密偵:怪談
こんな仕事してると、どうしても怖い話の一つや二つや三つや百くらいは知ってる。ってか経験してる。
古い城や屋敷を夜中に動き回るからな。
俺だって「あれ? ヤバいんじゃね?」的な経験は何度もある。
そんなときは必殺技〝気のせい〟を発動すれば、たいていは乗り越えられる。
そうやって今までやり過ごしてきた俺のここ最近の一番の恐怖体験。
四日前まで偉そうに王宮内を闊歩してたウォレス伯爵が今は牢獄の中とか。
数々の不正が発覚した伯爵家の屋敷を捜索したら、以前謀反を企んでいたやつらと繋がってる証拠が見つかったらしい。
なんてブラボーなタイミング。
息子の関与はまだわかってないとかって、監視付きで自宅軟禁。
もちろん伯爵夫人と娘も同様の扱いで、泣き喚いて大変とかご愁傷様。
それはもう自業自得だって諦めるしかないよな。
だって、奥様に嫌がらせしたんだから。
本人は気付いてないけど、奥様はこの世の不可侵的聖域なんだよ。
侵入しようとしたならこの世のものならぬ鬼が待ち構えていて地獄の果てまで追ってくるんだから危険。
マジ世界平和のためには、奥様は公爵に監禁された方がいいのかも。
まあ、一番手っ取り早いのは公爵が死ねばいいんだよ。
いい加減、凄腕の暗殺者が現れねえかな。
後ろ暗いやつらなんてまだまだいるんだから。
ヘイ、ユー! 殺っちゃいなよ!
今回のウォレス伯爵の件でみんなビビってんのか?
ちなみに、公爵の粛清から逃れる術はないと思え。
奥様に公爵から紹介されなかったやつら全員、悪事の証拠を掴まれてるからな。
って、ほぼ全員じゃん。
怖い、怖いよ。
何が怖いって今現在進行形で奥様が嫌がらせされようとしてるとこ。
あのお嬢さんは確かエイミー嬢と仲が良かったんだっけ?
復讐か? それともある種のライバルが潰れたから自分にチャンスが回ってきたとでも?
それ、大間違いだから!
公爵が実は優しい人かも説が最近は流れてるらしいけど、恐ろしいほど大間違いだよ!
あれは奥様限定。局地的異例事態。
何でわかんないかな。奥様が触れちゃいけない特級呪物だって。
呪われるよ。そりゃもうこの世のものとは思えないアレに。
あんたらが理想の花婿候補(愛人候補)だと思ってるアレ、存在を認識されたら最期だから。
ああ、使用人にそんなもの用意させたって、自爆するだけだぞ。
奥様にその嫌がらせはまったく効かねえから。
使用人はすげえぶるぶる震えてるじゃねえか。
そりゃそうだよな。
いくら主人の(娘の)命令とはいえ、公爵夫人にあんなものを仕掛けるなんて。
お互い雇われる相手を間違ったら苦労するよな。
って、俺は選択の余地なかったけどな!
あの給仕のやつ、失神しそうなほど顔色悪いけど大丈夫か?
まあ、どうなるか見学させてもらおっと。
心配しなくても、この家……アレッシ伯爵家も没落間違いなしで、どうせ職は失うからな。
震える手でティーポットカバーを外せば、はい登場。
「――あら、まあ……」
「きゃああ!」
「やだ! 気持ち悪い!」
奥様の反応は予想通り。
まあ、普通の女たちの反応も予想通りだけどな。
とはいえ、マジうるせえ。テーブルに蛙がいたくらいでそこまで騒ぐか?
ちょっと大げさなくらいうるさい女の悲鳴を皮切りに、ほかのやつらまで悲鳴を上げる。
そんな周囲の反応も気にせずに奥様は蛙を手のひらで包んだ。
潰れないように優しくってところが奥様らしい。
これ、後で公爵に報告したらまた煩く崇めるんだろうな。
だけど他の女たちがさらに悲鳴を上げた。
あー、めんどくせえ。何がめんどくせえって、悲鳴を上げたやつら全員を覚えてないといけないことだよ。
ぜってえ公爵は訊いてくるからな。
何なの、この秘密審査。この場に居合わせたのがもう呪いだよ。
もちろん女どもが本気で蛙を怖がってんのか、単に奥様への嫌みなのかの見極めは大事。
俺だってむやみやたらと公爵の被害者を増やしたいわけじゃねえ。
「ちょっとあなた! 何てことをしてくれたの!?」
「も、申し訳ありません! ですが――」
「言い訳は無用よ! 皆さん怖がっているじゃない! こんな失礼なことはないわ!」
「も、申し訳……」
あーあ。マジで最悪だな、あの女。
自分で命令しときながら、使用人のせいにするなんてな。
わかっていたけど、アウト。
「あら、そこまで叱るようなことではないと思うわ。これは自然の悪戯ですもの。彼には何の責任もないでしょう?」
あるんだな、これが。
自然の悪戯じゃなくて、その主催者のお嬢さんの嫌がらせだからな。
あ、公爵だけじゃなくて、奥様への新しい信者が誕生したよ。
命令されて故意にしたこととはいえ、給仕として失敗した自分のことを庇ってくれる貴族がいるなんて思わねえもんな。
「それにこの蛙、いくら庭先とはいえこんな場所に現れるような種類の蛙ではないんですよ?」
ん? そうなのか?
蛙の種類までは俺もわからねえ。
首謀者のお嬢さんもぽかんとしてるぞ。
「この蛙、滋養強壮剤として重宝されているんです。しっかり煮込んでスープにすれば、お肉も鶏肉のようにあっさりしていて食べやすいですよ? 美肌効果も望めますし、せっかくここに現れたのですから、ルニア様が召し上がってはどうですか?」
「……はい?」
「さあ、どうぞ?」
「い、いいいえ! やめてください!」
「あら、そうですか? でも、確かにこの子はまだ小さいですから、もう少し大きくなってからのほうがよいでしょうかね?」
やべえ。マジやべえ。
満面の笑みで蛙を包んだ両手をぐいぐい首謀者のお嬢さんに押しつけてる。
奥様のこれ、わざとだ。
やられたからやり返してるよ。
まさかの反撃。嫌がらせだって気付いてたのか。
たぶん、あの蛙も普通のその辺にいる蛙だろう。
あの奥様が他人の悪意に気付くなんて、成長したなあ。
十二年(ストーカーとして)見守ってきただけに感慨深い。
「……では、この蛙は逃がしてきますね?」
「え、ええ!」
悪意はありませんって感じでにっこり笑う奥様が怖い。
完全に首謀者のお嬢さん……ルニアだっけ? とにかく、そいつの負け。
奥様はくるりと振り返って、今度はいつもの笑顔で給仕の男に話しかけた。
「よかったら、いい場所がないか案内してくださらないかしら?」
「か、かしこまりました」
給仕の男はほっとしたように答えてるけど、このこと公爵に報告したらヤバいよな。
奥様の笑顔を独り占めしたとかどうとか。
本当の地獄はこれからだぞ。
仕方ねえ。ろくでもない主人を持ってしまった同士として、あいつには同情するし、少しばかり助けてやるか。
それと、俺は反吐が出るほどに優しいから、あのことを公爵に忠告してやることにしよう。