レオン:宿
スマイズは間違いを犯した。
私とシャルロットが二人きりでいるというのにノックもなしに部屋に入ってくるなど。
本来ならクビにするべき失態だが、許してやろう。
なぜなら宿屋の手配を間違えたからだ。
続き扉で繋がった夫婦別室のある上級宿ではなく、まさか一部屋の――しかもベッドまで一台しかない部屋を手配するなど。
由々しき事態だった。
だが使用人に責任を押し付けるわけにはいかない。
部下の失敗は上司の責任なのだ。
ここはもう一部屋取るべきかと考えたが、すぐに打ち消した。
なぜならシャルロットは私の妻なのだ。
うん。何の問題もない。全くない。
とはいえ、夫としての権利を無理に行使するつもりはない。
やはりシャルロットに嫌われては元も子もないからな。
そのため、私は長椅子で休むと提案すれば、シャルロットは同じベッドでかまわないと言ってくれたのだ。
天使かな。
紳士らしく振る舞ったのが功を奏したのだろう。
私は二、三日くらいなら短い睡眠で十分活動できるので、長椅子に座ってシャルロットの寝顔を眺めて夜を過ごすつもりだった。
暗闇の中でその姿が不気味だろうことは理解している。
だから夜中にシャルロット目覚めたとき用の言い訳も一瞬の間に幾通りも用意した。
それがまさか、同じベッドに入ってもかまわないと言ってくれるとは。
やはり天使かな。
こうして間近でシャルロットの寝顔を拝めることになるなんて、己の日頃の善行の見返りだろう。
もちろん神は信じない。
今、彼女はどんな夢を見ているのだろうか。
寝ているときまで微笑んでいられるなんて、間違いなく天使だな。
それなのに昼間はずっと彼女の眉間にしわが寄っていた。
車内に満ちた沈黙のせいなのはわかっている。
シャルロットやエクフイユ伯爵家の方たちが領民と親しく接していることは報告から知っていた。
だが今までシャルロット以外の人間に興味を持ったことなどなく、どう答えればいいのかわからなかったのだ。
はっきり言えば、シャルロットをこのまま私の腕の中に閉じ込めてしまいたい。
領民どころか、屋敷に仕える者もスマイズもシャルロットの侍女でさえ傍に寄せつけたくない。
全て私の手で世話をしたいという欲求は再会してから募るばかりだ。
自分でもどうしてここまでシャルロットに執着するのかわからない。
シャルロットに関しては『わからない』ことが多すぎる。
いつか、すべての答えを理解することができるのだろうか。
もしかして、そのときにはシャルロットに対するこの感情――恋心というものも消えてしまうのだろうか。
それを残念に思う自分のことさえもわからない。
「――もう、もう……」
「シャルロット?」
一瞬起こしてしまったのかと思い焦ったが、どうやら寝言らしい。
ただ微笑みを浮かべていたはずのシャルロットの眉間にしわが寄っている。
やはり私が隣にいることに寝苦しさを感じているのだろうか。
そう考えつつも、何か言いたげに口を開いたシャルロットにそっと近づき耳を澄ます。
「これ以上……食べられません……」
声を出して笑わなかった自分を褒めたい。
そもそも自分を褒めたいと思ったことも初めてだ。
だがこれは笑わずにはいられないだろう。
夫とはいえ、シャルロットの言う『よく知りもしない』男と一つのベッドで一晩過ごさないといけないというのに。
先にベッドに入ったシャルロットは、私が寝室に入ったときにはすでに眠っていた。
昼間は警戒心を隠しきれなかったというのに、私が長椅子で寝ると提案すると、あっという間に気を許してくれたようだ。
あまりに危機感が低すぎるが、それがまたシャルロットの魅力の一つだろう。
そんなシャルロットと違って私は……。
やはり長椅子で少しだけ眠ろう。
そう決意して、そっとベッドから抜け出す。
(もうすぐ枕元のランプが消えるな……)
そうなればシャルロットの寝顔は見えなくなってしまうが、スマイズに交換させれば起こしてしまうだろう。
それは申し訳ないので、燃料切れで消えるに任せればいいか。
それから少し眠ればいい。
だがシャルロットに気を使わせないように、彼女が目覚める前にこの部屋を出よう。
小さく柔らかな光が照らすシャルロットの寝顔をじっくり見つめた。
感情を殺し、冷静にシャルロットの顔の造形を観察すれば、可愛らしくはあるが誰もが惹きつけられるほどの美しさがあるわけではないとわかる。
それなのに、己の感情を解放すれば、シャルロットが可愛くて仕方がない。
やはりこの感情は――恋とは不可解だな。
しかも感情そのものが不確かなものであり、恋も愛もやがて冷めるらしい。
この十二年、変わることのなかったシャルロットへの恋心は、今までで最高潮に達している。
ということは、これからは冷めていく一方なのだろうか。
ふむ。それもまた実に興味深いな。
ただ一つ確かなことがある。
たとえこの先、シャルロットへの恋心が冷めたとしても、他の女性にこのような感情を抱くことはない。
よって、シャルロットと結婚したことは間違いないのだ。
さて、残念ながら明かりが消えてしまったので、少しだけ眠るとしよう。