がもてないせいで、どうしても歯切れが悪くなる。


 こうしてあらためて眺めてみても、信じられないのだ。

 すべて自分が引き起こしたものであるということが。


「シンが動けるようになったらなるべく早く今の状況をラスティア王女に伝えに行った方がいい。幸い窮地は脱したけど、またどこから湧いてくるかわかったもんじゃないからね。あれほど多くの変異種が突然現れたこと自体異常なのに、一斉にここを目指してくるなんて……どう考えてもおかしい」


「同感。こんなことは聞いたことがないわ」


 両側から支えてくれている二人にうなずきながら、シンも考えていた。


(今回のこの騒動、ラスティアたちの周りで起きていることと何か関係があるのか)


「ま、とりあえず今は目の前のことを片付けてしまおうか――おーい、今が絶好の機会だぞー、門を開けろー!」


 はっとするかのように我に返った兵士たちは、互いに顔を見合わせ、ひどく困惑気な表情を浮かべた。

「いや、そう言われても、王宮からの命令では――」


「馬鹿なことをいうな!」

 違う兵の一人が叫ぶ。

「またいつどこに変異種どもが湧いて出てくるのかわからんのだぞ、こんな目に遭うのは二度とごめんだ!」


「そうだ、今なら門を開けてしまっても危険はないはずだろう!」

 躊躇う者たちに反論する声が続々と上がってくる。


「いや待ってくれ! 先ほどだって時間は十分あったはずではないか、それなのに門を閉めよとの命が下ったのは何らかの意図があったはず――」

「意図もくそもあるか! 下のやつらが変異種に食い殺されるのを目の前で見せつけられるところだったんだぞ!」

「待て、待てと言うのに! 門を開けるとしても、いったい誰が責任を取ると――」


「はいはーい、ここにいるラスティア王女のパレスガードが責任を取りまーす!」

「は?」

 ミュラーの顔をまじまじと見つめる。しかしミュラーはまるで気にする様子もなく、すっかり力の抜けてしまったシンの片手を持ち上げながらぶんぶんと振り回していた。


 今までの騒ぎが潮を引くように収まり、辺りはにわかにしんとしだした。やがてさざ波のような囁き声が広まり、兵たちの目は一斉に三人へと――シンへと注がれたのだった。

 

「彼が、あの――」

「今の奇跡は、やはりあの者が」

「なんということだ……」

「……ストレイ、本当に自在したのか」


「ああもう、とにかく!」

 グレースがうるさいと言わんばかり大声をあげた。

「早く門を開けなさいよ! これはパレスガードひいてはラスティア王女の言葉でもあります!」


「ちょっ、そんなこと言ったらラスティアの立場が――」

「あら、彼女なら私とまったく同じことを言ったと思うけど?」

 悪気もなくそう言われ、押し黙ってしまう。


 まったくそのとおりだと思ったからだ。

 

「お、おぉ……ラスティア王女が、そう命じてくださると!」

「開門だ、門を開けい!」


 本当は誰一人として自国の民を見殺しになどしたくなかったのだろう。その場にいた兵士たちはせきを切ったように動き出し、猛烈な勢いで巻き上げ機を操作し始めた。


 重々しい音とともに門が開き出すと、外壁の外に密集していた人々は大粒の涙を零しながら歓声を上げ、「走るな、落ち着け!」、「一気に押し寄せると死人が出るぞ!」といった兵たちの指示に従い、ようやく王都の中へと避難することができたのだった。


「任務完了ってところね」

「まあね、僕たちは実に手際がいい」

 得意げな二人を何度も見つめているうちに、シンの口からもようやく笑みがこぼれた――その瞬間。

 

 突然視界にアインズ兵の一人が入り込み、その腕がシンの喉元へと突き出されたのだった。


 グルが枯渇する寸前にまで陥っていたシンは、まったく反応することができなかった。


 凄まじいまでの圧とエーテルだった。気づいたときには首ごとへし折られたかとさえ思った。


 だが、そうはならなかった。


 シンを庇うように突き出されたもうひとつの腕が、相手の手首を鷲掴みにし、その動きを完全に止めていた。


「ずいぶん危ないことをする」

 ミュラはーいつもの涼し気な顔を曇らせながら言った。


「……まさか、これほどの手練れが傍にいるとは思わなんだ」

 アインズ兵は、その双眸を金色に輝かせながら怪しく笑った。

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