5話 旅立ち
「行ってきます。師匠」
「ああ。気をつけてな」
漆黒の森。
レーネ師匠の家の前にて。
十五歳になった俺は師匠の元から去ろうとしていた。
とはいっても、師匠についていけなくなっただとか、師匠から破門を言いわたされたとかいう話ではない。
師匠から外の世界で経験を積むことを言い渡されたのだ。
師匠の元にいる五年間である程度の実力を得た俺は、この漆黒の森でできることはすべてやってしまったらしい。
もうここにいてもこれ以上の成長は望めないと言われた。
そのため俺は外の世界を見て回るよう言い渡されたのだ。
色んな所を冒険して外の世界を見て回り、そこで経験を積んでさらなる成長をするということだ。
この森で限界が来たとしても、外に出ればさらに成長ができるということなのだろう。
つまり外の世界は漆黒の森よりもさらなる魔境ということなんだろうな。
確かに漆黒の森にすむ魔獣たちは、最初こそ強者ばかりで大変だった。
しかし今となっては一撃で倒せる雑魚でしかない。
いくら超人という特殊体質とはいえ、十五歳の俺が一撃で倒せる魔獣しかいないのだ。
漆黒の森は実はあまりレベルの高いところではなかったのだろう。
この森の外ではもっと恐ろしい魔獣やそれを倒す強者がいるはずだ。
きっと外の世界には俺なんかよりもずっと強い人たちがいるんだろうな。
「ふふっ」
そう期待して、俺は小さく笑う。
彼らに俺の実力がどれだけ通用するのか楽しみだ。
そして今日は外の世界への旅立ちの日だった。
「師匠。今までありがとうございました」
お礼を言って深く頭を下げる。
「そんな、こちらこそ礼を言わなければいけないよ」
師匠は言う。
「君といた五年間は、私にとってもすごく楽しくて充実した日々だった。手のかかることもあったが、一緒にいて楽しかったよ」
ふう、とため息をついた。
「この森に1人で長くいてるから、誰かと一緒に過ごすなんて本当に久しぶりだったんだ」
「師匠……」
「ああ。こんなこと言うと行きづらいかな。ごめんね」
「いえ。俺の方こそ本当に師匠にはお世話になりました。師匠に拾ってもらったおかげで俺はこの森で生きていくことができました。それに師匠に育ててもらったおかげで、俺は戦うことができるようになったんです」
俺の言葉に師匠は笑顔になる。
「嬉しいな。君みたいな逸材を育てることができて、私も満足だ」
「逸材だなんて。俺はまだまだです」
「そんなことないさ。現に君は強い。この五年で、本当に強くなった」
師匠は言葉を区切り、寂しそうな目をしながら少しうつむく。
「私も、力はいつのまにか君に追い抜かれてしまったしな」
ここでいう力は筋力だけのことではない。
戦闘能力のことだ。
この五年間。俺は幾度となく模擬戦として師匠と手合わせを行ってきた。
最初の内は負けてばかりだったが、ここ一年ほどで師匠に勝てるようになったのだ。
最近では負けることはなくなっている。
それは嬉しいと感じると共に、少し寂しくも感じる。
師匠は俺の目標だったから。
戦闘という一つの分野でも追い抜けたことは複雑に感じてしまう。
「おいおいそんな顔をするなよ。私もな、嬉しいんだよ。弟子が自分より強くなるって言うのはな」
「師匠のおかげですよ」
まあ、追い抜いたと言っても戦いの分野でだけの話だ。
それ以外のところではまだまだ師匠の足元にも及ばない未熟な子供である。
「さあさ、もういけ。いつまでもここで話すわけにもいかないだろう」
そう師匠に急かされて、俺はこの家から離れる。
「いってきます、師匠。帰ってくる頃には、必ずもっと成長した姿を見せます」
「そうかい。それは、楽しみにしているよ。いってらっしゃい」
それが、別れの言葉になった。
俺は森を抜けるために家に背を向けて歩き出す。
こうして俺は、五年間お世話になった師匠の元を離れて、街へ向かって行った。
――― レーネ視点 ―――
「行ってしまったか……」
弟子を見送り、私は一息ついた。
五年。
決して短くない時間を一緒に過ごした弟子だ。
彼がいなくなって、思っていた以上に寂しく思う自分がいる。
寂しいが、しかしこれは仕方ないことだ。
カリムだって一生をこの森で過ごすわけじゃない以上、いつかはここを出ていくことになる。
それが今日だったというだけのことだ。
寂しくはあるがそれは受け入れるべきだし、ならば弟子のさらなる成長を期待するのが師匠の努めだ。
「更なる成長、か……」
自分の考えたことに、思わず自嘲してしまう。
カリムの更なる成長?
