レオン:夢
今のは夢か?
待ってくれ。脳の処理が追いつかない。
その間にシャルロットは部屋へと入ってしまった。
で、今のは夢か?
うん。夢でもいい。反すうしよう。
シャルロットを部屋の前まで送って「おやすみ」を言う前に、つい訊いてしまったのだ。
これからすぐに寝るのか、それとももう少し起きているつもりなのか、と。
決してストーカーではない。
なぜなら、正面からちゃんと質問したからな。
だが正直に言えば、部屋に誘ってくれたらという下心はあった。
そもそも毎晩、部屋の前まで送っていくのはそれが目的だ。
あいつには笑われるが、悪いか?
いや、悪くはない。
なぜなら私はシャルロットの夫だからだ。
残念ながら、今まで誘われたことはないが。
しかも今夜はあの悪魔の書を読むと言うではないか!
正確には本を読むと言っただけではある。
しかしどう考えても、あの悪魔の書以外には考えられない。
そのため、全世界からあれらを燃やしてしまうかと脳裏に浮かんだそのときだ!
シャルロットが私の首に腕を回し、何事かと驚き判断が遅れたその一瞬。
唇が……シャルロットの唇が私の唇に触れたのだ!
それは間違いなくキス!
挨拶? おやすみのキス?
そんな生ぬるいものではない、正真正銘のキスだ!
あまりの出来事に思考停止してしまったことが悔やまれる。
そんなことが私に起こるなどあり得ないと思っていた。
さすがシャルロットだ。
もし今のキスが恋愛小説とやらの影響ならば、燃やすわけにはいかない。
焚書は避けるべき愚かな行為だからな。
今でも思い出せるぞ。
シャルロットの柔らかな唇の感触を。
私の記憶力を総動員して永遠に忘れないようにしよう。
ところで、発情期というのは何のことだ?
「――シャルロットはそんなに狩猟シーズンが楽しみなのだろうか?」
「ああ、確かに好きみたいっすけど、無用な殺生はしませんよ? ちゃんと食う分だけっす」
「シャルロットが優しいのはわかっている」
「それは言ってないっす」
「お前は持ち場を離れるな」
「この屋敷で何か起こるんすか? 今まで十年以上も未遂は起こってるようっすけど、達成できてませんよね? 最近はみんな公爵家での実行は避けるようになったって聞きましたけど」
「油断は禁物だぞ」
「だからこそ、この部屋にいるんすけど」
「私のベッドでくつろいでか?」
「早く奥様がくつろいでくれるといいっすね――っ!」
隠し持っていたナイフを投げたが、また避けられてしまった。
相変わらずちょこまかとよく動く。
枕から羽毛が飛び出しているので、あとでスマイズに交換させねば。
「まあ、とにかくシーズンまでには領地に戻れるんでしょ? 奥様の弓矢の腕はすげえっすから、楽しみにしてさっさと仕事を終わらせたらどうっすか?」
「言われるまでもない」
「あ、恨みはたたき売りするほど買ってるんすから、もういい加減に買取中止してくださいね。奥様に矛先が向かうと俺の仕事が増えるんで」
そんな神をも恐れぬ所業をするやつには、天罰が下るだろう。が、その前に私が地獄へ送ってやる。
さてと、壁を隔てた向こうにシャルロットがいる幸せを噛みしめながらもう少し仕事をするか。
アレッシ伯爵の娘にはシャルロットに絡んだことを後悔させてやりたいが、時間をかけて追い詰めることにしよう。
シャルロットはやり返したらしいが、むしろ褒美にしか思えない。
あの慈愛に満ちた優しい手で蛙を差し出されたんだぞ? ……蛙か。
蛙スープは領地に戻ってからだろうか。
ちゃんと覚悟――いや、楽しみにしておこう。
ああ、領地に引きこもりたい。
シャルロットと四六時中一緒に過ごしたい。
毒蛇もハチノコも蛙も採取を手伝いたい。
狩猟して捌いて、料理を教えてもらって、シャルロットを食べたい。いや、違う。シャルロットと食べたい。
正直に言おう。
この国のこと、不作だの横領だの謀反だのあれやこれや……。
あいつ流に言って、クソどうでもいい。
いっそのこと滅べばいいのだ。
しかし、それではシャルロットが悲しむ。
よって、私に残された選択肢はさっさと安定した国政をさせることだ。
そのために政務官の能力を向上させ、各省に仕様書を作成し、叛意を抱く者を排除してきた。
それでも問題は次々湧いてくる。
仕方ない。それが社会だ。
シャルロットと人生を歩む限り社会を切り捨てることはできない。
ならば適当に利用し、適当に付き合っていけばいいだろう。
まずは今ある問題を片付け、シャルロットとの時間を確保することだ。
それらが終わればまた領地に戻ろう。
ちょうど狩猟シーズンも始まる。
待てよ。ひょっとしてシャルロットは畜産にも興味があるのかもしれない。
今まで厩舎の馬以外の出産に立ち会ったりはしていないようだが、牛や羊も手掛けてみたいのだろうか。
それとも犬や猫のブリーダーだろうか。
どちらにしろ、発情シーズンに入る前には戻らなければならないな。
うん?
いや、とにかくシャルロットだけ先に領地へ戻りたいと思われては困る。
期限を設けて政務官たちに通達せねば。
それでも達成できなければ降格も覚悟のうえだろう。
これ以上は何人たりとも私とシャルロットの蜜月を邪魔させるものか。
犬や猫の子どもに囲まれたシャルロットは聖母に見えるに違いない。
そしていつか、私との子どもを抱く姿を目にすることができたなら、今以上の幸運を神に感謝する。
さて、ではシーズン突入を心の支えに、くだらない仕事を片付けるとしよう。