レオン:仕事
「閣下、昨夜の覗き見を自分で暴露しておいて、私に話を振らないでくださいよ」
「覗きではない。様子を見に行ったら、いつもなら寝ているはずの時間に何度も寝返りを打っている音が聞こえただけだ」
「直接見たわけじゃなくても、秘密の部屋から聞いた音とか、キモッ」
妻を心配して何が悪いというのだ。
相変わらず失礼なやつだな。
「では、お前に任務を与えよう」
「もう十分っす」
「今から私の代わりに仕事してこい」
「無理っす」
「挑戦もせずに決めつけるな」
「物理的に無理っすよね? 俺、閣下にはなれないですもん。ってか、さっさと仕事に行って、さっさと帰ってきたらいいじゃないっすか。今日は奥様はお出かけしないんだから、帰ってきたら迎えてくれますよ」
何だ、最高じゃないか。
これまで三回も「おかえりなさい」と言われたのに、四回目があるとか天国かな。
しかも二日前には庭に出ていたらしく、出迎えが間に合わなかったらしいのだが、そのときの「ごめんなさい」は可愛さの光を超えていた。
何を言っているのかわからないくらい、シャルロットの可愛いは世界を変えるということだ。
よし。あのときの可愛さを反芻しよう。
シャルロットは私を見ると、口に手を当て「あっ!」といった表情になり、駆け寄ってきたのだ。
そして申し訳なさそうに「ごめんなさい、お出迎えができなくて。妻失格ですね」と頭をぺこっと下げたのだから、あのときの私はよく耐えた。
あのままシャルロットを抱き上げて部屋に閉じ込め監禁しなかった自分を褒めてやりたい。
楽しみができたので、憂鬱な仕事もやる気が出るというもの。
さて、さっさと締め上げて……ではなく、問い詰め追い詰めてくるか。
スマイズがやってくる気配を感じてあいつは消え、私は必要な書類を鞄へと入れた。
その鞄を部屋に入ってきたスマイズに預け、玄関へ向かう。
そこで執事のリッチモンドとともにシャルロットが待っていた。待たせてしまっていた。
「今日はちゃんとお見送りできますね?」
はい、可愛い。
首を傾げてにっこり笑うとか。
これが世に言う〝あざと可愛い〟か?
いや、シャルロットには〝あざとさ〟などない。
全てが天然であり、大自然であり、宇宙の神秘なのだ。
何を言っているのかわからないくらい、シャルロットの存在は奇跡の大爆発である。
今までのシャルロットは私が出かけることに気付いてから、急いで階段をかけ下りてきていた。
危険だからやめてほしい。
だが、可愛いから見ていたい。
その相反する気持ちに苛まれていた私を救うどころか褒美を与えてくれるなど、やはりシャルロットは女神だ。
「毎回、わざわざ見送らなくてもいいんだよ?」
「〝いってらっしゃい〟と言いたいんです」
聞いたか、全人類!
シャルロットの思いやりに満ち溢れた言葉を。
同じ時代に生まれたことを感謝するがよい。
そこで陰に隠れて笑っているやつもな。
「――いってきます」
「はい。いってらっしゃいませ」
素晴らしきかな、人生。
足取り軽く待機している馬車へと向かう。
そして振り返ると、シャルロットが手を振ってくれたので振り返す。
リッチモンドとスマイズが――背後でも御者と従者が息を呑んだ声が聞こえたが、いい加減に慣れろ。
シャルロットが不思議そうな顔をしているではないか。
それはあいつに(不本意だが)任せるとして、面倒だが馬車に乗り込んだ。
その瞬間、戻りたくなったが耐え忍んで車窓からシャルロットに手を振り王宮へ向かう。
シャルロットとの貴重な時間を奪うあの無能どもにはいつか制裁を加えてやると誓い、馬車の中でも仕事を片付けていった。
――というのに、王宮の執務室に入ると、私の邪魔をしにウォレス伯爵がやってきた。
存在がすでに邪魔なのに、私の仕事の邪魔をするとは空中に舞う塵よりも滅するべきである。
「お、おはようございます。朝からお忙しいところ申し訳ありませんが、昨晩の妻と娘の振る舞いについて謝罪したく参りました」
わかってはいたが、どうしようもない愚か者だな。
忙しいところ申し訳ないと思うなら、なぜ邪魔をする?
そして邪魔なのだから、さっさと用件を述べて出ていけ。
今現在お前の存在のせいで思考の三割が無駄な働きをしているのだ。
わかるか、この浪費が?
同時進行で三件の業務を片付けていたというのに、二件しか進行できていないではないか。
「――これは法務に回してくれ」
「は、はい」
「これは君が目を通してからストラ卿へ、こちらは陛下にお渡ししてくれ」
「かしこまりました」
いつまで経っても伯爵は話を始めないので仕事を進めていく。
まあ、話を始めても仕事の手は止めないが。
執務室にいた部下たちに指示を与えて、さっさと帰ろう。
この調子だと予定より少し遅くはなるが、お茶の時間までには戻れるはずだ。
シャルロットと飲むお茶は最高に美味しいからな。
「か、閣下! お話を聞いていただきたいのですが!」
「……ウォレス伯爵、差し出がましいことを申しますが、閣下はお聞きになっていらっしゃいますよ?」
「ではなぜお答えくださらない!?」
「閣下は徹底した効率主義の方ですから。無駄なお声は発せられないのです」
「無駄だと!?」
「はい」
「では、せめて貴様らが気を利かせて出ていくべきだろう!」
「申し訳ございませんが、それでは閣下のご指示を聞き逃してしまいますから、閣下がこのお部屋でお仕事をなさっているときは、最低でも三人は待機しておかなければならいんです」
うるさい。
このままでは明らかに効率が悪い。
「――伯爵、あなたの言いたいことはわかりました。もう他に用件がないのなら、出ていってくれませんか?」
「で、では、謝罪を受け入れ――」
「出ていってください」
頭だけでなく耳まで悪いのか?
仕方なくちらりと視線を向けると、伯爵は慌てて回れ右をして扉に向かった。
ようやく邪魔だということを理解したのか。
それなのに伯爵は扉を開ける前に振り向いた。
「……閣下、部下は選ばれたほうがよいですよ」
「選んでいるからこそ、優秀な者たちばかりなのです」
「そうですか。閣下は身内にはずいぶん甘い方のようですな」
どうやら私こそが甘かったようだ。
想定外の愚か者に絡まれたときに対処する術が必要になるとは思いもしなかった。
回りくどいことは止めだ。
社会的にウォレス伯爵家を抹殺しよう。
我が天使・シャルロットを苦しめたことを考えると物理的にも抹殺したいが、シャルロットが天使ゆえに赤の他人の死でも悲しむだろうことが残念だ。
立場上、どうしても耳には入るだろうからな。
あれこれ考えながらも仕事は進めていく。
やはり私の部下は優秀なようで、伯爵に時間を取られた遅れを十分に取り返すことができた。
ついでに伯爵を社会的に抹殺するべき案件の準備もできた。
さて、それでは屋敷に戻ってシャルロットと午後のお茶を楽しむとしよう。