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デメキンよ、空で泳いで。  作者: 笹井ほら
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1-一 まみむめも

「まみむめも」

 夏色めいた陽光が、部屋の中にまで容赦なく差し込んでいる朝の七時。晴れて十八歳の誕生日を迎えた少女――久恒小春――は着替えを終え、そのまま暫くの間、姿見の前で突っ立っていた。

「まみむめも」

 この多感で繊細な時期にあっては誰しもの内に、怖いものや嫌いなものがあっただろう。少なくとも、SNS上の自分のプロフィール欄にそう言ったことを記し、ひけらかす準備というものは出来ているに違いない。しかし、彼らがSNSで暴露する短所や欠点と言えば大抵の場合、愛嬌を生むためだとか自己宣伝、個性の押し付けがましい主張となり得るものだ。

「まーみーむーめーも、まみむめも」

 彼女の場合もそれは変わらなかった。耳朶が腫れでもしているかのように大きいこと。身体の発達が少々遅れ気味であること。渡っている最中に鳴り出す踏切、カメノテ、花粉、防犯ゲート、目をつぶった時に瞼の裏に映る模様。授業中の音読。これらは彼女の表向きの弱点だった。心の内に秘めた本当の弱点、誰にも言いたくないような怖いものは別にある。今、久恒小春が鏡の前で、覚束なく発声していることも、言わばその『本当のコンプレックス』の一つだ。ま行の言葉を発する自分への違和感を、彼女はどうしても拭えずにいる。どうも言いにくいし詰まるような気がする。発音する度、唇の上下をせわしく触れ合わさなければならない。それを声に出している自分も間抜けに見える。彼女の心情を肩代わりするなら、そんなところだろうか。

「マクド、マクド、こしょばい」

 青春期における恐怖の対象というものは、成熟した人間にとっては一見くだらなく思えるかも知れないが、しかし当人にとってはいつだってそれは切実なものだ。おもちゃの人形を失くした子供や、転んで膝を擦りむいた子供の悲しみと、最愛の伴侶を失った大人の悲しみとの間には、我々が思っている以上に、見たり感じたりしている以上に差異というものはなく、常に大事である。続けて彼女は、なるべく感情を込めながら言う。

「なんでーやねん、せやなぁ」

 中学の時分に横浜から大阪へと越してきた小春に、関西弁なるものが流通している土地が与えた影響は大きかった。彼女は『喋り方が気に食わない』だとか『調子に乗ってる』だとかの理由でもっていじめられていたことがある。ほとんどの場合、加害者は彼女の喋り方だとかをあからさまに指摘するようなことはなく、加害者が誰なのかは本当にはわからない様な、しかしある程度の目星はつけられる程度の陰湿なやり方で――加害者なりの言葉を用いるならば――彼女を『いじった』のだった。時には靴を隠され、時には授業中に千切った消しゴムの欠片を投げつけられたりもした。ただ幸運にも、彼女のこの状況に救いの手を差し伸べる者がいて、それがもう一人の登場人物である西種小梅なのだが、彼女についてはもう少し後で触れようと思う。

「ほんまにぃ? なんでなん?」

 小春はそこで、唇を丸め込んで口をキュッと引き結び、苛立たし気に小さくかぶりを振った。一つ年を重ねて齢十八となった自分から、何か成果のようなものを見出そうとしたものの、それは徒労に終わったらしい。彼女は溜息を控えめに一つ零すと、その溜息を追うようにして身をかがめ、床に置いてあった学生鞄の持ち手を掴んだ。そしてそのついでにふと、フローリングの床に落ちてあった一本の糸のような、一筋の黒髪のような何かを見つけると、彼女はそれをつまんで拾い上げ、指先を擦り合わせて払い落とすようにして、ゴミ箱の中へとそれを捨てた。

 小春の他のコンプレックスについても、ここで一挙に話したいところなのだけれど、話が進むにつれて自然と露わになるだろうから、ここでは割愛する。


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