笑ってしまうほどおかしな話だ。
なぜならカリムは、もうすでに人類最強クラスの力をもってしまっているのだ。
いや、人類最強「クラス」ではないだろう。
すでにもう人類最強のはずだ。
ドラゴンなんて、この漆黒の森どころか世界中でみても最強格の魔獣だった。
街一つ。いや国一つを滅ぼしかねない存在である。
それをいとも簡単に倒してしまう自分の弟子に、私は驚きを隠すことができない。
ドラゴン以外にも、ミノタウロスという本来は迷宮の奥に潜んでいる最強クラスの魔獣や、ジャガーノートという国を亡ぼすレベルの魔獣。
他にも軍隊を用いて戦いを挑むレベルの魔獣を何体もカリムはいとも簡単に倒してしまっている。
というか動きがもはや人類を超越している。
一回ジャンプするだけで地上数百メートルまで行き、走れば音速を超える速さで移動し、地面を殴れば地割れを起こす。
「超人」と名付けたのは私だが、ここまで人を超越した力を持つことができるだなんて思っていなかった。
さらにカリムは戦闘においてこの私に勝利している。
というかまるで歯が立たない。
師匠の面目が保てなくなりそうだが、私はもはやカリムにかすり傷ひとつつけることすらできないのだ。
それくらい力の差は離れている。
だが彼は知らないのだ。
それがどれだけとんでもないことなのか。
弟子には言ってなかったが、私はこれでも人類最高クラスの魔術師だと自負している。
数十年前。この森に居を構える前には、それこそ大魔術師として名をはせていた。
武闘大会というものので優勝したこともある。
そんな自分がかすり傷ひとつつけられないほど歯が立たないのだ。
カリムの実力はもはや余人には計り知れないレベルになっていることだろう。
「なのに、どうにも奴は自分が強いって言う自覚がないんだよなあ」
そう。
カリムは強い自覚があまりない。
この漆黒の森では私とカリム以外に人がいなかったため、他者と己の実力を比較することがあまりなかったのだ。
そのため、自分の力が圧倒的だといまいち理解しきれていない。
要は世間知らずのまま外に出ることになってしまった。
世間、というより世間と比較した自分の強さ、か。
おまけに彼は幼少期から魔力がないために見下されて育ってきた。
そのせいでどうにも自己肯定感が低いのだ。
おかげで強い力を持っても、自分が他者より優れていると心の底で認識できていない。
「そこらへんを教育できなかったのは、私の落ち度でもあるな」
まあだからこそ、カリムを外に出したわけだが。
外に出て、世間を知り、自分の実力を理解させる。
その過程で自分を肯定させる能力も養っていけばいい。
そう思って、私は彼をこの森から出した。
この行動が彼にとっていい結果になればいいのだが。
そこに関してはもう祈るしかない。
「他に心配するとすれば、彼の周りの人間か」
そう。
心配なのはカリム個人だけではなく、今後彼に関わるであろう人間だ。
なにせあれだけの強さを持っているのだから、周りがカリムを放っておかないだろう。
だが当の本人は自分が強い自覚がない。
自覚がないまま強い力をふるってしまうのだ。
どれだけの問題が起こってしまうのかは、今の私にはわからない。
「まあ、そうなったらそうなったで頑張って欲しいな。うん」
まだ見ぬ彼の周囲の人々の行く末に、私は同情をした。
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