1-三 車両の一瞥
人気の少ない車両だった。二人は空きの有り余った座席から、乗降扉の脇にあるところを選び、そこに並んで腰かけた。
「すっずしいー」
小梅はそんな言葉を漏らしながら、その涼気を存分に味わおうと言った感じに首を反らして目を閉じる。小春は小梅の方へと一瞥を与えてから、こちらは顔を少し俯かせて小さく溜息を零す。二人ともが腿の上に学生鞄を載せていた。
「さっき、なんの話してたっけ?」と小梅が、首を反らしたままで言った。
「えっと、テストの勉強?」小春は僅かに首を回し、露わになった小梅の首筋へと応えるように言った。
「違う違う、その前」
「その前? なにも言ってないよ――」小春はそう返したが、すぐに「なんも言ってないですやん」と言い直した。
小梅は、そんな小春のぎこちない言い草に違和感を感じたのか、目だけを動かして小春をちらと見やった。そして、にべもなく「あー、そうやっけ」と零してから、また気のない調子で話し始めた。
「外環沿いのツタヤさ、もう潰れるとかって――あれ? この話、前したっけ?」
「したってば」小春は忍び笑いを起こして言った「昨日の帰り道も、ラインでも聞きましたって」
「あぁもう駄目。 暑さで頭が馬鹿になってるわ」
その時、彼女たちの右手にある連結部分の扉が勢いよく開かれ、そこから地味で無難な出で立ちの中年男性が何人か現れた。中国語か韓国語か判別の付け難い、とかく日本語ではない言葉を高調子に交わしながら通路を横切っていく彼らのその様子を、小春は伏し目がちに、小梅は依然として首を反らしたまま見下ろすように窺っていた。声高に飛び交う外国語が、車内の空気を、彼女たちの周囲に漂っていた倦怠的かつ平穏な空気を一息に塗り替えたかと思うと、彼らは彼女たちの目の前をにわか雨よろしく通り過ぎて行った。小梅はそこで漸く首を元の位置に戻し、後方車両の扉の奥へと去って行く彼らの方を見やった。その目つきは鋭く、何かしらの含みが込められているようでもあり、次に小梅が放った言葉の内にもそれは尾を引いていた。
「最近、外国人増えてない?」
小春は、半ば刺々しく冷ややかであるような調子の言葉を放った小梅の顔を、一瞬だけ覗き見てから応える。
「うーん、なんかよく見るね。あれかな、古墳が世界遺産になったからかな?」
「あぁー、なるほどなぁ」小梅はそう言ってから、少しの間を置いて続けた「制服かなんかあるんかな。みんなポロシャツで、赤い短パンで、眼鏡かサングラスで、短髪で」
小春は当たり障りのないような含み笑いを浮かべつつ「なんだったっけ、選挙にもなんか、外国の人出てたよ。あれは、なに人かな? 『にしゃんた』とか、そんな名前の――」
「ニシャンタ!? なにそれ?」
クスっと笑って見せてから、小春は言う「あぁいや、違ったかな、ちゃうかったかな。とにかく、そんな感じの変な名前」
小梅はそこでまた頭を仰向けて、目を閉じた。それから呆れたとでも言わんばかりに「もういろいろ、良く分かんないね」と気怠そうに零し、頭髪を気にするみたいにして片手をそっと頭のてっぺんにあてがった。