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密偵:不運

 

 俺は王都の貧民街の生まれだ。

 物心ついた頃には、ろくでもない生き方しかできないんだろうなと思った覚えがある。

 要するに俺は何かの奇跡か、少々頭が良かったようだ。


 それで得するなんてことはなかった。

 親が俺の能力(物覚えがよかった)に気付き、くそ野郎に売られたからだ。

 そこから毎日、徹底的に殴られ服従させられるように躾られつつも、俺は屈しなかった。

 もちろん、それは心の中だけだ。


 幼心に、服従したふりをしなければ生き延びられないとわかっていた。

 そして、そのくそ野郎からは、スリの仕方からケンカの仕方、ナイフの扱い方などを学んだ。

 小さい頃は物乞いのふりをしながらのスリ。

 少し大きくなれば、小間使いの真似事をしつつ、隙があれば何かを盗む。

 それらはすべてくそ野郎に取り上げられた。


 十六、七になった頃には、貴族の屋敷に潜り込む機会も多くなり、ついでに字も読めるようになっていた。

 その頃にはくそ野郎にすべてを渡さなくてもすむ方法も覚え、そろそろ出ていこうかと思っていたとき。


 とあるパーティーで給仕のふりをして会場内を物色していたところ、ある男に腕を摑まれてしまった。

 何かを掠め取ろうとしていたわけではない。

 参加者たちがある程度盛り上がりはじめ、貴族どもの使用人も気を抜いてくつろいでいる時が部屋に忍び込んで盗みを働く絶好の機会なのだ。

 要するに、そろそろ会場を抜け出そうとしていたときだった。


「い、いかがなされましたか? 何かお飲み物をお持ちいたしましょうか?」

「質問は一つで十分だろう? 口数が多くなるのは焦っていることを悟らせるぞ」


 ヤバい。非常にヤバい相手に見つかった。

 年は俺と同じくらいか、少し年上だろう男が誰なのかはすぐにわかった。

 貴族たちがよく噂しているやつ――ハルツハイム公爵だ。

 まだ若いが去年父親が急死したために、公爵位を継いだやつだった。


「何をおっしゃっているのか――」

「頼みたいことがあるから、ちょっと来てくれ」


 どうにか誤魔化そうとしたが、公爵は俺の言葉を無視して歩き始めた。

 すでに注目を浴びていたので、仕方なくついていく。

 ヤバいな。

 このままどうにか逃げ出さなければ、ヤバいことになる。


 そう思っているのに、なぜかついていってしまう。

 おそらく背を向けているにもかかわらず、隙がないからだ。

 こいつは若くして公爵になったというのに、後見人を必要とせず、神童と謳われたとおりにその手腕を発揮しているらしい。


 だからか……?

 逃げようとしない自分に問いかける。

 それとも俺は、公爵の言う「頼みたいこと」に興味を持っているのだろうか?


 好奇心は猫をも殺すと言うが、そのとおりだった。

 どうにか隙を見て逃げ出せばよかったんだ。

 なぜなら公爵は本当にヤバいやつだったからだ。

 あのくそ野郎なんて比べものにならない。


「ここふた月ほど、色々な会場でお前を見かけたよ」

「何のことだか……」


 会場を出て適当な部屋に入った途端、公爵は切り出した。

 それでもとりあえずすっとぼけておく。


「上手く潜り込んだなと感心していた」

「私は応援で派遣されておりまして――」

「この警備の厳しい王宮に潜り込んでいるのを見て、私はお前を雇うことにした」


 いや、聞けよ。俺の話を。

 しかも何、断言してんだ。


「いえ、私は――」

「色々としがらみがあるだろうが、それはこちらで対処するので心配は無用だ」


 だから俺の話を聞けー!

 との俺の心の叫びは無視して、公爵は俺に背を向けた。

 なのにやっぱり隙がない。


 どうやら公爵は酒を注いでいるらしい。俺の分まで。

 仕方ない。上等な酒なのは間違いないし、話だけは聞いてやろう。

 遠慮なくどすんとソファに座ったが、公爵は特に気を悪くした様子もなく俺の前に酒を置いて自分も腰を下ろした。

 貴族ってやつは、俺のような人間と同席することを嫌がるもんなのにな。


「――で、頼みたいことって?」

「ある人物を見守って、何かあれば逐一報告してほしい」

「政敵かなんかっすか?」

「いや、天使だ」


 あ、やっぱりヤバいやつだった。

 なぜ直感に従って無理にでも逃げなかったんだ、俺。

 いや、待てよ。

 これはひょっとして試されているのかもしれない。あと、酒が旨い。


「……その、天使ということは、閣下は神を信仰しているんすね?」

「いや、まったく」


 してないのかよ!

