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デメキンよ、空で泳いで。  作者: 笹井ほら
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まえがき

 

『あらゆる人々がそれぞれの内や外に持つ色彩――すなわち多

 様性だわな。君がそれを認め、受け入れようとするということ

 はつまりじゃな。君や君のその考えを否定したあの鉛筆画家も、

 あの絵の具泥棒のベキシャも、どんな人間だろうが、君はその

 彼の口元へ向かって、長い箸を使って食物を差し上げたり、抱

 き締めてやったりしなきゃならんのじゃないかな。

(中略)――要するにわしが言いたいのはだ、いつの日か君が、

 前にわしがベキシャに高価な絵筆をプレゼントした時のような、

 そんな矛盾に向き合う時がやってくるということじゃ。ただそ

 の時にどうするべきかといったことで、わしが言えるようなこ

 とは何もないんじゃが。ところで君は、そんなわしをどんな風

 に思うかね?』


 ――靴をかぶるサンタさん(講壇社 一九二頁)――


 ――ときどき私には、このような差し迫った問いに対して、自分が何か気の利いた答えを提出するべきだと思わずにはいられないような時が、若しくは何か言葉にする義務の様なものを背負わされたように感じる時がある。ただ幸いにも私は、こういう事態に直面した場合に私がすべきことは、杖で頭をぶってやったりすると言ったような禅問答染みたもので事足りることを弁えてはいるつもりだ。つまり、何を言葉で表すべきか、表さないべきかというその境界線は、反復横跳びよろしく闇雲に跨いではいけないということを、私は知っているのだ。

 さて、こうも大袈裟に、虎の威を借りるような形で始めてしまったが、私がこれから披歴する物語は極めてシンプルなものだ。端的に言えば、サンタさんが口にした色彩、矛盾とやらに関係がないとも言い切れない様な、または自身の劣等意識や怖れに彼女たちがどう向き合ったかというそれだけの、とある出来事の顛末、その記録である。登場人物である二人の少女からは、何か繊細で複雑な青春期特有の情緒と思しきものが発露しているように見えなくもない部分があるにはあるけれど、少なくとも私には、彼女たちが先述した境界線を踏み越えることなどないように思える。このうざったらしい前書きからは想像し難いほど単純で、あけっぴろげで、都合のいいことに程よくおセンチな、いわば現代的で親しみやすい話なのだ。

 ただ、私がいくら弁舌を垂れたところで、読み手が書き手の想像以上のものを、物語から汲み取るようなことが起こり得るのは確かである。同じリンゴでも、我々が見るそれとアダムが見るそれとは全く異なっているし、例えば私とリンゴ・スターの間にもその差異は必ずあるだろう。のみならず、私と私の隣人、私と私の兄弟姉妹、更には私と私という極めて近しい関係にある者同士でさえも、それぞれが同じリンゴを目にするということは決してないのだ。私としては、この物語を単純明快なものとして受け取って欲しいし、悪戯に人を煙にまくようなことを狙うつもりもないのだけれど、このリンゴの例を鑑みれば、一方では凡俗で自惚れ屋の作家らしく、自身の最高傑作でもあるようなこの物語によって、読者の胸の内に神秘的な何かが生まれるのを、読者が境界線を踏み越えた先からそういったものを持ち帰ってくるようなことを、心の底で期待せずにはいられないのも事実だ。いや、正直に言ってしまおう――私は多様性や矛盾という概念に囚われている状態からの脱却を、ここで試みようと、その結果を差し出がましくも期待してしまっている。彼女たちが、ほんの微かに示してくれたようにも思えるその道程を辿ることによって、それをあなた方に押し付けることによってだ。私がこのようなつまらない前書きを差し挟んだのも、書き手が想定したいたよりも多くのことを読み手がすんなりと受け取ってくれるよう、その動作がより円滑になるように補助したいが為だ。

