シャルロット:旅
「昨日も伝えたように、王都よりも先に我が領地――ハルツハイム領でしばらく滞在する予定だが、それでかまわないかな?」
「はい、もちろんです。ただ、陛下へのご挨拶が遅くなってもよろしいのですか?」
「陛下には手紙でお知らせしてあるので心配はいらないよ。せっかくだからゆっくりすればよいとのお言葉もいただいているんだ」
「そうでしたか」
まだレオンのことをよく知らない状態で国王陛下に謁見するのは気が引けるから、私としては大歓迎よね。
そもそも子爵夫人になるつもりだったのに、まさか隣国の公爵夫人になるなんて。
自分でもバカだと思うわ。
だからあまり好きではない都会よりも、公爵家を支えてくれる領民たちに会えるほうが嬉しいけど……。
「領地の皆さんは私をレオンの妻として認めてくださるでしょうか? もちろん、認めていただけるよう努力はしますが……」
「心配しなくとも、あなたなら皆が喜ぶだろう。だが彼らが認めようが認めまいがそんなものは関係ない。あなたは好きにすればいいのだから」
レオンの言葉は優しいけど、領民に対してはどこか突き放しているみたい。
気のせいかしら?
それとも、よくいる上流階級の人たちと一緒で、領民のことなんてどうでもいいとか?
そりゃ、私の家族が特殊なのはわかっているわ。
領民のことを大切に思って、親しく付き合っていることをバカにする人が社交界では多かったもの。
レオンは領民のことをどう思っているのかしら……。
「あの、私はできれば公爵領の人たちとも交流を持ちたいと思っております。彼らが不自由な暮らしをしていないか、何を望んでいるかなど知りたいのです」
「あなたの好きにすればいいと言っただろう?」
「すみません」
「いや、謝罪の必要はないよ。ただ、私は領民と……いや、他人と必要以上に接することが今までなかった。だから上手く答えることができなかったんだ。すまない」
「そ、そんな! レオンこそ謝罪なさる必要はありません! 私が先走りすぎた……のです」
「……そうか」
突き放されたと思ったけれど、まさかレオンが謝ってくれるなんて。
予想外の反応にびっくりして、ついレオンの手を握ってしまったわ。
慌てて手を離したけれど、はしたなかったかしら?
夫婦ならこれくらい大丈夫?
わからなくて恥ずかしくて、レオンがどこかぎこちなく答えてくれたきり、車内には沈黙が落ちてしまった。
だから今夜泊まる上級宿に到着したときはほっとしたけど、次なる試練が待っていたのよ。
公爵夫妻として用意された最上級の部屋には大きなベッドが一つしかない。
もちろんすぐ隣に控えの使用人用のベッドはあるけれど、それを使うわけにはいかないわよね。
昨日は家族が一緒だったから、レオンが初夜に関してはもう少し先にしようと言ってくれたけれど……。
もう少し先っていつ?
まさかの今夜?
いえ、でも、そんな……。
「あの、寝室はここだけなのでしょうか……?」
「申し訳ないが、しばらくは我慢してくれるだろうか? 私ならそこの長椅子で寝るから心配はいらない」
「いいえ! そんなことはさせられません!」
「だけど私と同じベッドでは心も体も休まらないだろう。部屋を別にするわけにはいかないのは私の問題なのだから、あなたにはできる限り不自由をさせたくないんだ」
部屋を別にできないのは体面の問題ってことよね?
それなら私の問題でもあるわ。
せっかく夫婦となったのに、レオンの優しさに距離を感じてしまう。
「レオン、あなたの問題は私の問題でもあります。ですから一緒に解決したいのです。そしてその解決方法はこのベッドで一緒に寝るということです」
「しかし……」
「ご心配なさらなくても、襲ったりしませんから」
ためらうレオンの手を握って悪戯っぽく微笑んだら、レオンは一瞬ぽかんとし、すぐに声を出して笑った。
「――閣下! いかがなされましたか!? ……あ、いえ、失礼いたしました!」
従僕のスマイズが部屋に飛び込んできたけれど、手を握り合う私たちを見て慌てたみたい。
勢いよく頭を下げ謝罪してる。
「スマイズ、これからは気をつけてくれ」
「かしこまりました。奥様も、お邪魔してしまい申し訳ございませんでした」
「いえ、いいのよ」
どうやらスマイズはレオンの笑い声に何事かと思ったのね。
要するに笑い声とは思わなかったってこと?
確かに、先ほどまでレオンは笑顔だったのに、スマイズが入ってきてから不機嫌顔になってるわ。
夫婦の時間を邪魔されたから?
まさかね。
ひとまず恐縮するスマイズに、私は笑顔を浮かべて気にしていないことを伝えた。
うーん。
それにしても身の回りの世話をしてくれるスマイズに対しても、いつもこのような態度なら冷徹相の噂もわからないでもないわね。
そういえば今日まではスマイズだけでなく、他の使用人とレオンが接しているところを見たことがなかったわ。
でもレオンは礼儀にうるさい人なのかも。
だからノックの応答を待たなかったスマイズに怒ったのかしら。
私も気をつけないとダメね。それもすごく。
いつもお母様に怒られていたから、ちょっと不安。
「……私はまだレオンのことはよくわかりません。ですが、これからたくさん知って、ご不快な思いをさせないように頑張ります」
「シャルロットのすることで不快になることなんてないよ。だけど、私を知ろうとしてくれるのは嬉しいな」
まずはレオンを知ることからだと思ったけれど、こんな甘い言葉が返ってくるなんて予想外だったわ。
本当にレオンの言葉は本心なの?
それとも冗談? やっぱり罠?
とにかくこのレオンの優しい微笑みに惑わされないように、ちゃんと見極めないといけないわね。