 じゃあ、その天使とやらはどっから降ってきた!?


「天使の名はシャルロット・エクフイユ。隣国キツノッカ王国の伯爵令嬢だ。ヘイク・プレストという伯爵家の馬鹿息子と婚約しているが、その馬鹿も含めた危険から彼女を守ってほしい。そして報告してくれ」

「えっと……何のために?」

「愛する人を守るのは当然だろう?」


 うわ。マジでヤバい。

 これ、本気で言ってるよ。公爵が優秀だとか聡明だとか誰が言い出したんだ?

 貴族は性格だけでなく頭も腐ってんのか?


「婚約者がいるのに……?」

「問題ない。直に解消する」


 あ、これ。解消させるつもりだ。

 ひょっとしなくても、俺もそれに強制参加かな?

 まさかの婚約者暗殺なんかないよな?

 今のところ、人殺しは二回しかしたことないんだけど。


「ちなみに、その……天使は何歳なんすか?」


 守るっていっても、年齢によって内容が変わってくる。

 ヤバそうだったら、ひとまず引き受けてトンズラしよう。

 たぶん国外脱出すればどうにかなるだろう。


「彼女は七歳だ」


 巡視兵(おまわりさん)、こっちです! ここに変態がいます!

 ヤバいの方向が違った。

 すぐに逃げ出さなければ、俺がヤバい。


「ちなみに、話を聞いた時点でもう逃げられないからな?」

「……はい」


 これは地の果てまで行っても逃げられない。

 そう感じさせる何かが公爵にはあった。

 結局、引き受けることになってしまったんだが、まさか公爵が俺より年下だったとは。

 貫禄ありすぎ……。


「――おい、何をぼけっとしている?」

「すみません。ちょっと昔を懐かしんでました」

「そんな暇があるなら、さっさと彼女の許へ戻れ。天使な彼女に近づこうとする不届きな輩は多いだろう。絶対に守れ」

「ならこうして、呼び出さないでほしいですね」

「彼女のことは直接聞きたい」

「そうですか」


 あの人生の選択を誤った日から十二年弱。

 今日も今日とて、こうして公爵にこき使われている。

 まあ、公爵の天使(というには破天荒すぎるが)を監視……じゃなかった、見守るのは楽しかったからいいんだけどな。


 ただ報告のたびに、公爵がこうして大真面目に天使を称えているのを聞くのがつらい。

 笑ってはいけない耐久勝負か何かと思う。

 これで世間では冷徹相って呼ばれてるんだから恐ろしい。

 いや、マジで。


 実際、冷徹なんだよ。

 あのとき、俺のしがらみを対処するとは言ってたけど、本気でやりやがったからな。

 王都の貧民街に巣くってた犯罪者を一掃し、繋がっていたらしい貴族たちにも容赦なかった。

 それから弱者には救済措置を施し、街の様子を一変させた。

 犯罪に手を染め始めていた子どもたちは、更正施設に入れられ、今は真っ当に生きているらしい。

 それでも、どうしようもないやつはどうしようもないがな。

 これは世の理だ。


「では、閣下の滞在用の屋敷も用意しましたし、なるべく早く来てくださいよ。またナントカって子持ちの子爵が近づいているようなんで。手は打ってますけど、これ以上は彼女が気の毒ですから」

「もちろんだ。あと一つだけ片付けたら、いよいよ彼女に求愛を始める」

「まあ、頑張ってください。たぶん難しいですよ」

「当然だ」


 俺の言う「難しい」と、公爵の思う「難しい」は違うと思うがあえて言わないでおく。

 公爵が八回も婚約の邪魔をしたせいで、彼女はすっかり自信をなくしているから難しいと思うんだよな。

 さて、では九回目の邪魔をするために、彼女の許へ戻るか。


 マジでヤバい変態の公爵に惚れられてしまったのが、彼女の運の尽きだ。

 それでも彼女なら、どうにかあの変態の相手もできるかもな。

 というか、してくれ。

 そうすればきっと俺は解放されるはずだ。



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