レオン:小説
「おい、どういうことだ? なぜシャルロットが新しい使用人を、しかも男を雇ってほしいなどと! 何があった!?」
先ほど夕食の席でシャルロットからされたお願い。
もちろん聞くさ! シャルロットの願いだからな!
とはいえ、なぜアレッシ伯爵家の使用人の男を雇わなければならないんだ?
まさかの一目惚れなんてことはないよな? はは。
「あー、時間がなくてまだ報告できてなかったんすけど、その使用人がたぶんアレッシ伯爵家をクビになるからじゃないすかね?」
「それでシャルロットが救いの手を差し伸べようとしてるのか? やはりシャルロットは天使で女神だな」
「今さらっすけど、天使とか女神とか声に出てますよ」
「それがどうした?」
「どうもしないっす」
事実を述べただけのことを、なぜこいつはわざわざ言うのだ?
世界の共通認識だろう?
だが、そんな簡単なことをわからない愚か者がまだいるらしい。
アレッシ伯爵家の茶会の報告を受けながら、どう対処すべきか考える。
立て続けに有爵家が取り潰しになれば さすがに面倒だろうな。
しかもシャルロットに不安を与えかねない。
じっくり事を運ぶとしよう。
「余計なお世話かもしれませんっすけど――」
「ならば何も言うな」
「いやいやいや、今のはよくある前置きでしょ? 自分を守るための前置き。自分の発言を相手が聞き入れるかわからないけどもう少し言いたいとか、相手に追い打ちかけるかもしれないけど責任は取りたくないときの前置きっしょ? 知らんけど」
「発言したいなら素直に言え」
「いやあ、だって怖いもん」
「死ね」
「すみませんって。調子に乗りました。で、さっきも言いましたけど、今回のことで注目すべきは奥様がきっちりやり返したことっすよ。十二年見守ってきたストーカーとして言わせてもらえば、これぞ奥様って感じでしたね」
「シャルロットは誰よりも芯が強い女性だからな」
蛙ごときで驚くわけがない。
しかも瞬時に主催者の嫌がらせだと察し、実行させられた使用人を気遣うなど、やはり天使で女神以外の何者でもないだろう。
さすがシャルロットだ。
ん? とういうことは……。
「次は蛙のスープを食べさせてくれるということか?」
「ああ、滋養強壮にいいらしいっすね。あと美肌効果もあるとか」
「まさか、シャルロットのあの美しい肌は蛙によって保たれているのか……?」
「それは本人に訊いてください。会話のきっかけになるんじゃないっすか?」
もちろん、シャルロットが何を食べていようと気にならない。
むしろ、すでに毒蛇酒もハチノコも食しているからこそのあのお勧め発言だろう。
そうか。蛙もか。
「ハチノコよりはマシなんじゃないっすか? 鶏肉っぽいって言ってましたし」
「マシとはなんだ。ハチノコもシャルロットが勧めてくれたものだぞ?」
「え? 美味しかったんすか?」
「……シャルロットの優しさを感じた」
「ダメだったんじゃないすか。――で、話は戻りますけど、奥様があのお嬢さんと戦うことにしたってことが重要なんすよ。要するに、これは女同士の戦いっす」
「女同士の戦いだと?」
「そうっす。他人に興味ない閣下は、女性についても興味ないでしょうから、女同士の戦いって知らないっしょ?」
「どちらのドレスが美しいとか、よりよい結婚相手を得るために牽制し合うようなくだらない戦いのことか? そんなものシャルロットが……」
参戦したのか? シャルロットが?
ということは、どういうことだ?
