レオン:求婚
私は神など信じない。
願いがあるなら、自分の力で叶えてみせる。
叶えられるかもわからない曖昧な存在に祈るなど時間の無駄でしかない。
そもそも何かを願ったことなど、二十六年の人生で一度しかない。
ちょうど十二年前のあの日、彼女に噴水に突き落とされたときの一度きりだ。
全てが予想どおり想像どおりの退屈な毎日の中で、彼女だけが私の理解を超える行動をした。
だから彼女がほしいと思ったのだが、すでに婚約者がいたのだ。
まあ、それは大した問題ではない。
だが彼女を悲しませるわけにはいかず、どうやって婚約解消をさせるかと考えているうちに国内で少々手間のかかる事案が発生してしまった。
どうにか結婚の時期を遅らせるようにと手を回すことはできたが、本当に危ないところだった。
これで陛下には貸し一つだ。
とはいえ、直接彼女の結婚を阻止できたのは、彼女があの愚かな小僧との婚約を破棄してからの求婚者九名だけなのだが。
あの小僧との婚約について、彼女の本心を密かに探らせていたところ、届いた吉報には笑わせてもらった。
さすが彼女だ。
あとは彼女が嫁いできてくれたときに、いらぬ苦労をさせぬように国内の情勢は整えておかなければならない。
そのせいでさらに一年も余計な時間を費やしてしまった。
これで陛下にはもう一つ貸しだ。
そしてようやく彼女へ求婚するべく向かえば、密偵の報告で結婚式場にいることがわかった。
新郎があの愚か者だと知って一瞬がっかりしたが、花嫁の名前を見てすぐに安堵した。
私の知る彼女なら、あの愚か者とよりを戻すわけなどないのに、己の考えの浅さにまたがっかりする。
このような気持ちにさせてくれるのも彼女だからこそだ。
予定調和の退屈な日々の連続で、唯一密偵から届く彼女の近況報告だけが私を楽しませてくれた。
もちろん私はストーカーではない。
未来の花嫁の様子をたまに窺っていただけだ。
うん。私は間違っていない。
伯爵領地で過ごす彼女の武勇伝も楽しかったが、婚約破棄の場面はぜひともこの目で見たかった。
あの場に居合わせることができなかったのが残念でならない。
それからもくだらない噂に負けることなく、堂々と社交の場に出席していたことも尊敬に値する。
まあ、そのせいで邪魔な男どもが現れはしたが、小心者ばかりで彼女に相応しい者などいなかった。
おかげで大した労力もなく排除でき、さらなる彼女の武勇伝にも楽しませてもらった。
そもそもなぜ私が彼女にこれほどまでに執着しているのかはわからない。
これが世間でいう一目惚れなのだろう。
私は常に論理的に生きたいと思っているが、恋だの愛だのについては否定したりなどはしない。
様々な文献を調べた結果、私が彼女に抱く感情は恋だと明言されていたからだ。
このもやもやとした感情――要するに彼女への『わからない』という感情が私を高揚させるのだ。
理解できないものへの追求は実に面白い。
あの日、いきなり彼女に噴水へ突き落とされたときには意味がわからなかった。
ただわけのわからない彼女に惹かれただけだ。
それからしばらくして、彼女の行動を理解したときには謎が解けた喜びに満たされた。
私の感情をそれほど動かすのも彼女しかいない。
そんな衝動のままに、彼女に求婚したのもまた私らしくない行動だった。
本来ならもっと慎重に計画を進め、彼女の心と体を手に入れるはずだったのに。
教会から出てくる者たちの噂話――新郎新婦よりも彼女に対しての嘲笑に腹が立ち、つい教会の中へと足を踏み入れてしまった。
陰からこっそり様子を窺う予定が(決してストーカー的行動ではない)、祭壇を背に凜として立つ彼女を見た瞬間、気持ちが抑えられなかったのだ。
正直、失敗したと思った。
どうやらこの国まで届いている私の噂は芳しいものではなく、いきなり求婚されても警戒されるだけなのだ。
ところが彼女は予想に反して(だから好きだ)、私の求婚に了承してくれた。
衝動的なのは私だけではなかったようだ。
では、善は急げだ。
彼女が正気に戻る前に既成事実を作ってしまわなければならない。
待機している密偵に明日には式を挙げられるよう手配を指示し、まだ夢を見ているような(最高に可愛い)シャルロットと伯爵夫妻を食事に誘った。
シャルロットを口説き落とすために借りていた屋敷がここで役に立つ。
そして、徐々に現実的思考に戻り始めた伯爵を上手く丸め込み、明日の挙式を約束させた。
国政をあまり疎かにできないため滞在は二日ほどしかできないことを理由に。
もちろん嘘だ。
この日のために頼りない陛下を支え、不穏分子を排除してきたのだ。
この屋敷の賃貸契約期間は一年。
ひと月前から借りて、シャルロットたちに好感を得られるよう手を加えさせ、使用人たちも雇っている。
彼らには今後契約期間終了まで、主なき屋敷で働いてもらうことになるだろう。
翌日も、心配する伯爵夫妻を安心させるために模範的な紳士を演じ続けた。
ひとまず笑顔は必須だ。
とはいえ、彼女と結婚できたことにより、わざわざ作らなくても自然と笑顔になっていたと思う。
普段あまり――いや、全く笑わないせいか、頬の筋肉が少々痛いが、これもまた初体験で楽しい。
いよいよ今日からは彼女と――シャルロットと二人きりの旅が始まる。
使用人たちは心得ているので邪魔はしないはずだ。
王都の者たちは何かと煩いので、まずは公爵領地へ向かって二人きりの時間を楽しもう。
さあ、出発だ。