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第1話 シャッター街の高級車

何を隠そう、恥ずかしながら本作は「第8回日経星新一賞」応募作品でしたが、トホホな結果でしたので、再構成しての公開です。

全4話を毎日23時に公開します。

加治かじ様、加治ヨシオ様、準備が整いましたのでご案内します」


 所在無げにロビーで待つヨシオの前に黒いパンツスーツを凛々しく着こなす女性が革張りのファイルを携えてやって来た。緊張のあまり目の前で小さくなっている男のことなど気にも掛けんと彼女は手慣れた様子で奥へと続く廊下に彼を案内する。


 壁も床も、それにえらく高い天井も全てが大理石張りの空間、無機質で飾り気など少しもないが初めて訪れる者には十分な威圧感を与えるであろうその廊下を女性は軽い靴音を響かせて歩いていく。安物のビジネススーツにすっかり底がすり減った革靴でその後をついていく自分の姿を思い浮かべると、ヨシオは歩が進むほど更に気持ちが委縮していくのだった。



――*――



 量子図書館。

 まるでSF映画のタイトルのごとき名を持つこの施設を彼が知ったのはスマートフォンに届いた一通のメールからだった。いつもならば勧誘の類だろうと一瞥して削除してしまうのだが、そのときに限って彼はそのタイトルに何かかれるものを感じたのだった。


「量子図書館へようこそ」


 あのときのヨシオは全てに疲れ切っていた。冷静に判断することなくそのメールを開いたのも心がすっかり消耗していたからだろう、とにかくそこに書かれていた内容には報われることのないこんな毎日から自分を救い出してくれそうな希望が感じられたのだった。



 健康だけが取り柄だった母親が死んだ。

 あれだけ病院嫌いだったのに自分から検診を受けようと言い出したのは彼女なりに予感めいた何かを感じてのことだったのだろう、そんな矢先のことだった。

 盛況だった父親が営む青果店はその日を境にぽつりぽつりと休業が増え、やがてそのシャッターは閉ざされたままとなった。それからはまさに弱り目に祟り目、酒で気を紛らすばかりの父親が不慮の事故に遭い、その後遺症にさいなまれながら寝たきりの状態となってしまうまでにはそれほど長い時間はかからなかった。


 私生活がそれでは仕事に集中できるわけがない。上司の勧めでヨシオは長期の介護休暇を申請するとともに独り暮らしのマンションも引き払って実家に戻る。

 IT技術者だった彼の生活は一変した。

 インテリジェントオフィスでプロジェクトマネージメントをこなす日々から、今では古ぼけた実家で介護と家事に追われる毎日となった。

 そこに届いたのがあのメールだった。

 数ある条件から選ばれた貴方に、今ならばモニター期間中の特別価格、絶妙なタイミングで送られてきたその内容にまるでマルチ商法のような怪しさを感じはしたものの、それを上回る魅力を感じたヨシオはすぐさまそのメールに返信したのだった。

 これでこの閉塞した日々から解放される、そんな希望を抱きながら。



 間もなく一通の封書がヨシオの下に届く。そこに送り主の記載はなかったが、今どき珍しい蝋で封印された郵便物だったので一目であの施設からのものだと判った。そこに指示された書類を揃えて書留郵便で返送すれば仮契約の完了である。

 それからは父親の病状確認などのやり取りがあって、ついには検査入院と称して数人の白衣を着た男たちがストレッチャーと共にヨシオの父親を迎えに来たのがつい先日のことだった。


 やがて彼のスマートフォンに正式契約の準備が整った旨のメールが届く。それもわざわざ迎えの車を寄こしてくれるというのだ。

 そして約束の日、やって来たのは超が付くほどの高級リムジン、それも最新型ではなくクロムメッキが煌びやかなクラシックカーだった。

 シャッター街になりつつあるこの商店街にまるで似つかわしくない大げさな演出に気恥しさを感じながらも、一生に一度経験できるかどうかの出迎えにヨシオの気持ちは高揚した。


 しかしそんな浮かれた気持ちは後部座席のドアが閉じられるまでだった。

 運転席とは完全に仕切られたその空間は右も左も後方も全ての窓が真っ黒で外の景色がまるで見えないのだ。どんなに色の濃いサングラスでも多少なりとも光は見えるはずだ。しかしその車窓はまったく光を通さないのである。

 なるほどこれではどこを走ってどこに向かうのか、こちらからは何も知ることができない。


 量子図書館、その施設には所在すらも知られたくない何かがあるのだろう。

 しかしそれでも自分を救い出してくれるのはここしかないのだ、彼はそう覚悟を決めて革張りのシートに身を委ねた。



 やがて高級ホテルの応接間にも似たこの空間のどこかにあるスピーカーから落ち着いた男性の声が聞こえてきた。


「それでは加治様、出発します。正面に映し出されます映像で当施設のご紹介をさせて頂きます。お手元のキャビネットには冷たいお飲み物をご用意しておりますので到着までおくつろぎになってご覧ください」


 遠くに聞こえる微かなアイドリング音とともに車はゆったりと走り出す。

 ヨシオはキャビネットを飾るマホガニー製の小さな扉に恐る恐る手を伸ばすと程よく冷えたミネラルウォーターの小瓶を手に取る。


 あっという間に結露で曇るそれを瓶のまま半分ほど飲むと、再びシートに身を任せて運転席とを仕切るガラス面に映る映像をぼんやりと見つめるのだった。



――*――



 その天井の高さに遠近感を狂わされそうになりながらヨシオは女性の後ろをついて歩く。やがて廊下の突き当り、これもまたえらく高さのある木製の重厚な扉の前にたどり着いた。


「こちらで館長がお待ちです」


 そう言って女性は磨き抜かれて目映まばゆい光を放つ真鍮しんちゅう製の取っ手を掴んで中に向かって開くと、「どうぞ」と言ってヨシオを招き入れた。


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