「真実は前前前世と来来来世くらいほど遠いっすけど、閣下は理想の結婚相手であり、愛人相手として人気が高いんす。だから、これからも奥様の前には閣下との仲を邪魔しようとする女が現れますよ」
「私とシャルロットが別れるなど世界が滅んでもあり得ないが、そのように愚かな考えに至る者には二度とこの世に生まれたくないと思わせればいいのか?」
「いや、そうしたいのは(長年の経験から)わかりますが、奥様はもともと好戦的な方なんですから、好きにさせてあげてはどうっすか?」
心優しいシャルロットがそれで傷ついたらどうすればいいのだ。
そもそも、すでに結婚している私に対して妻になろうとする愚か者たちを相手にするなど、シャルロットの貴重な時間を無駄にするだけではないか。
「シャルロットは社交界デビューしてからは悲しい思いをしてきたんだぞ? 私と結婚したからにはもうそんな思いをさせたくはない」
「……確かに、キツノッカ王国では(ほとんど公爵のせいで)悲しい思いをされてました。この国でも(全部公爵のせいで)嫌な思いをされることもあるのは間違いないっすけど、奥様はご自分で対処できるだけの力を持ってるんすから、あんまり手を出さないほうがいいんじゃないっすか? 閣下は十二年間も(俺に命じて)見守ってたんすから、これからもそれでいいんじゃないっすかね?」
「ずいぶんわかったようなことを言うんだな? お前は結婚のプロか何かか?」
「そりゃ、結婚はしたことないし、しようとも思わないっすけど、長年この仕事のせいで色んな夫婦を見てきたんすよ。何より、俺は奥様とともにエクフイユ伯爵夫妻を見てましたから」
「シャルロットのご両親を?」
「そうっす。それにお兄さん夫婦もね。お二組に共通するのは、愛情と信頼っす。決して過度な干渉じゃないっすね」
ふむ。確かに私は世間一般の夫婦などに(そのほか含めて)興味がなかったので、こいつに言われたことを否定はできない。
こいつのことは嫌いだが信用はできる。そうでなければさっさと解雇しているのだ。
「まあ、片想い歴は長くても恋愛初心者の閣下よりは俺のほうが詳しいっすよ」
「お前は恋愛上級者だとでも言うのか?」
「興味ないっす。だけどこういうのは第三者のほうがよくわかるってもんすよ。たとえば、奥様が図書室から持ち出した本の意味とかね」
「作物の育成書と小説が二点だろう?」
その報告は一昨日すでに受けているではないか。
そう思ったが、こいつはこれみよがしに「はああああ」と大きなため息を吐いた。
こいつのこういうところが今すぐ死ねと思う。
「ただの小説じゃないっしょ。『真実の中の愛』と『出会いは舞踏会』は恋愛小説っすよ? 今まで奥様はまったく興味を示されなかった分野っす。その意味をその賢い頭で考えてくださいよ」
「やはり今すぐ死ね」
「何で!?」
いつも以上に腹立たしかったので袖口に持っていたナイフを投げつけた。
こいつがかわすのもまた腹立たしいが、それも想定内。
とはいえ、わずかばかりではあるがすっきりしたので、日ごろの運動は大切なようだ。
朝の鍛錬に加えて夜にも組み込むか。
あいつは投げ返してきたナイフを受け取ったときには消えていた。
報告はもう終わったということだろう。
騒がしいやつがいなくなった書斎は静かで考え事にはちょうどいい。
シャルロットが今読んでいるらしい本は記憶にある。
小説の類は十一年前に全て目を通して頭に入れたが、しょせん作り物とそこまで気に留めてはいなかった。
だが、シャルロットが読んでいるとなると重要だ。
確か『真実の中の愛』は、政略結婚の相手と上手くいかずお互い愛人を作る冷めた結婚生活を続ける主人公が、幼馴染の男に再会して真実の愛に目覚めるという……駄作だ。
二十年以上も女性たちの間で人気らしいが、何がどう面白いのか知りたい。
それに『出会いは舞踏会』とやらは、若くして夫に先立たれた女性が舞踏会で若き騎士と出会い、恋に落ちるとか……私は死なぬ。よって、そんな話は成立しない。
いや、待て。これは私の感想だ。
シャルロットがあれらを参考にしては困る。
もっとこう、夫のことを愛する妻の話はないのか。思い出せ。
小説の類いはこの十一年増やしていないが……なぜ、どれもこれも悲恋に終わるのだ。
書架の棚に二段も恋愛小説が並んでいるというのに、一冊くらい真っ当な恋愛をする夫婦の話があってもいいはずだ。
今まで恋愛小説どころか小説に興味がなかったのは失敗だな。
仕方ない。急ぎ王宮図書館の司書に健全な恋愛小説を見繕うよう指示を出すことにしよう。