 そこで一つ、あなた方にお願い申し上げるが、万が一にもそうなった場合、どうか私を、境界の向こう側へのランデブーにお誘い頂けないだろうか。私のこの単純と複雑からなる矛盾めいた姿勢ごと、この凡庸で浮ついた右手ごと、かっさらって頂けないだろうか。私はいつでも、あなた方からランデブーのお誘いを受ける準備は出来ているし、杖で頭をぶたれる準備も出来ている。なんなら次に記すアドレスを、身勝手で未熟な私の頭だと思って、ここにあることないことぶちまけて頂けないだろうか。そして差し障りなければ、ここにランデブーへの招待状も同封して頂きたい。

 《Booboo6383@gmail.com》

 畢竟、杖で頭をぶつということは、恐らくそういうことではないし、何かを期待して物事に取りかかるということも誤ってはいるのだろうけれど、今の私にはこういう出鱈目な方法に、奇を衒って見せただけのような方法に頼るほかなく、何もしないままではいられない。それに、これが間違いであるというそのことを心の底から理解出来たなら、それはそれで「右よし、左よし」をつい言い忘れてしまったことを悔いる仮免許保持者の心持ちと、書くことで生まれた恥と失意だらけの私の心持ちとは、何ら選ぶところはないのだ。本免許を取得した暁には、実際にそれを口にすることはないのだろうが、いつかは役に立つと、そう願いながら「右よし、左よし」と唱えなければならないのだ。仮免許に期限がなく、本免許に至る道はないと知っているのならば、なおさらそうだ。


 最後に一つ。これから語り始めようとするこの物語には、とある人物からの証言を参考にしている部分もあって、つまり共同製作者なる人物がいるのだが、その彼女がどうしても、ここにちょっとした小話を差し挟むべきだと言って聞かないのだ。こういったものはツカミが大事で、これじゃあまだ堅苦し過ぎるし、もう少し雰囲気を和らげた方が良い、と言ったようなことを彼女は事あるごとに、私に申し立てた。時には助言ならぬ命令に近い口振りで、時には困り眉をあざとく見せながら、時にはからかうように。そして時には、電話やラインのメッセージといった間接的な手段を用いて。そのようにして彼女は、どこか意味深長に思えるほど、彼女なりの何らかの意図があるらしく思えるほど執拗に、私に何度も要求したのである。まるでこの小話が、物語全体を簡潔に表すようなテーマであるとか、物語の底で絶え間なく流れている一つの教訓、それに欠かせない訓話だとでも言いたげで、とにかく彼女の「オキニイリ」であるらしい。

 とは言うものの、私の方ではその小話を披露することに反対する理由など特にないし、それを強いて挙げるならば、虎の姿に化けるきっかけになり得るかも知れない、スズメの涙ほどの臆病な自尊心と尊大な羞恥心くらいだろう。ただ、次の小話を差し挟んだというそのことが、もし批難の対象となれば、私は恥じらいも無く堂々と、その責任を思いっきり彼女に背負わせようと思う。


 ある少女が、リビングで韓国ドラマを見ている母親に向かってこう言う。

「ちょっと、スマホとって」

 母親は画面から一切目を離さずに黙ったまま、テレビのリモコンを娘に渡す。


 この極めて短いコントのようなものが、果たしてどんな効果をもたらすかについて、私には今一つ掴めていない。少なくとも、はっきりとは――。しかしこれで、彼女も胸を撫で下ろしてくれたことだろう。あとは登場人物たる彼女たちに、この無機質な言葉が兵馬俑の如く整列している、テクニカラーや絵の具など未来に置き忘れてきたかのような小説独特の堅苦しい雰囲気を取っ払ってもらうしかない。彼女たちの青臭くて苦味のある、ユーモラスな会話や仕種、表情の諸々に、そういった効果を期待するに止めて。書き手である私はなるべく、彼女たちの現実に干渉すべきではないのだし、これ見よがしな比喩とやらを並び立てて人を煙に巻くべきでも、そうして彼女たちの姿を朧げにすべきでもないのだから。


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