レオン:従僕
今日もシャルロットが天使でつらい。
夕食を一緒にとろうと言っただけで、こんなに可愛い笑顔になるなんて。
本当は朝昼晩ずっと食事だけでなく一緒にいたいが、それでは色々と不都合が生じてしまうので我慢しよう。
もちろん、この屋敷の案内もしたい。
だがそれではシャルロットが使用人たちと親しくなる機会を奪ってしまうからな。
本音を言えば、私以外の誰かとシャルロットが親しくなるのは許せない。
しかしシャルロットは私と違って人付き合いを好むようだ。
それを阻んでしまうのは、羽をもがれた天使そのものになってしまう恐れがある。
とはいえ、シャルロットなら私が無理に束縛しても、奇想天外な行動で抜け出しそうではあるのだが。
ふむ。それもまた面白そうだ。
今朝はシャルロットと親しい使用人をあまり増やさないために、彼女専属の密偵に給仕させているが、その他のこともこの者にさせよう。
実際、シャルロットが外出する際には常に供するようにと言いつけている。――が、調子に乗るなよ。
「奥様、お茶のお代わりはいかがですか?」
「ありがとう……えっと、あなたの名前は?」
「――どうかジャンとお呼びください、奥様」
「ええ。ありがとう、ジャン」
おい、誰が話しかけていいと言った?
しかもシャルロットの笑顔を独り占めするなど、万死に値する。
死ねばいいのにとバターナイフを投げれば、こいつが避けたせいで飾り棚の皿に当たってしまった。
「まあ、大変!」
「大丈夫だよ、シャルロット。驚かせてしまってすまない」
「いいえ、それは大丈夫です。それよりも貴重なものだったのではないですか? なぜこんな急に――」
「おそらく風じゃないかな?」
「風、ですか……?」
「皿の置き方が悪かったのかもしれない。とにかくシャルロットが怪我するようなことがなくてよかったよ。これからは気をつけないとね」
こいつのせいでシャルロットを驚かせ、心配させてしまった。
なんてことだ。やはり殺そう。
だが、それは後だ。
「あの、幸い誰も怪我はしませんでしたし、誰にでも失敗はあるというか、高価なものもいつかは壊れるものですし、誰にも罪はないですよね? だって、風の悪戯ですものね?」
「――ああ、そうだな。誰にも罪はないよ」
ああ、シャルロットが天使すぎてつらい。
気をつけなければシャルロットは自分が天使であることを思い出して、天に還ってしまうのではないか?
使用人は悪くないと遠回しながら必死に庇う言葉が可愛すぎる。
他の誰かが「風の悪戯」などと言おうものならくだらないとしか思わないが、シャルロットが言うと風が悪戯して耳をくすぐっているのかと思えるな。
うん、可愛い。
シャルロットの存在そのものが自然界の悪戯だろう。
そうでなければ、こんなに私の心をかき乱すはずがない。
そう、なぜシャルロットはジャンを見ているのだ。
あいつの背中を見ても面白くも何ともないはずだが、私には見えない何かがあるのか?
