1-五 水滴の行方
部活が終わったのは十三時過ぎだった。備品の片づけや掃除、更衣室での着替え等を終えて弓道場を後にした小春は、校舎脇にある平屋の食堂へと向かった。部活が終わると、いつも決まって小梅や他の友人たちと食堂に寄り道をし、そこで飲み物を買ったり、昼食代わりに校内名物でもあるから揚げを頬張ったりしつつ、短い雑談に耽ったりする。お手洗いに立ち寄っていた小春は、少し遅れて彼女たちと合流した。そして暫しの歓談を終えてから、小梅と帰路を供にした。
「いやぁ疲れもうしたよ、小春どん」と、小梅が言った。口にした通り疲労困憊と言った表情ではあったが、小梅の歩調から悠然としたさまや気品は、少しも損なわれていなかった。
「どっか、寄ってく?」
「あー、コンビニでアイスとか」
「あぁうん、いいね」
二人はそんな具合にして、飾り気も他意もない会話をいくつか交わしつつ、所々に陽炎めいたものが見えなくもない道のりを辿って行った。やがて駅前へと差し掛かると、駅構内に設けられているコンビニへと足を運んだ。店内の涼気に迎えられた二人は、揃って解放的な溜息を漏らす。
「あいす、あっいすー」
小梅は歌うようにそう言いながら、アイスケースの傍へと足早に向かった。それからそのアイスケースの縁に片手を突くと、もう一方の手の人差し指を指揮者のように振るいながら、半ば悩ましそうに、半ば楽しそうにしてどれを選ぼうかと迷っていた。一方小春は、小梅のそうした様子を脇目に、ためらう素振りも見せずにガリガリ君のチョコミント味を手に取った。
「出た、またそれやん」小梅は野次るような調子で言った。休符に突き当たったと言わんばかりに、振り動かしていた指が止まる。
「これがいいんですよ」
「飽きへん?」
「全然」と言ってから小春は、取って付けた様に「飽きへん、飽きへん」と呟いた。そうして一足先にレジ前へと向かいかけたところで、小梅が「あー、ちょっと待って待って」と小春を引き止めた。
「うん?」
「こっちにさ、もっといいのありますやん」
そう言うと小梅は、アイスケースの中からカップアイスの一つを選び取り「ほらこれ、はい」と、ハーゲンダッツのショコラミント味を小春に手渡した。小春は苦笑を浮かべた。
「いやぁ、これでも、ガリガリ君の方が値段的に――」
「誕生日のお祝い、だから買ったげる」
小春の唖然とした表情や、「えっ」と思わず漏れた驚嘆の声をよそに、小梅は小春の両手から二つのアイスをさり気なく取り上げる。
「えっでも、わたし――」
「いいの、いいの。遠慮しなさんなって、はるお姉さま」小春を見やりながら、窘めるような笑みを浮かべて小梅が言う「私の誕生日の時には、めっちゃ高い香水なんかで返してもらうからさ」
「えぇー」小春は吹き出すようにして笑いながら言った。そして次には照れ臭さを若干露わにして「うん……ありがとう」と呟くように言った。
「どういたしましてー」小梅は何気なさを装ってか、にべもなくそう告げると、アイスケースに向き直って「私これにしよっ」と独り言ちた。
支払いを終えた小梅は、レジ袋から自分のアイスだけを取り出して、店内の出入り口の前で待っていた小春に、その袋ごと押し付けるように差し出した。小春はそれを、両手で丁重に受け取った。
「いやぁ、ありがとうございます」
「いえいえ」と、また何の気もなさそうに小梅が言う。それからいかにも真面目ぶった調子で「さっき言った私の誕生日の話やけど、やっぱりさ、4Kのおっきいテレビとマックブックとかで、妥協してあげてもええかなって」
小春は声を上げて笑い、小梅もそれに続いてくすりと笑う。日差しの篠突くような猛暑だったが、彼女たち二人の心持ちは、澄み渡る快晴の夏空とまるで兄弟姉妹のように瓜二つだった。少なくとも、
そんな月並みな表現をここに記したくなるほどに、そうした酔い痴れがちで抽象的な、どう描いても嘘にしかならない様な心情描写をここに綴っても多少の後ろめたさは凌げそうなほど確かに、彼女たちの心模様は清爽と息づいていただろう。しかし、この時季の空合いにおいて積乱雲は付きものであり、それが思いがけない夕立を呼び起こすのも確かではある。彼女たちのこの多感かつ繊細で移ろいやすい時期にあっても、それは同様で、この日の小春もその局地的な変化の影響を被らずにはいなかった。
コンビニを出ると彼女たちは、駅のホームへと向かい、その日陰になっているところでアイスを食べながら次の電車を待っていた。
「どうですか、はる姉さん」
「うん、おいしいよこれ」
小春は感心したように答え、プラスチックのスプーンでアイスをすくっては食べる。しかし一方で、小梅の持っている棒アイスは徐々に溶け始め、その内に水滴が一つ地面に落ちた。
「あっ、溶けてる」
小春はそう言って、小梅の足元に目を向ける。その時、小梅のスニーカーが、その靴紐が小春の目に映った。部活中にこっそり解いたはずのそれが、いつの間にか綺麗に結ばれていた。
小梅は空いている方の手で慌てて受け皿を作り「うわ、やっば」と言いながら、跳ねるようにして片足を後ろに引いた「どっか、ついてない?」
小梅の靴紐にじっと視線を注いでいた小春は、少しの間を置いてから、たった今夢から覚めでもしたかのように「うん?」と声を上げ、戸惑いの色が微かに滲んだ表情を相手に向けた。
「服についてない?」小梅は繰り返し尋ねた。顔を下に向けて、自分の衣服にアイスの跡が付いていないかを入念に調べている。
「あぁうん……多分」
小春は曖昧な調子でそう返すと、ほんの僅かな不安や物憂さに曇らされ、くすんでいるように見えなくもない眼差しを小梅の顔に、それから向かいのホームへと送った。