「――シャルロット、どうかしたかい?」
「いえ、その……ジャンとは以前も会ったことがある気がして……」
「へえ? ジャンのことが気になるのかな?」
うん。あいつを始末しよう。
一瞬でもシャルロットの心を占めたとすれば許せない。
そうか。これが嫉妬というものか。
あの馬鹿な元婚約者ならびにその他大勢については、シャルロットに認識されているというだけで腹が立ったが、この気持ちとはまた違った。
おそらくあいつがシャルロットの傍で十二年も過ごしてきたからだろう。――命じたのは私だが、認識されている時点で任務失敗だからな。
「いいえ、そうではありません」
よし。許そう。
シャルロットにこんなに真っ直ぐに見つめられるなんて、全国民に恩赦を与えるべきだ。
王都に戻ったら、陛下に提案しなければ。
「――奥様。実は私の家は多産系でして、親戚も多くいるのです。確か、奥様の故郷であるキツノッカ王国にも親戚が多く住んでおりますので、どこかでお会いしている可能性があるかと思います」
「まあ、そうなの?」
「はい。しかも私は三つ子なのです」
「おい」
「それは珍しいわね!」
慈愛に満ちたシャルロットの微笑みに見とれている間に、こいつが変なことを言いだした。
怒りがこみ上げてきたが、シャルロットの前だ。
慌てて咳をして誤魔化す。
「レオン、大丈夫ですか? お水をお飲みになります?」
「いや、大丈夫。ありがとう、シャルロット」
シャルロットに水を注いでもらうなど天の恵みであり、そのような恩恵を受ける資格は今の私にはない。
それで思わずシャルロットの手を摑んでしまった。
決してわざとではない。
無意識だ。許してほしい。
急ぎ解放したが、思いがけない幸運に頬が緩む。
だがこの幸せを噛みしめる前に、あいつをどうにかしなければならない。
「それで、お前の兄弟の話だったな、ジャン?」
「はい。ジョンとジェイのことです。お優しい旦那様に三人とも雇っていただいているんです、奥様」
ジョンとジェイなどと架空の兄弟を生み出すな。
しかもお前の名前がジャンだったことも初耳だ。
まあ、それも嘘だろう。
「そうなの? では、ジョンとジェイにも会えるかしら?」
「はい、奥様。私は屋敷内を担当しておりますが、ジョンは厩舎で働いておりますので、奥様がお出かけの際にはお供することになると思います。ジェイは細々としたことを担当しておりますので、またお会いできる機会があるでしょう」
お前は密偵なのだからシャルロットと出会うこと前提で話を進めるな。
身を隠せ。姿を見せるな。
「それは楽しみだわ。やっぱりよく似ているの?」
「はい、それはもう。よく同一人物だと勘違いされるのですよ」
同一人物だからな。
予防線を張るにしても雑すぎる。
「まあ……それはそれで大変そうね?」
シャルロットはなんて純真なんだ。
こんな怪しげな男(私が雇っているのだが)の言うことを素直に信じるとは。
しかも心配までしてあげるなど、この男には過分だろう。
「いいえ。慣れてしまえば大したことではございません。すべての仕事を一人でこなすとなれば大変でしょうが、三人おりますので。旦那様のおかげです」
その通りだ。
私よりもシャルロットの傍で過ごす幸せを許してやっているのだからな。
だが色々と言いたいことがある。
後で書斎に来いと視線で命じると、苦笑いが返ってきた。
苦かろうが甘かろうが私に笑みを向けるな。気分悪い。
「レオンは本当に優しい人ですね!」
「……ありがとう、シャルロット。そう言ってもらえて嬉しいよ」
私を優しいと評するのはシャルロットだけだ。
まあ、当然だろう。
シャルロット以外はどうでもいい。むしろ全人類邪魔。
その気持ちのまま行動しているので、態度にも出てしまうからな。
今現在、そこで笑いを堪えてむせている男が最も邪魔だが、天使なシャルロットに免じて存在を許してやろう。
おそらくあの日あのときにシャルロットと出会わなければ、私は退屈のみの人生を送っていたに違いない。
退屈しのぎに世界征服などしていたかもな。
そんな日々を想像するだけでも絶望してしまう。
万が一にも、シャルロットに何かあったとしたら……駄目だ。考えるのはやめよう。
ふむ。
やはり神はいるのかもしれないな。
シャルロットの生誕も、シャルロットと同じ時代に生きることができた奇跡も、シャルロットと出会えた僥倖も、神の思し召しなのかもしれない。
シャルロットと結婚できたのは、私の努力の(ストーカー行為と結婚妨害行為ではない)賜物だがな。
なるほど。今、すべてを理解した。
人は皆、己の手から離れた必然偶然の幸不幸を神の御業として縋るのだろう。
神とは人の心の中に存在するのだ。
要するに、シャルロットは神。
神の御前で人々が自然と笑顔になるように、私もシャルロットを前にすると微笑んでしまう。
ただ本来なら、神が存在するだけでありがたく思うべきなのだろう。
だが私は強欲であり、それだけで我慢できるわけがない。
よって、悪魔に魂を売ってでも――むしろ悪魔になってでも、神であるシャルロットの心を手に入れてみせる。